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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2017年11月12日

銀色のピストル


安全地帯V Harmony』一曲目、「銀色のピストル」です。

Am7でアクセントを入れながら弾かれるピアノ、合の手を入れるシンセパッド(?)、これらがささくれだった心と心の、ギスギスしたやりとりを思わせ、

発砲音を思わせるパーカッション、弾の装填・撃鉄起こしを思わせるギターと……これらが、ギスギスしたやり取りの中でこらえきれずに吐いてしまう配慮のない本音を思わせます。

そしてズシ!ズシ!と前進を促す六土さんのベースと田中さんのフロアタム、突撃の進軍ラッパを思わせるホーンセクション……いやー、イントロからしてすでに痴情のもつれ感が満点です。これはもう銃撃戦に突入やむなしでしょう。ぜひ、傍から見守る立場でありたいものです(笑)。

あげくに、玉置さんの歌が「何もできないままで きみは泣くくせに」という、こういうときにこそ絶対に言ってはならないセリフを吐き捨てるのです。これはピストルどころではありません、これは航空編隊による基地爆撃レベルの破壊力です。それを言ってしまうと全面戦争に突入せざるを得ませんし、終戦後もずーっと外交カードの一つとしてチクチク嫌味を言われ続けるということは、まさに歴史が語るとおりです。もしあなたが、こうした先人の愚を犯すことを避けたければ、「傷ついたから謝れ」という理屈を振り回すような人とは、ぜひ遥かなる距離を置き続けることを強くつよーくおススメいたします(笑)。

さて、曲はAメロに入りまして、二小節ごと二拍目に「ヒューイッ!」という口笛のような音が挟まれたほかは、基本的にはイントロと同じ臨戦態勢で一触即発のまま進みます。

Bメロ、いや、これはサビですね、それまで細かく刻まれていたギターが咆哮を上げ、局面が動きます。武沢さんがうっとりするような鋭いクリーントーンでアルペジオをキメます。クリーントーンが「鋭い」って、その言葉だけ聞いたらちょっと想像つかないですが、武沢さんの、このアルペジオを聴くと、そうとしか言えないんです。矢萩さんの音はかなり聴こえづらいですが、左チャンネルでディストーションを使って、サスティンを生かした長いコード弾きをしているように聴こえます。ディストーションってこんな感じで音が奥に引っ込んでしまいがちですから、わたくしはメタリカとかメガデスとかを演奏するときでもディストーションを使わないんですが、矢萩さんのこの音は、見事に武沢さんの音を際立たせたうえで、曲に深みを与えることに成功しているように思えます。ディストーションって、こういうふうに使うんだ、と気づかされる思いです。あ、例によってわたくしが全然聞き間違えている可能性はもちろんございますので、そこはご勘弁を(笑)。

BOSSのメタルゾーンというディストーションを手に入れたとき、わたくしその音作りの幅があまりに広いことに感激し、もうこれ一台だけでいいじゃん!とすっかり思い込んで、持っていたマルチエフェクターを売り払ってしまいました。しかし、ライブに使ってみるとあまりに音が引っ込むのでついつい音量を上げすぎ、へっぽこなボーカリストの声をさらに聴こえにくくするという愚挙を犯すことになってしまったのです。後日、いそいそとオーバードライブを買いなおしに行く羽目に……。さらにアホなことに、ディストーションなんて使い物にならん!と思い込み、この「銀色のピストル」の記事を書いているこの瞬間まで死蔵していたのです。あーよかった、これは売らなくて(笑)。なんでも適材適所だし、使う人の心がけ次第、工夫次第なんですね。

玉置さんの「泣くくせに」弾が裏打ちのピアノに載せて炸裂したところで、曲は間奏に入ります。いままで潜伏していた矢萩さんが轟音の飛行機を思わせるハードなアーミングで、第二次攻撃の襲来を予感させます。

またもやAメロ、玉置さんの「わけもなく抱く女」砲が初弾からヒット!これはキツい……悶絶ものの破壊力です。たたみかけるように「許せもしない罪」弾が炸裂します。これもひどい!どう考えても人の道に反していることがバレバレです。「にんげんだもの みつを」とか付け加えても、火に油を注ぐだけで、消火効果はゼロ、いやマイナスです(笑)。

さらにトドメとばかりに、最初のサビが繰り返され……いや、正確には、「わざと傷ついて」弾を隠し持った雷撃隊が低空に侵入し、放った魚雷の航跡が海面を迫ってきている間に、「きみは泣くくせに」弾が急降下爆撃機から投下されてきます。もう、メチャクチャです。これは、もう総員退艦、沈むしかありません。

あ、ピストルの話だったのに、いつのまにか機動部隊による艦隊攻撃に変わっていました(笑)。いやー、この曲、破壊力がピストルじゃたとえにくいんですよ。そんなわけで、「銀色のピストル」が何なのか、という話を強引に入れてみますと……

浮気、ですよね、ふつうに考えたら。ふつうに考えるとぜんぜんカッコよくないというか、悪いことなんですが(笑)。

ほかの女性に心を案外、意外と、けっこう奪われているという事実が半分バレてしまい、いやむしろ何かの腹いせで意図的に少しバラしてしまい、追及のまなざしを打ち砕きます。かつてふたりが味わったあこがれ、ときめき、その手の感情にすべてヒビが入ります。

あー、やっちまったー……ふたりが作り上げてきたものを失いつつある実感、さみしさが、情事をおそろしく気まずいものにします。なんでそこで情事なんだよとは思うのですが、そこはそれ、まあふたりのことですから、他にはうかがい知れない事情ってものがあるのです(笑)。まあ、「わけもなく」と言ってしまうようなものではあるのですが、ふたりが作り上げてきた日々そのものが十分な「わけ」として機能することもあるでしょう(なるべく評論家のようなポジションを確保しつつ。ベレー帽にサングラス、パイプでも咥えている感じで)。

こんなとき、いくら愛しているなんて言ってもだめなんですね。かつては愛しているといえば愛は燃え上がったものですが、その言霊が今回は逆効果ばかり生み出します。なんだよこんなに頑張っているのに!きみは泣くだけだしさー!(そりゃ泣きますよ……)。こんなに「愛され」ている君は、それなのに疑いの目を向けてくるんだ(当たり前だろ……)。

もう、こうなると、ダメですね。ふたりの関係以前に、自分がダメです。少なくとも数か月は冷却期間を置かせていただいて(これだって土下座モノです)、それでもダメなら「ピストル」を放棄して丸腰で怯えながら暮らすか、刺されるか、別れるか、行方不明になるか、財産を失うか、と、トランプでいうと全部ババです(笑)。自分が悪いんですから、腹をくくって一枚引くしかありません。一枚で済めば儲けものかもしれません。

さて、スタジオ版では矢萩さんの銃撃しまくりなソロを響かせつつ、フェイドアウトしてゆきますが、『安全地帯LIVE』では、この銃撃ソロを最後まで聴くことができます。ライトハンドを織り混ぜ人の胸をえぐるようなフレージングを「うりゃうりゃ、これでもか、これでもか」と繰り出してくれます。これは沈みかけた艦の甲板に戦闘機で銃撃を加え、必死に消火活動を行う兵士を襲うかの所業です。サディスティックだなあー(笑)。

そしてラストに、左右にステップを踏む武沢さんがギターを高々と持ち上げ、クリーントーンを強烈なオーバードライブに切り替えます。最後の、ほんの数小節のために。「帰艦する」の合図を交わし去ってゆく編隊のように。この一連の動きが猛烈にカッコよくて、わたくしライブではステップの段階からよくマネしてたんですが、当然にその元ネタをわかってくれていた人はただの一人もおらず(笑)、自分だけ満足しつつも少しだけさみしい思いをしていたものです。

ところで、『幸せになるために生まれてきたんだから』に記された玉置さんのインタビューからは、この曲の、ピアノを弾く人がいなければサウンドにならない、という状況に至ったことを、窮屈に思っていたことが窺われます。そのくらい、この曲は、ピアノ、ホーン、シンセが、五人のサウンドと一体化しているのです。この時期では、五人だけを安全地帯と呼ぶには、音楽のスケールが大きくなりすぎているのは確かでしょう。五人のサウンドに肉付けして豪華にしました、ではなく、はじめからホーンやピアノがあることを前提に作曲しているとしか思えません。だからこそ、もう後には引けない感が日々に強くなり、玉置さんもだんだん苦しくなっていったのでしょう。もしここで一気に五人だけに戻すと、この時期の曲をほとんど演奏しないセットリストを組むしかなくなりますから。

このアルバムのあと、ほどなくソロ活動が開始されたのも、活動が一時休止されたのも、再開後も長続きせず10年もの休止期間があったのも、ある程度まで必然だったと思えてきます。「銀色のピストル」は、その原因となったオーバースケール安全地帯時代の、象徴とさえいえる曲だと、わたくしは思っています。10年も待たされたのは、この曲が良すぎたからなんだ、と思えば、わたくしも納得できるというものです。

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2017年10月29日

夕暮れ


安全地帯V 好きさ』十二曲目、すなわちラストチューン、「夕暮れ」です。

ステキなギター・インストです。武沢さんの曲として、初めて収録された曲、ということになるでしょう。玉置さんのボーカルがないせいか、一見地味なのですが、耳を澄まして聴くととてもよく作り込まれた曲だということがわかります。

リズムですが……田中さんのドラムは、もしかしてバス・ドラと、イントロ、間奏のハイハットしか鳴らしていないんじゃないでしょうか。「ズン、カシャ、ンシャシャ……」の、ひたすら繰り返しなんですが、この「ズン」だけがバス・ドラで、あとの「カシャ、ンシャシャ」は……鈴、ですよね。あの、手に握る、鈴がいくつかついた、アレじゃないでしょうか。なんていう楽器かわかりませんので調べてみたら、そのまんま「鈴」でした。なんだよそれ!鈴のついたグリップだろー、「のついたグリップ」の部分は無視かい!とか怒っても全然仕方ないんですが、非常に釈然としない気分になってしまいました(笑)。

六土さんのベースは、正直、ストリングスが邪魔に感じるくらい、ムードを支配しています。ズシーン、ズシーンと低音ばかり弾いているかと思いきや、低音と高音の組み合わせでズシーン(低)、ズキューン(高)、ズシーン(低)、ズキューン(高)、ズシーン(低)、ズシーン(低)ズキューン(高)!ズキューン(高)!ズキューン(高)!ズキューン(高)!ズキュキュキュキュ〜と、容赦なく人の心を上下に揺さぶります。ああー、夕暮れの、太陽が雲間なり稜線なりに見え隠れしているあの感じだー!と、力ずくで思わせるかのような説得力の凄さです。

