2020年08月17日

私塾から始まった藩校(岩槻)裏小路の遷喬館

今回は岩槻藩の藩校の話です

<岩槻藩遷喬館>
shirononagori468 (6).jpg

■遷喬館■せんきょうかん
<入口>
shirononagori468 (1).jpg
ひっそりと佇む建物。実は一回通り過ぎてしまい、戻ってきました。私が訪問した日は休館日だったので、門が開かれていれば、もうちょっと印象が違ったのかもしれません。

<説明板>
shirononagori468 (4).jpg
冒頭を抜粋すると『江戸時代後期の寛政11年(1799年)に岩槻藩の学者児玉南柯(こだまなんか)が青少年の教育のために創設した家塾で、後に藩校となりました』とのこと。私塾から始まり、藩公認の学校となったわけですね。説明文によれば、藩校は最盛期にはかなりの広さだったようです。

shirononagori468 (5).jpg
こちらの建物は、創始者である児玉南柯が私塾として始めた当時の姿に復元されたものとのこと。

藩校となってからは、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸に励みました。明治になって藩校は廃止となりますが、建物は民家として使用され、昭和になってから埼玉県の史跡に指定され、解体修理や復原を経て現在に至ります。藩校の建物として現存するのは、埼玉県内ではここだけとのこと。大きな建物ではありませんが、とても貴重な史跡ですね。

ちなみに
遷喬館という名称は、中国の詩に由来します。詩経の「出自幽谷 遷于喬木(幽谷より出でて喬木に遷る[=登る])」という一節から、鳥が明るい所を求めて暗い谷から高い木に飛び移る姿に例えて、この学び舎が学問を欲し友を求めるところであることを意味しているそうです。

ということで
私塾から始まった岩槻藩の藩校のご紹介でした。私はたまたま取れた休暇が月曜日で、遷喬館は閉館中でした。違う日がお勧めです。

shirononagori468 (7).jpg
遷喬館は武家屋敷が建ち並んでいた『裏小路』沿いです。この道を北へ進むとかつての岩槻城の大手門。そういう場所です。

■訪問:岩槻藩遷喬館
[さいたま市岩槻区本町]4-8-9


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