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第354回 暁民共産党事件 [2016/09/18 23:28]
文●ツルシカズヒコ
暁民共産党事件が起きていた、一九二一(大正十)年十一月十二日、大杉は朝早く大森の山川の家を訪ねた。
「やあ、どうだい」
「うん、相変わらずだ」
ふたりは、十幾年かの間、繰り返してきたこのお定まりの挨拶を交わした。
ベルトのついた茶色の外套を着た大杉は、バスケットを提げ、珍しく魔子を連れていなかった。
「ひとりなのかい?」
「なに、今日は奥山さんにお詣りだ」
「菊栄君にはず..
第346回 赤瀾会講習会 [2016/09/12 17:14]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年七月十八日から五日間、麹町区元園町の旧社会主義同盟本部で、赤瀾会夏期講習会が開催された。
岩佐作太郎、堺利彦、守田有秋、山川菊栄らの講師陣に交じり、野枝と大杉も講演した。
野枝は七月十九日、第二夜の講師を務めた。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、演題は「職業婦人について」。
「女房としては実にけしからぬ」と云はれても、立派な女房である野枝氏が矯羞を含んだ調子で、産業..
第327回 日本の運命 [2016/08/20 14:26]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月二十五日、週刊『労働運動』(二次一号)が発行された(日付は二十九日)。
タブロイド版、十頁(次号からは八頁)、定価は十銭、年間購読料は五円。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、発行部数は二千〜四千部。
一面トップには大杉が書いた社説「日本の運命」と約四千字の英文欄「THE RODO UNDO」があり、「THE RODO UNDO」は日本の労働運動を海外に紹介するためのも..
第325回 週刊『労働運動』 [2016/08/18 11:26]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二一(大正十)年一月八日、大杉は神田の多賀羅亭で開催されたコスモ倶楽部の懇親会で講演した。
一月十一日、大杉が借りた有楽町の病室兼仮事務所で、週刊『労働運動』(第二次)の編集方針の協議が行なわれた(『日録・大杉栄伝』)。
『近藤栄蔵自伝』によれば、栄蔵は靴店の仕事を妻に任せ上京した。
事務所は有楽町の数寄屋橋と省線ガードとの中ほど、日本劇場の筋向かいに建つ木造四階建..
第276回 おうら山吹 [2016/07/04 20:28]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年三月五日、久板が満期出獄し、大杉&野枝の家に帰って来た。
このころ、大杉は黒瀬春吉が設けた「労働問題引受所」の顧問を引き受けるが、結局、大杉はその顧問を辞退した。
しかし、大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、このころ大杉は黒瀬などとの関係を通じて、浅草オペラの楽屋に出入りするようになったという。
浅草十二階下にあった黒瀬の店「グリル茶目」は、伊庭孝、沢田柳吉、石井漠などオペラ関係者..
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