さらっと書きましたが、この曲、ストリングスは正直蛇足であるようにわたくしは感じています。いや、もちろん最高のアレンジですし、曲の盛り上げにたいへん貢献しているとは思うのですが、アコースティック・ギター二本の響きを前面に出したバージョンを聴きたいのです。オーケストラはちょっと聴き疲れたから弦楽四重奏で……ああ、ソースいっぱいのフランス料理は食べ飽きたから、最高のシャケ塩焼きに、漬物と茶漬けを出してくれ、というほうが近いでしょうか。これはわたくしの好みというか、時代の流行というか、そういった類の「水もの」ですので、聞き流すのがよろしいでしょう(笑)。

さて、お二人のギターですが、主旋律を担当するガット弦ギターと、伴奏を担当するスチール弦ギターの、二本のアコースティック・ギターがメインです。メインです、というか、わたくしの耳だとそれ以外があっても聴き取れないのに、まだ隠し要素があったときに気づいていなかったことがバレると恥ずかしいから予防線をはっているという、非常に潔くない態度です。この「〜がメインです」には、お役所から来る文書の「等」と同じような役割を担わせています(笑)。とかなんとか書いていたら、さっそく気づいてしまいました。サビ(?)で何度か響く「ギャイーン!」という武沢トーンのコードストロークは、さすがにこのお二人でも、重ね録りでないとムリでしょう。

この曲は、30周年ライブでも演奏されていましたが、映像を観ると、武沢さんがとても細かく指をふるわせているのが見て取れます。いわゆるビブラート奏法なんですが、武沢さんがやると、なぜかちょっと感動的です。おおーさすがギターの名手!って思うんですよ、クラシック・ギターの基本技術なんで、ご本人は当たり前に弾いているだけなのでしょうけども、もう手つきが名人肌すぎます。

矢萩さんはイントロのリフと、サビ(?)以外ではごく当たり前にアルペジオなんですが、ここは指で弾かれているのでしょうね。映像でははっきりわかりませんでしたが……おそらく、スチール弦を指で弾くことによって、この柔らかさを出しているのだと思われます。映像では、なんだかピックを親指と人差し指の隙間に挟んだまま、残りの三本指で指弾きしているようなフォームでしたもので、イントロのリフと、サビ(?)ではピック弾きしているのではないか……と思うのですが、これも定かではありません。わたくしならそうやって弾きますが、なにせ、これも名手の矢萩さんですから、油断はできません(笑)。

さて、ほのぼのとしたイントロ〜Aメロ、A´メロでは、歌詞カードに掲載されている広々とした草原で迎える夕暮れのような、なんだか暖かな気持ちになれるホンワカ曲です。

しかし、サビ(?)は、そうはいきません。ツェッペリン「天国への階段」中盤で聴かれるような、激しくも泣ける怒涛のギター曲になっています。そう、あの、ジミー・ペイジが、ダブルネックの12弦で弾いた、あのフレーズです。武沢さんからジミー・ペイジの影響を見てとるなんて畏れ多いことは、わたくし避けたいので(笑)、わたくしが勝手にそう感じただけということなんですけども、わたくしこの記事を書くにあたってツェッペリンのライブ映像を観なおし、そしてこの「夕暮れ」を聴き、泣けてきたという出来事だけはここに記しておきたいと思います。

この曲は、玉置さんの歌がないからツマラない曲、では断じてありません。安全地帯が、すべてのメンバーが超一流の演奏技術と作曲・アレンジ能力をもった凄腕集団であることを、まざまざと見せつける曲だといえるでしょう。

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2017年10月15日

声にならない

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安全地帯V 好きさ』十一曲目、「声にならない」です。

玉置さんの「ふん、ふん、ふーんふん」が先にあって、それに「No No Voices」をあてた、それを訳して声にならない、という題名をつけたのではないかと考えられますが、それは通常の発想だとそうなるというだけのことであって、天才コンビ玉置&松井のことですから、油断はなりません。もしかしたら雪景色をみた松井さんが「寒くて美しくて、声にならないね」なんて言ったところに玉置さんが「じゃあ、No No Voices〜だね」なんて感じで作ったのかもしれません。このアルバムの発売は冬ですから、普通に考えれば夏に作った曲なんだと思いますが、それでも油断がならないのがこの二人です(笑)。

さて、この曲、伴奏がギターとベースだけです。間奏にハーモニカらしき音が入りますが、基本的にはギターとベースだけです。もしかして田中さんがリムでリズムでも取っているかと耳を澄ましてみましたが、どうも入っていないようです。

それにしてもこの、ハープシコードのような美しいアコースティック・ギターの音!惚れ惚れします。ポール・サイモンのギターこそが最高と思っていたのですが、認識を改めざるをえません。矢萩さんと武沢さんの音がどちらか、なんて全然わかりません。あ、いや、レコーディングが見事なのも、その原因だとは思うのですが、なによりわたくしがアコギの音に疎いのが主な要因でしょう(笑)。

余談ですが、最近はエレクトリック・アコースティック・ギター(いわゆるエレアコ)がものすごく安くてよくなっています。ギターショップで三万円とかで並べられているやつでも、パッと見はおかしいものが全然見当たりません。もちろんショップさんが厳選して並べたのでしょうけども、それにしても「えー、三万でこれかい、むかし買った五万とかのやつは一体何だったの?」と思わされます。個人的恨みですが(笑)。アジア工場の頑張りによるのでしょう。こうなると、いずれアジアの人件費も上がってきますから、いまがチャンスかもしれません。

六土さんのベースは、最初へぼいスピーカーだと鳴っているのに気が付きませんでした。なんと控えめな!おそらくTONEを絞り気味にしているのでしょう。ヘッドホンで耳を凝らして聴けば、この曲でリズムと低音部を担当しているベースがないとこの曲はなんだか抜けた感じになるだろうと気が付きます。ベースの音作りにはあまり自信がない、というか、常にTONE全開TREBLEビンビンの音しか出していなかったわたくしですので、話は全然当てにならないのですが、「今夜はYES」からこの「声にならない」までだけでも、かなりのバリエーションで弾き分けられていることに驚かされます。六土さん、こんなに音を使い分けて、ライブのとき大丈夫ですか、と余計な心配をしたくなるほどです。

さて歌詞ですが……こんなに可愛らしい曲で、穏やかな雪での描写で、こんなに切ないのは芸術的といっていいでしょう。小林武史さんも、色々な制約がなければこういう表現をしたいに違いありません。この時代の安全地帯は技術的にも環境的にも、なにより時代的にも、小林さんがいま抱えているような制約がほぼない状況だったのでしょう。もう、暴れまくりです。ドラムでの盛り上げなし、君を見つけたとか雪で君がはしゃぐとか、そういうベタな描写なし、はっきりサビとわかる箇所なし、ボーカルの叫びなしなんて、ありえません。現代的な基準だとわかりにくすぎです。こんなに可愛らしい曲ですが、こんなにわかりづらくもある曲をメジャーでリリースできるバンドは、わたくしの見渡す限り現代日本にはありません。ああ、現代日本のバンドったって、わたくしほとんど(少しも)興味がありませんのでそんなに見渡してないです(笑)。だから、そんなにあてになる話じゃないです。

北海道で雪が降ると、静かなんです。雪が音を吸収するのでしょう。それなのに雪の上に雪が重なっていく音さえ聴こえるんじゃないかと思われる「サラ…サラ…」という感触があるんですね。空気の震えを触角が感じるのか、実際に微小な音として聴覚で感じるのか、はてまた単に寒すぎて自分の感覚がマヒしつつあるのか(笑)……あの感覚、ベチャベチャとアスファルトに溶けていく雪景色の下でのそれとは、まるで違います。空を見上げると、一面の雲が、雪が反射した地上の光に照らされて浮かんでいるのが見えます。そこから降ってくるのがわかるかのように、遠くから遠くから、次々と結晶が落ちてきます。

静かすぎて美しすぎて、恋人の微笑みが心に浮かんできます。

いやまて!いま、飛躍があったぞ(笑)。

そうなんです、浮かんでこないんですよ。浮かぶ人もあるのかもしれませんが、それはあくまで個人的経験の積み重ねによる、レスポンデント条件付けってやつでしょう。

あー、玉置さんが歌うと、そうそう、雪の降る夜に空を見上げると、恋人の微笑みが心に浮かんでくるよねー、と、あっというまに玉置時空に引きずり込まれますが(宇宙刑事ギャバン)、それは松井さんの詞と、玉置さんの歌の、とてつもない説得力により発生した亜空間なのです。

さみいー!つめたいー!うわー、さっさと帰ろう、こりゃー『まんが日本昔話』の爺さんの気分だね、ではなく、恋人の微笑みを思い出して、しあわせにしたいとか、夢をさがそうとか、そんなロマンチックな気分になるわけですから、時空のひずみはかなり大きいと思われます(笑)。わたくし、第二次性徴期の前にこの時空に引きずり込まれてしまったもので、どうもこのひずみが心身に溶け込んでしまっていけません。

ところでこの曲は、ノンストップで武沢さんの美しいギター・インスト曲「夕暮れ」へと続きます。この流れがあまりに見事で、「雪の降る夜」からいきなり夕方になった珍事に、あまり違和感を感じません。これも玉置時空の後遺症なのかもしれませんが、おそらく、この症状のない人が聴いても、ステキな連結だと感じられるとは思います。

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2017年10月01日

好きさ


安全地帯V 好きさ』十曲目、「好きさ」です。

アルバムタイトルナンバーであり、かつシングル曲でもあります。また、アニメ『めぞん一刻』の第二期オープニングテーマでもありました。安全地帯の曲で、アニメのテーマ曲って、これしかないような気がするのですが……まあーそうですね、安全地帯の曲を新たに知ってファンになる層と、アニメを楽しむ層とではずいぶん異なる人たちであるように思えますし、だいいち安全地帯のシングルカット級の曲が似合うアニメって、どんな修羅場アニメなんだろう、と少し心配になるくらい雰囲気が違います(笑)。

ただ、わたくしもAmazonプライムビデオで最近観てみましたが(当時は観てなかったのです。夕食後は家族で花札とかしてました(笑))、第二期オープニングのムービーは、とてもよく「好きさ」の雰囲気にマッチしているように思えます。五代くんが響子さんに抱く「好きさ」は、歌に直すとこんな感じだろうと思わせます。まあー、本編はほとんどコメディなんですが、それは現実世界に住む我々の「好きさ」が、けっして歌の世界ほどシリアスに決まらないのと同じ立ち位置にあるともいえるように思えるのです。

いきなり余談に余談を重ねますと、わたくし、この「好きさ」を歌ってほしいといわれて断ったことがございます。よりによってきみのために歌えないよこんなシリアスな曲!もう少し照れ隠しできそうな曲、そうたとえば「万里の河」とかをリクエストしてくれないかな、「万里の河」よく知らないけどさ(笑)。そう、あんまりストレートすぎる「好きさ」は、とても真顔で歌ってあげられないほどの豪速球曲なのです。「好き」という言葉をほぼ使わずに幾多のラブソングを生み出してきた安全地帯が、とうとう使った!これはたまらない!波長がうっかり合ってしまったら即死を免れないほどの、超ときめきドキドキラブソングといえるでしょう。

さきほど「シングルカット級」と書きましたが、この「好きさ」はシングルカットではなく、アルバムに微妙に(10日くらい)先行して発売されたシングルです。そしてアルバム発売の、実にほんの数日前に『めぞん一刻』でオープニングテーマとして初放映されています。アルバム『安全地帯V』を売るための、導火線としての役割を完璧にこなすに足る曲として投入されたであろうことは、想像に難くありません。もしわたくしが当時資力に余裕のある身分だったら、あと数日が待てなくて、シングルも買ってアルバムの発売を待ったことでしょう(笑)。だってこんなの聴かされちゃたまらないよ!『めぞん一刻』が次に放映されるのは一週間後だしさ!ラジオで流れるのを待てってか?そんなことやってられっか!(笑)。幸いなことにというか何というか、資力に余裕はなかったので、たまたま歌番組を録音できていたカセットテープを聴いて過ごすことに成功しました。

さてこの曲、いきなり六土さんに罠をかけられます。Aメロはどう聴いてもシンセベースにしか聴こえません。しかしBメロからサビはふつうのエレキベースに聴こえるような気がします。むむ、と思ってライブ映像を観るとふつうにエレキベースを弾いていますが、音も、やや、これはもしやあのシンセベースの音を出せるんじゃないか?と思えるくらいブリブリなのです。ああー、モヤモヤする(笑)。レコーディングではシンセベースをAメロだけ使ったと信じたいところですが、超人ベーシスト六土さんですから油断はなりません(笑)。コピーするならふつうにエレキベースで弾くにきまってますから、そんなことにこだわってどうするのと思わなくもないのですが、このこと、六土さんが時折聴かせるこの音色ははたしてシンセベースなのか?は、わたくしにとって積年の課題なのです。真相を知っている人がいたら、こっそり教えてください(笑)。

田中さんのドラムも、かなりシンセっぽい音を混ぜてきます。この「好きさ〜」後に聴かれる「ダダン!」は明らかにパッドを打っている様子がライブ映像に収められていますので、ああよかったと安心して聴いていられます(笑)。正体がわかると安心するのはとても分かりやすい態度ですが、実はそれは真相には決してたどり着けない態度でもあります。幽霊の正体が風になびく洗濯物だとわかってすっかり安心し、恋人が浮気相手の下着をひそかに洗濯していたことを見逃すようなものです(笑)。この音、ライブだとあからさまなシンセ音ですが、スタジオ盤でそれとハッキリわかるでしょうか……?わたくし、ちょっと自信がありません。アコースティックのタムでも出せそうな音に聴こえなくもないのです。長年ライブの音に慣れてしまい、すっかりシンセパッドだと思い込んで聴いているから、スタジオ盤でもそう聴こえてしまうだけなのかもしれません。イヤハヤ、怖いですねえ。

さて、ギターのお二人ですが、Aメロでは矢萩さんが五度コードの刻み、武沢さんがアルペジオという、安全地帯の黄金パターンです。これは贅沢!そしてBメロでは玉置さんの歌に合わせたツインでのオブリが見事に決まります。「ギャイーン!」と入るコード弾きは最高です。この音、のちの「君は眠る」でも同種の効果のために使われるのですが、どうやったらこんな残酷な音が出るのでしょう。ここで一気にギターもセッティングを変えて高音を多めにしたとしか思えません。ライブでは再現していませんので、おそらくここだけギターもアンプもセッティングを変えてパンチ・インしたのだと思いますが、このお二人のことですから、ライブでは出し惜しみしていただけという可能性がなくもありません(笑)。

さて、ソロ〜後奏ですが、スタジオ盤、『安全地帯LIVE』では、武沢さんがアオリ、矢萩さんがいつもの粘っこいオーバードライブサウンドで見事なソロを聴かせてくれます。これがまた、指版をダイナミックに移動しながら、アームや指先でのビブラートを全開に聴かせつつ、ハーモニクスや細かい速弾きを取りまぜたダイナミックなソロです。このソロはもはや安全地帯の十八番ともいえるほどに、主要な特徴となっています。こんなソロ、よそではめったに聴けるもんじゃありません。

その一方で、アコースティック・ライブでは、武沢さんがアコギで目いっぱい弾きまくりのソロを聴かせてくれます。うおー、なんじゃこれは!やめてください、マイケル・シェンカーですか、泣けるじゃないですか……。これがまた、いちいち心のヒダをひっかくようなソロなんです。お二人の、どちらのソロも信じがたい「泣き」のソロです。これは聴き比べするしかありません。というか、後奏の尺を二倍にして、お二人で交代で弾けばいいじゃないですか(笑)。でもまあ、そうすると、曲全体のバランスが変わって、シングル曲としての性格が失われるような気がしなくもないですから、まあー、フェイドアウトするスタジオ盤が当時は正解だとご判断されたのでしょう。

さて歌ですが……どうして「Friend」の次にこういう歌をリリースするのでしょう、この人たちは。もう、息が詰まります。あなた「Friend」でもう吹っ切ったんじゃないんですか。まだまだ辛いままじゃないですか。シングルの間隔でいうと「まあ、まだそんな気持ちになることもあるかもねえ」なんですが、アルバムで「どーだい」や「ほゝえみ」を通過してから聴くと、「ああ……やっぱりまだ辛いんだ、しかもこんなにも!」という気にさせられます。

「つめたいしぐさ」は、惚れた弱みで憎めないんですが、それが逢えない時期に効いてくる……

「別れ間際」は別れるより仕方ないですし、重々承知しているんですが、それでもどうしてもダメージがある……

「狂いそう」だから思いつめないようにしていても、何かの拍子に「思い」はさざ波のように後から後からやってきて、あらぬ方向へと思惟を運ぶ……

「好き」と言わずにラブソングを作り上げることを、ある種の美学にすることなんて、無意味に思われるほどの迫力で「好きさ」とはこういうことなんだと、何度も何度も繰り返します。そうなんです、ここでは、玉置さんも松井さんも、同じこと「好きさ」しか表現していないんです。同じことを、形を変えて、何度も何度も繰り返しているんです。だから玉置さんの歌は、ある意味で一本調子です。変える必要がありません。「きりがない!」という叫びや、「こわれそう」という告白は、「好きさ……」というつぶやき、ささやきと、同じものでできているからです。

わたくし、安全地帯の曲でサッカーのフォーメーションを組んだら、ワントップだろうとツートップだろうと、この曲がトップの一角を占めると思っております(笑)。これほどストレートで力強いラブソングはほかに知りません。こんなシュートをまともに打たれたら、キーパーは一歩も動けないでしょう。弱点といえば、男性の共感を得やすい一方で、女性が興ざめになりかねないほどに生々しいということでしょうか。玉置さんだからこそ、ドオーン!と決まる豪快シュートなんですね。これを他の歌手が歌うところを想像すると、心が渇いてたまりません(笑)。

すっかり忘れていましたが、この曲では川島さんのシンセによるリフがかなり効いていますよね。五人の力があんまり強いので、これほど目立つ音なのに言及するのを忘れてしまっていました。美しいメロディーとはしばしばシンプルなものなのだという基本を思わせます。玉置さんの「好きさ」に続き、それを繰り返すかのように響くその音は、ぐりぐりと脳天からつま先まで「ああやっぱり好きなんだ」と気づくことを強いてきます。もう、いやンなっちゃいますね、こんなにしつこいのに、なくなると寂しいに決まってるんです。それが「好きさ」という気持ちであるかのように。

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2017年09月10日

まちかど

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安全地帯V 好きさ』九曲目、「まちかど」です。

「記憶の森」ではピアノアレンジをして、この「まちかど」にはインスピレーションを与えた、という武沢俊也さんの名がクレジットされています。

武沢俊也さんは、わたくしにとって聖飢魔IIのダミアン浜田陛下と同じ位にあるかたです。のちに大ブレイクするバンドを、デビューできる段階まで導き、自らはデビューせず身を引く……ああ、うっとり(笑)。

この曲は、聖飢魔IIでいうと「野獣」のような立ち位置にあります。デビュー前に気に入って演奏していたけれども、デビューしてしばらくたって、ブレイクしてからアルバム収録曲として登場した、という点で同じなのです。ただ、「野獣」は、デビュー時とはメンバーの技量やら音楽的感性やらが違っていて、なんだかもう他の収録曲との間に違和感がありありだったような気もするんですが、この「まちかど」はスンナリ安全地帯の、この時期の曲として受け入れられるというのがもの凄いです。俊也さんがおつくりになったころから、すでにこのクオリティだった、というわけなんですね……。

もちろん、たんにインスピレーションを与えただけで、実際にはぜんぜん違う曲と言っていいほどリニューアルされているんじゃないか?というお疑いはもっともです。ぜんぜん違う曲かどうか……それは、ご自分の耳で判断されてみてください。「最後の風景」という曲です。ちょっと探せば聴けるでしょう。

【追記】もしかして俊也さんがお作りになったのは「最後の風景」の歌詞のみであって、作曲はやっぱり玉置さんなんじゃないか……と思えてきました。「最後の風景」の歌詞を松井さんが別の歌詞にした、ただ原曲の歌詞は俊也さんなので敬意を表してクレジットした……というのが真相かもしれません。

「ああーっ、「最後の風景」やりてえなっ!」と玉置さんが言ったかどうかはわかりませんが、安全地帯は数年前に旭川で作られたなつかしの曲を、最新アルバムに収録することにします。

いま書いて気づきましたが、安全地帯って、この時点でまだデビューしてほんの3〜4年なんですよね。SMAPならまだ『SMAP×SMAP』も始まってないくらいの段階です。うーむ信じられない……。安全地帯の音楽生産能力と演奏能力の高さで、すでに大御所の風格を漂わせているこの『安全地帯V』ですが、実はまだまだ新人といえなくもありません。恐ろしい……。

さて、曲ですが、オルガンで始まり、次いでベース、ギター、ドラムが一気に入り、歌に入ります。そしてAメロ二回目からストリングスが加わり、切なさを一手に引き受ける……かと思いきや、いままで牧歌的な伴奏に聴こえていたオルガンが、急に哀愁を帯びて聴こえるようになります。このコンビネーションを最初から計算していたかのようなのですが……これは星さんのアレンジ能力によるものでしょう。

後奏に入るギターソロは、二本重ね、だと思うんですが……右チャンネルの音、おそらくそれまで「トゥットゥクトゥットゥー・トゥットゥクトゥットゥー」と繰り返していた音と同じで、おそらく武沢さんの音なんですが、揺れているように聴こえますね。わたくしの浅いエフェクター知識でいうと、フェイザーをかけるとこんな感じになりますが、このお二人のことですから、油断はなりません。指先の絶妙なコントロールでこの音を出していないとは言い切れません。ほんとうにありそうだから怖いです。何が言いたいかといいますと、普通に弾いてもこういう音にはならない……と思う……ということなんですが、とにかくわたくし、歯切れが悪いです(笑)。明らかに自分より技量が上の人のプレイを、自信をもって語ることができないという、ごく当たり前のことといえば当たり前の理由でひるんでいるんです。まあー、そんなこと言いだしたら、安全地帯の音楽を自信をもって語れる人ってどんな人ですか、ということになりますので、がんばって目一杯背伸びをしたいと思います。

そして左チャンネルに聴こえる、クリーントーンのコードストローク、これが矢萩さんだと思うのですが、ボーカルの合間に真ん中に音が出てきて印象的なフレーズを奏で、また左に戻っていくように聴こえます。これはわりと聴こえづらいので、わたくし肉眼で見えない等級の惑星を探すかのように、きっとこのあたりにあるはずだ!と望遠鏡を向けるようにして探しました(笑)。うーむ、仕事が渋すぎです。その他細かい音がいくつも加えられておりまして、わたくし、この曲をコピーするなら、ギターは五本重ね録りすると思います。そんなわけで、いつもの話ではありますが(笑)、この曲はオルガンの目立つバラードであっても、明らかにギターポップのジャンルに入ります。

田中さんと六土さんは、この曲ではふつうのエイトビートで、まるで『安全地帯II』の頃のように、ひたすら堅実に支えます。バスドラとベースを同じリズムで、もしかするとアマチュアのころを思い出しながら、のように、確実に、素朴に……なんだか泣けてきました(笑)。テクニシャンのお二人ですから、工夫しようと思えばいくらでも工夫できたと思うんです。でもそれじゃ、この曲を壊してしまう、俊也さんと一緒に演奏した、旭川の大事なファンたちの前で演奏したこの大事な曲を、壊しちゃいけないんだ、とでもいうかのように、朴訥に支え続けます。もちろん全部わたくしの妄想ですが(笑)、こういうところに、勝手に職人魂を感じてしまうのです。

さて歌と歌詞ですが、「土曜日の午後」というだけで、懐かしくて胸が騒めきます。そうです。この頃は、いわゆる半ドンで、土曜日という日は、さあー昼めし食ったら何して遊ぼうかな、という楽しい日だったのです。そんな日に、まちかどで、髪を切ったかつての恋人を見かけてしまった、というストーリーです。

やさしい吐息をさそう唇が遠いって、そう、遠いんですよ……そんなに離れてないんですけど。へたすると隣のクラスとかなんですけど(笑)、とは言わないまでも、電話すればまだ余裕で連絡がつくくらいの距離感ではありますが、その電話はかけられないんです。気まずくて、というか、かけちゃいけないとわかっているんですね。そういう電話は、絶対に向こうからかけさせないといけません(謎の気負い)。80年代風に言えば「だから男ってバカなのよ」なんですが、いやー、こればかりはご勘弁ください。かけられないです。電話越しの、声の音圧ですら、引き金になりかねません。その声を一瞬識別できないくらいに忘れかけるまで、待ってください……とかなんとか言っているうちに、連絡もつかなくなるんですけども、それでいいんです。

声をかけるだけで、あなたが消えるわけはありません。ふつうに返事すると思います。「消えてしまいそう」というのは、わたくしみたいに、声をかけちゃいけないと思い込む人の、一種のロマンなんですよ。ほほえむだけなら、つまり、言葉を交わさなければ、そばにいられそうな気がしなくも……いやー、それもかなり厳しいですねえ。つまり、「いられそう」と思う人と、わたくしとのロマンは、若干違うことになります(笑)。ああ、なんの参考にもならない……。

さて、歌ですが……玉置さんの、音程コントロールの見事さを改めて感じる曲です。この曲は、音程の上下がいつになく激しく、歌えると思って歌い始めてもなかなかうまく歌えない歌になると思います。「揺れる瞳」とか、こんなに正確に上下できないです、わたくし。もちろんできる人は当たり前にできるんですが、できない人がこれを歌うと痛々しい感じが一気に……まだ曲の冒頭に、とんだ寒風が吹き込んでしまいます。また、サビが他の部分よりもかなり高いのですが、これも、サビ単体なら、声の高い人ならそれなりに歌えると思います。しかし、サビを歌い終わった後、またAメロに正確に戻れるかといえば、そうではありません。

武沢俊也さん、きっと歌えるんです、こういう歌。歌えない人はたいがい思いつきませんから、こんなメロディーと展開は。安全地帯のみなさんは、アマチュアのころからコーラスがとにかく巧かったそうですから、お一人お一人もかなりの歌い手なのです、そう、きっと俊也さんもそうなのでしょう……。それに加えて超弩級ボーカルの玉置さんがいたのですから、これは強力すぎます。アマチュアのコンクールで、中学生にもかかわらず、中島みゆきさんに次ぐ二位を獲得したのも当然でしょう。

しかしまあー、「小さな肩」を「いつか抱きしめた」って、しかもそのことは今も「秘密」のままだろう、なんて、玉置さんがいうともの凄い説得力ですね。玉置さんが背が高く肩幅も広い、という物理的条件もある程度説得力を増しているのでしょうけども、なにより、こういう歌を歌うセクシーさとロマンチストっぷりが、いかにもそういうことがありそうだ、と思わせる最も大きな要因であることには疑いの余地がありません。ほんとうに、人ごみの中で、ふと、そんなことを思ってそうなんですよ、この歌いっぷりは!これは玉置さん以外が歌っても、この説得力はありません。若き日の石坂浩二くらいです、似た説得力を出せるのは。あとは、火野正平さん……うーん、ちょっと違うなあ。何が違うかはわかりませんが、何か違います。「とうちゃこ」のイメージが邪魔して、うまく考えられません(笑)。

ところでギターをコードストロークでかき鳴らしながらこの曲を弾いてみたのですが、最後でつまずきました。あり?あ、半音上げだ!30年も気づかなかった……(大泣)。

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2017年08月31日

あのとき……

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安全地帯V 好きさ』八曲目、「あのとき……」です。

NHK「玉置浩二ショー」で、松井さんがゲストに招かれていたとき、青田さんが「安全地帯Vのなかで今一番歌いたい曲は?」とお聴きになったとき、玉置さんが答えたのが、この曲でした。

玉置さんと青田さんが出会ったのは、おそらく1990年ころでしょうから、この曲の「きみ」が青田さんであるはずはありません。ですから、青田さんとのどんな時間も、「あのとき」ではなかったはずなのです。

それなのに、玉置さんが、松井さんと青田さんの前で、いまいちばんこの曲を歌いたいと言ったことに、なにか因縁のようなものを感じてしまいます。そんなはずはない……いや、でも、しかし?……なんて反問するのも愚かしいほど、可能性はないでしょう。

青田さん、この曲がつくられたころは未成年でしょうし……玉置さんも「年下が好きなんです」とか何とか言ってごまかせそうな(ムリ)年齢はとうに超えていたことでしょう。

松井さんの『Friend』には、「女優との恋も彼にとってはすでに歌の物語になりつつあった」と記されています。ですから、この「きみ」は石原さんのことであって、「あのとき」とは石原さんとの恋で分岐点となったときのことだと考えるほうが、ずっと自然です。

「きみ」が青田さんであったなら……「あのとき」が青田さんとの出会いのころだったなら……この「玉置浩二ショー」の一幕は、そんなはずはないと思いつつ、ちょっと妄想をたくましくしてしまうワンシーンでした。おそらくわたくしが心の底で、「青田さんと松井さんの前で、石原さんのことを歌った歌を歌うなんて、そりゃーないぜ」と思っているから、反射的にそんな妄想をしたのでしょう。わたくしが過剰におセンチなだけで、世の中の人はもっとサバサバと「元カレ」とか「元カノ」とか言いまくっているのかもしれませんね。わたくしにはとてもそんなことできませんなあ。松井さんも苦笑するしかなかったように見えたのは、きっとわたくしの希望的観測ってやつでしょう(笑)。

さて、ようやく曲の話に入ります。

遠くから薄いシンセの音が聴こえてきて……エレクトリックピアノがジャン……ジャン……と二分音符で鳴らされ、半拍遅れて、なにか可愛らしい音色のアルペジオが入ります。このアルペジオが曲全体の基調を成しているものなんですが、情けないことにわたくしこの音色をなんと呼ぶのか知りません。シンセを丹念に一音一音チェックしていけば見つかりそうな音ではあります。なんとかスクエア、とかそんな名前でしょう。小鳥がさえずっているかのような、美しい音色です。

そして六土さんのベースが入り、玉置さんの歌が始まります。ベースはAメロの間ほとんど隠れています。そしてサビに入り、一気に惚れ惚れするような低音部を使ってリズムをとりますので、かなり目立ちます。これはベーシストになりたい!と思わせるに十分な演奏です。問題は、これからベーシストを目指すような少年はこういう曲を聴きそうもない、ということです(笑)。うーん、わたくし年少のころからさんざん安全地帯を聴いていましたが、ベーシストになりたいとは思いませんでした。ひととおりの楽器を体験し、自分で曲を作るようになって、大人になってずいぶん経ってからでないと、この魅力に気づくことができなかったのです。イヤハヤ……自分がボンクラすぎてイヤになります。「スティーブ・ハリスのベースラインこそがメイデンの曲をメイデンたらしめているんだよ」とか、したり顔で話している大バカでした。六土さん、あなたのベースは最高です。最高すぎて気が付きませんでした。

田中さんは、終始控えめなドラミングです。Aメロでは一小節に二回ずつだけ、ハイハットをわずかに鳴らしているのが聴こえます。サビでは、ハイハットを細かく……16分ですね、しかし、かなりかすかな音で、注意していないとうっかり聴き逃してしまいそうです。低音部でリズムをとる六土さんに合わせて強めに踏んだバス・ドラとリムの目立つ高音でリズムをとっていますので、ハットはかなり目立ちにくいように録音されています。なんと渋い……しかも、レコーディングはともかく、ライブでもこの音量バランスを再現するのですから、カミワザ級ですね。わたくし、こんなに静かにハイハットを刻めるドラマー、少なくとも身の回りにはいたことがありません。あ、ヘビメタばっかりやってたからそもそもドラマーも静かにハイハットを刻む機会がなかっただけなんですが(笑)。うーん、やろうと思えばできたのかもしれないですね。こういう「妙」とでもいうべき強弱の表現にわたくしが気が付いたのが、かなり後になってからのことだから、ほんとうはものすごい力量を持っていたドラマーなのに、わたくしが至らないばかりにそれに気づけなかった、といういことのほうが、よほどありそうなことです。すまなかったドラマーよ!そして、すみません、田中さん、あなたのドラムも最高なのに、ぜんぜん気が付きませんでした。

ところでギターのお二人なんですが、この曲では、もしかしてAメロではまるで弾いていないんじゃないかと思います。エレクトリック・ピアノと完全にタイミングを合わせてコードストロークをしているように聴こえないこともありませんが……ほとんど全体の演奏に溶け込んでいて聴こえないように思われます。サビの「あーのときー」の「あ」で、ジャイーンとコードを鳴らし、「いーとしさをー」の後に「トルルン」とアオリを入れているのは、比較的はっきり聴こえますので、この音色をたよりに聴いていくと、サビでは全体的にコードストロークとアオリをしていること、間奏のサックスの裏で細かいアルペジオが入っていることがわかります。しかし……わかりにくい……渋すぎです。間奏のアルペジオが矢萩さんで、サビのストロークは武沢さん、アオリはおそらくお二人で弾いているものと思われますが……自信がなさすぎて泣きそうです(笑)。

街でおいしいと評判のラーメン屋さんでも、カウンターにとつぜん海原雄山が座って「しょうゆラーメンをもてい!」とご宣下されたら、ふだんどんなに作りなれているラーメンでも「ほ、ほんとうにこれでいいのか?ねぎはこんな切り方でいいのか?」と、動揺してしまう……それと似た心境です、さっぱり意味が分からないたとえですが、要するに、ちょっとムリしようとして収拾が付かなくなっています(笑)。

さて、いまいちばんこの曲を歌いたい玉置さんですが、ライブ盤では、なんだか泣きそうな声で歌っているのが印象的なんです。「帰したく…ない……の……に……」は、ほんとうに帰したくなかったんだ!と、胸を衝かれます。これは、日本語がわからない人が聴いても「帰したくなかったんだ!」とわかるんじゃないか、というくらい真に迫っているんです。「歌の物語になった」、「あのとき」の出来事、心情は、このライブの時点では、まだ生々しかったに違いない……と思わざるを得ません。もちろんほんとうのことは玉置さんしか知りませんけれども、聴くほうがそうやって聴いてしまうんですね。玉置さんの、そして松井さんの、とてつもない力量によって、一通りの聴き方しかできないように追い込まれたと感じます。こんなに可愛らしい曲なのに、こんなにも切ないのです。「OKベイベー、わかったよ、そう、おれは日本語はわからないさ、でもこの曲は……そう、恋人が去って誰かが泣いているんだろう?それくらいわかるさ」とか、外国のタクシー運転手でも言いそうなくらい、普遍的失恋感の高い曲です。

帰らなくてはならなかったあのとき、もし、そこで何もかも後で始末をつける勇気を出せば、きっとふたりはこんな結末を迎えなかったはずなんだ……そこまでではなくとも、もう少し、ほんの少しだけ、瞳をみつめて思いを打ち明ければ……次のチャンスを待たずに、まさに「あのとき」にこそ言うことができていれば……

でも、それは後だからわかる事なのであって、リアルタイムでは「いま」が「あのとき」だとはけっしてわからないのです。

「Tonight is the night」と英語圏の人は言いますけど、英語話者だからといってそのタイミングがわかる、ということはありません。ただの景気づけに過ぎないものです。

きっと、世界中の誰もが想い出の中にもつ「あのとき」を、これ以上ない形で玉置さんと松井さんが表現した曲、といえるでしょう。このテーマなら、きっと世界中のどんなミュージシャンでも、この二人にはかなわないでしょうね。

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2017年08月27日

今夜はYES

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安全地帯V 好きさ』七曲目、「今夜はYES」です。アナログ盤ですとこれがB面一曲目になります。

冒頭の、ホーンセクションによる16分の刻みが、もうそれだけで勝ち!ってくらい印象的な曲です。なんでしょうね、ただ刻んだだけなのにこの魅力!そしてギターとのかけあい!これは基本的に矢萩さんが担当されているようです。映像で見る限り、武沢さんはひたすら刻んでいるように見えるからです。例によって手元はほとんど映してくれていませんので、手元以外のアクションで類推するしかないんですが……。

ライブ盤ですとギターが聴き取りづらいですのでスタジオ盤でよーく聴いてみると、右チャンネルからアオリというか、目立つギターの音が、玉置さんのボーカル、ホーンセクションとのかけあいをしています。そこで左チャンネルに耳を澄ますと、「シャリーン」とした音で、「ンシャシャシャッ!ンシャシャー!ンシャシャシャッ!ンシャシャー!(テキトーですみません)」というギターがほとんどひっきりなしに奏でられているのがわかります。おそらく、これが武沢さんだろう、とわたくし考えております。

うーん、武沢さんが上手(かみて)の立ち位置なんだから、右から聞こえてきてほしいんだけどなー、でもミックスの段階で矢萩さんのカケアイは右から聞こえてきたほうがいいと判断したのかもなー、ミックスってのも気を遣って大変だねー、とかのんきに思っているのですが、単にわたくしのDACが左右反対になっている不良品だという可能性もなくはないので(笑)、念のために部屋のオーディオでも鳴らしてみましたが、左右はPCと同じでした。ああよかった。部屋のオーディオもPCのDACも両方不良品だという可能性もまだ残されてはいますが、まあ、普通に考えてそれはないでしょう。あとは、わたくしがしたり顔で言っていた「この音が矢萩さんで、こっちが武沢さん」が実は逆なんだということのほうが、よっぽどありそうなことです。

完全に話がズレますが、おかげさまでというか何というか、ひさしぶりに部屋のオーディオを使いました。けっこう前の、ONKYOのCDシステムなんですが、これは便利だー!と思っていたのが何なんだろうと思うくらい、PCやらスマートフォンやらの音楽環境がよくなりましたね。こりゃーオーディオ業界も大変でしょう。まあ、もとはといえばPCメーカーやスマートフォンメーカーだってレコード会社だって、電器メーカーの系列会社だったりするわけですから、PCとスマートフォンのためにオーディオとレコードを犠牲にしただけなのかもしれませんね。その結果、Apple(とんび)にシェア(油揚げ)をドカンとさらわれたような気がしなくもありません。

閑話休題。さて、六土さんのベースが小気味よく「ボ・ンボ ボ・ンボ」を基調に、たまにオカズ的なヒネリフレーズを入れます。それだけなんですが、すごく存在感がありますよね。これは、おそらく音作りに秘密があります。おそらく、おそらくなんですが、アンプのトレブル(高音)を少し強めにしているのではないでしょうか。そうでなければ、いつもより速めにピッキングした(指弾きなので、何というべきかわからないですが、弦へのアタックスピードを速めた)のでしょう。音のハリが強めなんです。六土さんは、自分が目立とうなんて気はおそらくサラサラなく、この音がこの編成には最適だと判断されて、この、ボキボキ目の音を使われたのでしょうね。いや、これはバッチリすぎる音です。なぜそう言えるのかといいますと、わたくしがベーシストだった時には、どんな曲だろうとつねにこういう音でプレイしていたからです、目立つために(笑)。もちろん六土さんみたいに音作りがうまくはないので、いま聴くとペランペランのとんでもない音ですけども。

田中さんは、ひたすら八分です。何か変わったことやってるかな?と思ったんですが、わたしの耳でわかる範囲では(だからちっとも信頼感はないんですが)してませんでした。うーん、こういう目立つ音の多い曲では、そのほうがいいとお考えになったのかもしれません。わずかに、スネアの音を「ふつう→タイト気味→ふつう→タイト気味」と、ちょっと変えながら叩いているかな?と思わないんでもないんですが、「もしかしてそうかも」と思いながら聴いているとなんとなくそう聴こえてこなくもない、レベルの話ですから、あまりアテになりません。

おそらく、この、始終鳴っている「カカココカカココ」という、カウベルみたいな音があるために、ドラムはシンプルなほうがその音が引き立つとお考えになったのでしょう。で、そのカウベルみたいな音ですが、ライブでも聴こえるので誰が叩いているんだろう?と思って探してみました。うーん、田中さんの背中が映るときに、わたくしの田中さんチェックをかならず邪魔する人物(もちろんこれは立ち位置とカメラの問題であって、邪魔なんかしておりません)がいますね……そう、川島さんです。「夢になれ」のライブ映像でソロを見せてくれる、あのパッド、おそらくはデジタルパーカッションでしょう、で、このカウベルのような音を出しているものと思われます。川島さんの背中の揺れだけを根拠にそう判断しました。だってステージにカウベル叩いている人だれもいませんし……(人のことを邪魔呼ばわりしておきながら弱気)。

間奏が、また圧巻です。最後の、ホーンセクション、ギター、ベース、ドラムみんなのキメ連続に続けてホーンが上昇音階をたどるところなんて、胸の内部をわしづかみにされて喉から何かを引っ張り出されるんじゃないかと思うくらい、ゾクゾクッとします。書いていて気が付きました。わたくしこういうノリが大好物のようです。

さて、これらの強烈な音にちっとも負けていないのが玉置さんの歌です。「わたさない…!」なんて、ささやくようなのに力強いボーカルは、絶品の一言です。

六土さんの、ピッキングの速さでハリのある音を出す、という話を書いていて気が付いたのですが、もしかしてボーカルにも、そういう秘訣があるのかもしれません。「ドアのあかない」とか「抱き合いながら」とか、いま口ずさんでみたんですが、うまく口ずさめないんですよ。いや、わたくしがヘタなのはよくわかっているんですが、玉置さんのボーカルをよーく聴いていると、「あかない」の「あ」と「か」がほとんど同時に発音されているように聴こえるんです。おそらく「あ」をごく一瞬だけ、しかし明瞭に発声してから、あとはほどんど「か」を発声する……書いていて訳が分からなくなってきましたが(笑)、言ってみれば、抜群のリズム感と発声術を支えとして、このハリのあるボーカルを実現しているのでは?と、ふと思ったのです。ライブ映像では「抱き合いながら」のところで、「だきあ・いな・が・ら」と、玉置さんが意識して切りながら歌っている横顔が映るのですが、「いな」ってなんだよ、「いな」って!これだから天才ってやつは……と、常人を超えた言葉と声の操り方に、ほれぼれしてしまいます。もしかして、このリズム感覚こそが、玉置さんの「ささやくような声なのにハッキリ聴こえるもの凄いボーカル」の秘密なのかもしれません。

ところで「タイトな腰」で、玉置さんが腰をさするシーンがありまして、黄色い声が「キャー!」と上がるのですが、わたくしが同じ仕草をしても「大丈夫?どこかぶつけたんじゃない?」と言われて終わりになるに決まっているのです。なんだよ不公平だぞ同じ趣味なのに!それくらい、このときの玉置さんはキマッてます。ジゴロというかダンディというか、とにかく若さとセクシーさでサービスしまくりです。はっはっは、こりゃー現代の若手じゃちょっと勝ち目がないですねえ。現代ではそういう人しかメジャーデビューできてないんですから当然といや当然ですけど、このときの玉置さんは笑うしかないくらいの凄まじい魅力を放っています。

ところで、「レプリカント」って何でしょうね。『ブレードランナー』のアレでしょうか。未来都市……って、もう2017年なんだから、ぜんぜん未来じゃないんですけど、感情をもちはじめた奴隷アンドロイドのことだとしたら、松井さん、ちょっと皮肉が効きすぎです。2017年現在、奴隷アンドロイドがまだ開発されてないせいかどうか、私たち、わりと疲弊してます。そして、労働が終わった後、まだ地下鉄が走っているような時間ならばですが、地下鉄駅の出口から溢れるように、街に繰り出すこともあります……年に二回くらい(笑)。規制緩和で街はタクシーだらけ、ドアなんてこっちが手を挙げる前に開けてくれます。邪魔されずに踊りに行くようなダンスホールは、もうどこも閉鎖されていて……ああ、「クラブ」とやらがあるらしいですが、わたくし世代が知っているような地下のダンスホールへと続く階段はどこもシャッターが下りて、その手前にコンビニ弁当の残骸が残されているだけです。ああ、社会の変化と世代交代が、急に我が身に迫ってきたような気がして、ちょっと寝込みたくなってきました(笑)。

もっとも、わたくしアルミニウムの素敵な脚なんてもってませんから、これはきっと、80年代の夜の街にあふれたお嬢さんたちのことを言っているのでしょう。それが「レプリカント」……うん、やっぱり皮肉がかなり効いています。

夜遊び、と一言でいってしまえばそうなんですが、夜の街は、ある意味で人が成長する場でもあったのです。見栄に突き動かされて着飾ったり踊ったり、気のあるふりをしてみたり、ないふりをしてみたり、門限その他のルールを破ってみたりと、まさにひどいハシャギっぷりなんですが(笑)、そんな騒ぎの中で「知らない自分を知」る一瞬、というものが確かにあったような気が、しなくもないわけです。

これはスポーツでも芸術でも仕事でもなんでもそうなんじゃないかと思うんですが、何かに打ち込んでいるとき、人は自分のなかに眠っていた、あるいは気が付かないうちに蓄えられていた、ある種の才能を発掘することってないでしょうか。「あれっ、いつの間にかこんなことができるようになっている!」「私って〇〇向きだったんだ……」と。そうであれば、夜遊びだって事情は同じなのかもしれません。昼間はアンドロイドみたいにすまし顔の一人の女の子が、夜遊びに夢中になって、自分の中にある一面を開発されてゆく……どんな一面なのかは、もちろん人それぞれでしょうけども(笑)、そんなワンシーンを描いた歌詞であるように思われます。

そんな女の子に「YESだね」と叫ぶ玉置さん、何がどう「YES」なのかはさっぱりわかりませんが(笑)、ともかくご機嫌だということはよくわかります。まあ、玉置さんのことですから、ビルの谷間に設置されたバスケットゴールで3 on 3をして、ダンクシュートが決まって「YEEEES!」とか、そんなことは絶対ないでしょう。

「おおー、今夜もずいぶん遊んだねえ。楽しかったかい」

「ここからは、僕との時間だよ」

「YESだよね?」

とまあ、こんな感じで!

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2017年08月12日

ほゝえみ


安全地帯V 好きさ』六曲目「ほゝえみ」です。これがアナログ盤A面ラストの曲になります。

……なんでこんないい曲を作れるんでしょうね、安全地帯ってのは……わたくしが幼少のころに財津和夫の「切手のないおくりもの」を聴いて、美しいメロディーとはこういうものか!なんて心地いいんだ!と脳髄に叩き込まれていた快感を記憶の底から呼び起こした、美しいバラードです。

「歌うことがつらい作品もあったはずだった。しかし彼は、”そこ”を通らなければいけないことを、自分に言い聞かせているようだった」(松井五郎『Friend』より)

繰り返される「さよなら」は、石原さんへの「さよなら」なのでしょう。この歌を、OKが出るまで歌い続けるってどんな苦行でしょうか。”そこ”を作ったのは松井さん、あなたじゃないですか、とツッコミを入れたくもなるのですが、”そこ”は玉置さん自身の心の中に作るべき、ある区切りなのであって、松井さんはその区切りを歌詞という形で明確化させたにすぎないともいえるでしょう。「ぼくにとって、それが役目であり友情でもあった」(同上)という松井さんの言葉は、玉置さんの友人としてそうしなければならなかった、という意味と、玉置さんと一体化したかのような歌詞を書くアーティストとして、リスナーにリアルな玉置さんの心情を届けるべきであった、という意味の、二通りに読むことができます。

別れた恋人と、わりと接触を繰り返してしまう「いいお友達でいましょ」的なカップルはそれなりにいると思うのですが、それだって、心のどこかに折り目を入れる必要はあるでしょう。

同じ空の下にいるさ

あなたの笑顔を忘れずにいるよ

いいだろう?それだけは許してくれるよね?

なんだか、ぜんぜん折り目が入っていないように見えなくもないですが(笑)、折り目の入れ方というのは人それぞれでしょうし、これは絶対アウトだろう、という折り目の入れ方はあっても、正解はふたりの心の中にしかないのでしょう。ううー、早く忘れたーい、とか思っているようでは、まだまだ玉置さんの領域には達せません。折り目を入れるときは当然ですがとてもつらいですので、それどころじゃないですけど。

さて、この曲は、エレクトリック・ピアノだけの伴奏から、ベース、クリーン・トーンのアルペジオ、ストリングス、ドラムと入って、フル構成で盛り上げられていきます。

このクリーントーンの素晴らしさといったら!サビのアオリで、エレクトリック・ピアノのフレーズをなぞるんですが、明らかにギターの音こそがメインです。もちろん私がここまで興奮するのは、武沢トーンだからなんですけど、こんなクリーントーン、信じられないです。音圧がものすごいので、出音の大きいアンプを使っているのはもちろんでしょうけども、ごくごく浅くゲインをかけていると思います。ただ、そうすると、似た音にはなるんですが、わたくしのピッキングではどうしても少し歪みが出てしまいます。かといって、弱くピッキングするとこの音圧にはなりません(笑)。まだまだ研究ですねー。

ところで矢萩さんは、どうしていたのでしょう。耳を澄ませても、ほとんど聴こえてきません。ライブの映像で見る限り、アルペジオを弾いているように見えますが……正直、これはわたくし完敗です。スタジオ版ですと、武沢さんのアオリ直後に、ごーくわすかにギターっぽい音がするような気もするのですが、「おっこれかな?」と注意を向けて聴いていると、実は田中さんのハイハットだった……ということが繰り返されるばかりです。

しかし、ライブ盤ですと、武沢さんのアオリ音と違うアルペジオが、たしかに何度か聴こえるのです。これが矢萩さんでしょう。そう思ってライブ盤をよーく聴くと、アルペジオにアルペジオが絡んでいる、アオリも、よく聴くと左右から響いています。こ、これは……

おそらく、おそらくなんですが、これは、お二人が「風」や「…ふたり…」で披露してくれた、ダブル・アルペジオ・ショーなのではないでしょうか。ほとんど同じアルペジオで、アオリの前後だけ若干違うフレーズを弾いて、アオリではユニゾン……そう考えれば、アオリの音圧のすごさも、ちょっとだけ説明がつきます。つまり、ギター二本であの音を出していた、ということです。これが正しいと仮定しての話ですが、わたくし、武沢トーンに気をとられすぎて、同時に鳴っている矢萩さんの音には注意が向いていなかった、ということなのかもしれません。

さて、間奏と、ライブの後奏では、何かホーンがリードを採ってますよね。間奏は、なんだか以前武沢さんがギターシンセで出していた音みたいです。しかし、映像で見る限り、武沢さんはターナーを弾いています。そして後方で誰か一人、ホーンのかたに照明が当たっているのが確認できます。これはおそらく平原さんのサックス(ライブでは)なのでしょう。

このライブの後奏、メチャクチャ切ないですよね。明るめの音色、メロディーなのが、切ないです。必死に、必死に前に進もうとしている玉置さんに「大丈夫だよ」って平原さんが後ろから言っているかのようです。ライブでは、ここで玉置さんがマイクをスタンドのホルダーに戻し、客席に深々と頭を下げ、手を振って去っていきます。気が付くと、ステージにはもう誰もいない(わけないんですけど、引いたカメラの映像では、そう見えます)……そして照明が落ちます。

ここでライブが終わったわけはないですから、きっとお色直しなんでしょう(笑)。ただ、「ここで終わり」感がとても高い演出です。ライブはここで仕切り直し、CDもここで一枚目終わり、レコードでもここでA面終わりです。これを終わりとして受け入れるには、まだまだ時間的に物足りないんですが、この曲の強烈な仕切り直し感によって、いったん休憩を入れたくなります。ああ、これが一枚目最後の曲でよかった。この曲でなければ、絶対最後までアルバムを聴いてしまって、遅刻するに決まっています(笑)。

さてさて、歌詞と歌なんですが……切なすぎて、ぜんぜんお茶らける気になれない歌です。これはかなり気合を入れないといけません。それにしても……卑怯なくらい切ないです……。

別れによって失われたものが、夢に出てきそうで、眠れない、あるいは寝入るんだけど、悲しい夢によって目が覚めてしまい、眠り続けられない。

ここまでおセンチな気分になるなんて、どれだけ深く愛していたんだろう、と、想像するだに切なくなります。「あなたのせい」とささやく玉置さんは、ほんとうにはそんなこと思ってないんだよと、でもちょっとだけ意地悪なことを言わせておくれ、もう君のいない部屋なんだからさと、涙を浮かべながら言っているかのように聴こえます。実際には一人の部屋でこんなことブツブツ言っていたらちょっとおかしい人ですけど、ぜんぜんおかしく聴こえないんですね、この人が歌うと。玉置さんの歌は言葉であって言葉でない、独白であって独白でない、現実のどんなシーンでもないところで発せられる「思い」の発露としかいいようがありません。仮に失恋映画で、ポエムみたいな独白シーンがあったとしても、この歌詞を朗読するのはきっと滑稽でしょう。安全地帯の曲でなくては表現できない、何か特別の芸術としか言いようがありません。まあー、歌詞って本来みんなそうなんですけど(笑)、安全地帯の歌詞はとくにその度合いが高いように思われてまりません。

「夢になるから」で一気にクレッシェンドして入る最初の「さよなら」は、破壊力がかなり高いです。「うわー!泣かないでー!こっちまで泣けてきちゃう!」という気分になります。舘さんもチャイニーズティーなんか飲んでる場合じゃないですよ、この「さよなら」を聴きなさい!とか、うっかり言って、石原軍団に取り囲まれて取り調べを受けてもいいという気分です。

「ふたりみつけたもの」は、具体的には何なんでしょうかね。二人で散歩している最中に見つけた路地裏の喫茶店、とかかもしれませんし、そこで食べてものすごくおいしかったメニューかもしれません。つまり、そんな大したものじゃないはずなんです(笑)。よくある表現ではありますが、「何気ないもの」「何でもないようなもの」「いつもの風景に溶け込んだもの」なのでしょう。

わたくし、いわゆる「情」というものは、こうしたものの積み重ねにより増してゆくものだと思っています。高校生カップルが三年間の学校生活で共有した想い出、とか、そんなもん、なんぼのもんじゃいと思います(笑)。あ、いや、汗と泥にまみれて、喜びも悲しみもみんなこのグラウンドで僕たちは積み重ねてきたんだ……とかだったら失礼しました、それは別の物語ですので、どうかここではご勘弁ください。いわゆる男女とか家族とかの愛情ってやつは、いつのまにか「愛」の部分はアタリマエになって、普段はあんまり感じないものになってしまうような気がするんです。そこでモノをいうのが、積み重ねてきた「情」なんだと思います。

「さよなら」を繰り返し、「最後のさよなら」で、必死で気持ちに折り目を入れようとする玉置さん、という演出なんでしょうけども、そんな演出、一見残酷すぎます。でも、これが松井さんの「役目」であり、「友情」であったのです。気持ちに折り目を入れるんだ!君は先に進むんだ。さあ、立つために、いったんここではしっかり転ばないといけないよ!……こんなセリフを、失意の友人に言えるでしょうか。わたくし、これに近いことを、一度だけしたことがございます。その友人は大事すぎる友人でしたから、そして、その役目を果たせるのは私しかいませんでしたから、そういたしました。「女なんて星の数ほどいるさ、元気出せよ」なんてのは、目をそらそしてごまかそうとしているだけなんですね。その友人にとって大事なのは「女」じゃなくて、「彼女」だったからです。

「消さない」で半音上げ、曲は最後のサビへと向かいます。もう、「さよなら」は歌いません。折り目を過ぎたからです。「同じ空の下にいるけれども、傍にはいない」彼女を受け容れ、主人公は前を向きます。「微笑み」を忘れないと誓いつつ。

きれいさっぱり忘れるぜー!というのはムリなんですね。情があるから。逆に言うと、大して情のない段階で別れていれば、きれいさっぱりに近いくらい忘れることは可能でしょう。「春に出会って春に別れるコメディー」をやってしまったことのあるワタクシはよく存じ上げております(笑)。

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2017年08月09日

乱反射

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安全地帯V 好きさ』五曲目、「乱反射」です。

最初に野暮なことわりを入れないといけないのですが、2011年になにか『乱反射』なる映画があったようで、それがわりと若い人向けに流行ったものっぽいものらしいのです。

このページは安全地帯の「乱反射」という1986年の曲を語るページです。2011年の映画の話はこちらへどうぞ。

さて、いきなりタイトルがみごとな比喩ですね。アノ様子が乱反射だなんて。歌詞もアレンジも、完全にアノ様子です。疑う余地がありません。

そんなわけで、青春映画の情報を検索で求めて迷い込んだような方々には、ぜひともお引き取り願う必要があるわけです(笑)。

デビッドボウイの「China Girl」はなぜ「Chinese Girl」でないのか?とか話せる友人がほしくて得られなかったわたくしが、数十年を経てやっとネット上で思い切り好きな音楽の話を書きまくる場を手に入れたというのに、そんな生まれも育ちも思い切り違いそうな趣味嗜好の人に「イヤらしい話を読まされて傷つきました、謝ってください」とか言われたくないです。ちなみになぜ「Chinese Girl」でないのかは知りませんが(笑)、レイヴォーンのギターに聴き惚れている間に曲は終わります。大丈夫です。

さすがにもう大丈夫ですよね。

前奏で、不穏なアルペジオを奏でるシンセに乗せた、これまた不穏な音色の主旋律がありますね。これ、何の音なんでしょう。普通に考えればこれもシンセなんですが、もしや、もしや、これはギターなのではないでしょうか。これ、武沢トーンの響き……だと思うんですよ。単にこの頃にはシンセが進化して、武沢さんが出したかった音がシンセでも出せるようになってきた、というだけのことかもしれませんが、わたくしにはこれは「La-La-La」の間奏でずーっと繰り返されてきたあの音色に聴こえるのです。あー、こんな言わなくていいこと言うから、耳が悪いってバレちゃうんだよなー。でもいいんです。耳が悪いのもアホなのも、隠すために記事を書いているわけではないですから。ギターを弾く人はギターが下手なのを隠すために弾いているわけではないでしょう。隠すためなら弾かなければいいんです。中学生が仲間内で見栄を張るのとは違うんですね。うーん、なんでしょうかね、二十代後半くらいからその手の見栄がなくなってくるんです。これを枯れるというんですけども。十代や二十代の子に見られるあのキラキラ感は、もしかして見栄の輝きなのかもしれませんね。見栄を張るならデビッドボウイとか聴いて音楽通ぶればいいのに、そうしないのが若いころのわたくしとは違うところです(笑)。

話がすっかりボウイにそれました。えーと、まだ前奏でしたね。この前奏では、六土さんのベースが、まるでフレットがないんじゃないかというくらいウネウネとうねります。これはイヤらしい!ドラムも……この「ガシャンシャン!」と左右に響くこの音は、通常のドラムセットにはない音ですので、田中さんとは別の方がパーカッション担当でこの音を出しているものと思われます。これがまた……ああ、いわゆる神のデザイン風の解釈になってしまいますが、もう右へ左へと心を騒めかせる、あのドギマギした心情にしか聴こえてこないわけです。

だいたいここは、コード進行からしてEフラット→Dフラットの繰り返しという、もう目は一点しか見ていないのに心は左右に揺さぶられっぱなし、という心境を表現するのにこの上ないくらい単純かつ不穏なコード進行なのです。これは、作詞と作曲を別の人がやったとはにわかに信じられないシンクロ具合です。久しぶりに書くと、玉置さんと松井さんが完全に一体化しているんですね。もはや双子としか思えません(笑)。

さてさて、田中さんの派手なスネアで歌に入りまして、のっけから「ばらけたキス」です。これはもう、言葉の選び方だけでノックアウトと言っていいでしょう。ことばの意味だけでいえば「ほどける」でもいいんですけど、玉置さんが最初に「ばあっ!」と息を吐くように叫ぶのがポイントなんですね。「ほうっ!」ではやる気が半減します(笑)。

碧い素肌に血が滲んだりしている間に、矢萩さんが「床の下のド根性」な細かい刻みで、気が急いて急いて仕方ない心情を見事に表現します。武沢さんは「シャーン……シャーン……」と沈静していると思ってたら「トルル!トルル!」と、これ以上ない武沢トーンにディレイをかけた大音量で感情の起伏を聴かせてくれます。六土さんは「ンドゥ!ドゥ!ンドゥ!ドゥ!」と低い呼吸を、田中さんは大きめのバスドラの音と小さめながら鋭いスネアの音を組み合わせて高鳴る鼓動を、それぞれ表現しているかのようです。これはひどい、完全にアノ時です(笑)。アッチ方面に完璧すぎて恐怖を覚えるほどのアレンジ及び演奏です。

気が急いて胸が高鳴っているんですが、運動会で「次は僕の番だ、ううー緊張するなあ」とか、合格発表で「〇〇番、あってくれ!お願いだ!」とかの高鳴りじゃないんですね。そういう場面でこの曲が頭に流れる人は、人生というものをもう一度冷静に見つめなおすことをお勧めいたします(笑)。大好きなあの娘に愛の告白をすべく電話をかける6700的な高鳴りとも違います。どっちかというと、その後待ち合わせの場所であの娘が来るのを待っている間の高鳴りに近いでしょう。来るのはわかっているし、することもわかっているんだけど、それでもなぜか胸が騒めく、落ち着かない、そういう心情です。

脳科学的に測定した結果、いずれも同じ部位が反応していることが判明しました、とかだったらコケちゃいますけど(笑)、違うんだよアノ時はあー!と声高に主張する人も立証しようと実験と測定をする人もいないでしょうから、おそらくこれは謎のままでしょうね。そういう内容の論文で英国科学雑誌『ネイチャー』に掲載されました、とか日本の新聞で報道されでもしたら、科学者としては甚だ不本意な形で有名になってしまう可能性があります(笑)。

さて曲はBメロに移り、リズム隊が八分刻みに移行します。これで一気呵成なスピード感が演出されます。もう、どうにもできない、どうにもならない、いや、どうにかはなっているんですけど、それ以外どうしようもないっていうか、何か天変地異でも起こらない限り止まらない心情に至っています。

しかし、ここはまだ「狂いはじめてる」とか描写しているくらいには、まだ余裕があったのです。サビの「だめに!だ!だめに!」とか、日本語がこわれるようになると、ああー、もう余裕ゼロだねーとよくわかります。「Down」とか、珍しい英語が混じるようになるとさらにいけません。松井さんの天才ぶりが、日本語を壊すという手法を用いることでいかんなく発揮されているのです。ドリフの「ニンニキニキニキ」のように、はじめから壊れているのとはワケが違います。いや、あれも天才的だと思いますが、松井さんの天才っぷりがそれをはるかに上回ったというべきでしょう。

しかし、こわれた日本語に混ぜて「ただの女になる」って、玉置さんが歌うと、ただごとじゃない感が恐ろしく高いですね。選挙で「わたしを男にしてください!」とか「無垢な少女が恥じらいながら初めて女になっていく」とかではありません。あ、冷静に考えたらそっちのほうが割とただごとじゃないんですけど(笑)、玉置さんのような、なんというか、野生というか自然というか、そういうピュアだけど獰猛な何かを隠し持ってそうな人が、ぼくと同じフィールドにおいでよ、と誘っているかのようなんです。そのフィールドでは、あらゆる社会的なラベルは外され、ただの男、ただの女、だけが残る、そんなイメージです。まあ、アッチ方面ですから当然といえば当然なんですけど(笑)、この、虚飾を排するときの徹底ぶりが圧倒的すぎて、選挙とかの社会的作りごとが煩わしいこととして吹き飛ばされるくらいなのだろう、と思わせるのです。

さて、歌は二番に入りますが、興奮していささか語りすぎてしまったようです(笑)。軽く語ることを心がけてまいりましょう。

ゆびは恥じらっているのに、胸が渇いて泣くって、想像するだに生々しいです。「心が笑う」というのも、土曜の夜にドリフのコントを観てゲラゲラ笑うのとは違います。あれは笑おうと待ち構えて笑いますよね。この歌での「心が笑う」は、「心が喜ぶ」に近いのでしょう。喜んではいるけれど、わたしの中のもう一人の自分は冷めている、だから心から喜んでなどいない、なんて比喩が成立するくらい、全員全霊で喜ぶというのは、実は難しいことです。

玉置さんが、というか松井さんが意図しているのは、おそらく、こういう余裕すらなくした喜び、を表現することなのではないでしょうか。ゆびが恥じらっているというのは、まだ余裕があるのです。「だめになる」「迷いもこなごな」と、いろいろな表現で、この余裕をなくして全身全霊が喜んでゆく過程を表現している……ように思われるのです。

さて、曲はまた前奏と同じ……このまま終わるのか、と思いきや、玉置さんが何事か囁きます。「そばにいて……」などと、歯の浮くようなセリフですが、これはどう考えてもかけひきではありません、本気です(笑)。それが証拠にというかなんというか、また歌が始まるのです。全身全霊で「よろこぶ顔」のふたりを、妬んでいる「奴は誰だ!」と、強いセリフです。まるで外敵を追い払うライオンのようです。これは獰猛です。田中さんの鋭いフィルインを挟み、「na tili, nan na tili!」と、意味のない歌詞で歌う玉置さんが、猛獣のようなピュアさ、力強さ、貪欲さを表現しています。時折遠吠えのような声さえ織り込まれているのです。オーバー・ドライブの効いた矢萩さんの粘っこいソロが、しなやかな猛獣の疾走を思わせます。このアレンジの徹底っぷりたるや!そして曲はフェードアウトしてゆきますが、これは終わるべきでない曲ですので、これしかないでしょう。

おそらく、過去最長の記事を書いてしまいました。この曲はもっともっと評価されるべき曲だとわたくしが信じているからです。ただ、いかに「このエロさがすごいか」を評価しよう!というのもとても憚られますので、安全地帯のファン界隈でもあまり話題に上らない曲になってしまっていそうな感じがします。もったいない!こんなにエロいのに!(笑)。エロさ抜きでも、もちろん一線級の曲だと思います。

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2017年07月29日

月の雫

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安全地帯V 好きさ』四曲目、「月の雫」です。

ああ、まだ四曲目なんですね。どうも三枚組構成に慣れないためか、一枚目終盤クライマックス感が漂っているような気がしていました。いけないいけない。

「シルエット」に似た、ふたりでしっぽり、の曲なんですが、こちらは愛しさあふれる「シルエット」とはやや違って、何か悲壮感が漂う曲となっています。

なんだよ!シアワセなんじゃん!何が不満なんだよわかんねえなー!

とか思うんですが、ふたりにはふたりにしかわからない、というか、リアルタイムでないと当人たちにもよくわからない、満足感をチクチク阻害する何かを受信してしまうことがあるような気もします。ああー、そんなこともあったかもねーさっぱり覚えてないけど。あとで、「銀色のピストル」でその正体が少しわかる気がして、これは……松井さん、あなた仕込んでおきましたね?という気分になれて好きなのですが、ここまで考えるのは、さすがにわたくしが病的におかしいだけである可能性が高いです(笑)。

さて、アレンジですが、意外なことに、この曲は間奏以外はすべてオリジナルメンバーの五人だけで演奏しているように聴こえます。キーボードが入っていないか、入っていてもごくわずかなのでしょう。左チャンネルから、「冬花」で使われたようなタンバリンを太ももでたたいたような音が聴こえていますが、これを五人以外の誰かが叩いている可能性がわずかにあるくらいで、基本的には五人だけで演奏したとみるべきでしょう。

クリーントーンのバッキングギター(武沢さん?)、わずかに歪ませたリードギター(矢萩さん?)の絡みが、非常に目立って聴こえますね。これはうれしい!そして、六土さんが、ドオーン・グイグイーン・ドオーンという、音がでかいのに目立たない、という、奥ゆかしさ満点のベースで、この陰鬱な感じを最大限に演出します。田中さんのドラムは、よーく聴くと、ずーっと細かくハイハットを刻む音が小さく小さく入っています。単にわたくしのヘッドフォンがヘボいだけかもしれませんが(笑)、この「チチチチチチチチ……」に気がつくと、もう田中さんのトリコです(笑)。あなた、なんて渋い仕事をなさるんですか!これはアップダウン奏法でできるわたくしの最高スピードを越えているような気がしますので、わたくしがこのスピードで叩こうとすると両手でやることを真っ先に考え、次に叩く数を半分にしようとたくらむのですが(笑)、おそらく田中さんは片手でニコニコしながら叩いたのに違いないのです。

間奏なのですが……シンセと、何かホーン……が入ってますよね。尺八?と思ってクレジットを見ても尺八なんて書いてません。しかし、下のほうにフリューゲルホルンなる見慣れない楽器の名があります。これか?と思ってyoutubeでフリューゲルホルンの音を聴いてみるのですが、うーん、これっぽいんだけど……くらいしかわかりません。うう、相変わらずホーンに弱くて情けなくなってきます。悔しまぎれにいうと、フリューゲルはドイツ語で翼を意味します。何を言っているのでしょう。横浜フリューゲルスがなくなったのがいまだに心痛の種なんです。ああ、そういや母体は全日空でしたね、だから翼なのか、くらいに思ってくだされば幸いです(ゴマカシ完了!)。

いよいよ歌詞の話を……わたくし、「ひとりになれない」ことが「かくされた孤独」だというフレーズに、初聴のときから完全にヤラれてしまったのです。なんてものすごい表現なんだ!ひとりになりたくてもなれないのは、孤独の一種なんだ……この後、わたくしが孤独を愛する少年を演じがちになったのは言うまでもありません。「ひとりになれないっていうのも、なんだか寂しいことだよね?」とかいうセリフを口にする瞬間を待ち構えて待ち構えて……とうとう言うチャンスがないまま少年期を終えるわけですけども(笑)。この歌詞全体の話をちょっとでも想像すれば、子ども集団の中で他者と不自然に距離をおこうとする話でないのは明白なんですが、わたくしそのワンフレーズだけの威力にすっかり参ってしまったわけです。

そのころ、そうそう、ハレー彗星なる天体が地球に接近した影響で、少年たちの間でちょっとした天文ブームが起こっていました。わたくしがこのアルバムを聴いたのは時期的にもうちょっと後ですが、まだまだどうして、スーパーやデパートには天体望遠鏡がずらりと並び、親の散財を待ち構えていたのです。恒星はいくら見てもボンヤリでしたが、惑星や月はよく見えました。わたくし月夜の晩には望遠鏡を取り出し、月を見ていたのです。「月の雫」が、恋人たちのどこか乾いてしまった心を潤そうとするかのように、逢瀬の窓から差し込む月光だなんて考えもせず、このアルバムを聴きながら月を見ていました。当時流行っていたミニコンポのグラフィックイコライザーが、暗い部屋の中でピコピコ動いていました。これはかなり異様な光景といえるでしょう。わたくしが親だったら行く末を案じたに違いありません。

そんな始末ですから、この歌詞に正面から向き合ったのは、それよりだいぶ後になります。もうその頃にはわたくしの部屋には天体望遠鏡はなく、かわりにいまでも使っているストラトキャスターが置いてありました。ああ、人間、なんでも発達の段階ってものがあるんですね。

ともあれ、いまは情景が理解できているような気がいたします。玉置さんの、月の光のように染み入る歌というのは、二人でいるがゆえの僅かなイラツキを抱えつつも愛しくてたまらないという、焦りにも似た気持ち、このさき二人がどうなってゆくのかわからないという不安、静かな夜にふと破局・破滅を心のどこかで望んでしまいそうな快楽……ダメだーことばが浮かばない(笑)、けども、こういう複雑な心情を表現するのに、これ以上の歌はないだろうと思われるのです。ひたすら「好きさ」と言い続ける歌と、見事な対照を成しているというのは考えすぎでしょうか。もし、そうであれば、もちろん、それも作戦のうちなのでしょう。

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