『安全地帯V Harmony』一曲目、「銀色のピストル」です。
Am7でアクセントを入れながら弾かれるピアノ、合の手を入れるシンセパッド(?)、これらがささくれだった心と心の、ギスギスしたやりとりを思わせ、
発砲音を思わせるパーカッション、弾の装填・撃鉄起こしを思わせるギターと……これらが、ギスギスしたやり取りの中でこらえきれずに吐いてしまう配慮のない本音を思わせます。
そしてズシ!ズシ!と前進を促す六土さんのベースと田中さんのフロアタム、突撃の進軍ラッパを思わせるホーンセクション……いやー、イントロからしてすでに痴情のもつれ感が満点です。これはもう銃撃戦に突入やむなしでしょう。ぜひ、傍から見守る立場でありたいものです(笑)。
あげくに、玉置さんの歌が「何もできないままで きみは泣くくせに」という、こういうときにこそ絶対に言ってはならないセリフを吐き捨てるのです。これはピストルどころではありません、これは航空編隊による基地爆撃レベルの破壊力です。それを言ってしまうと全面戦争に突入せざるを得ませんし、終戦後もずーっと外交カードの一つとしてチクチク嫌味を言われ続けるということは、まさに歴史が語るとおりです。もしあなたが、こうした先人の愚を犯すことを避けたければ、「傷ついたから謝れ」という理屈を振り回すような人とは、ぜひ遥かなる距離を置き続けることを強くつよーくおススメいたします(笑)。
さて、曲はAメロに入りまして、二小節ごと二拍目に「ヒューイッ!」という口笛のような音が挟まれたほかは、基本的にはイントロと同じ臨戦態勢で一触即発のまま進みます。
Bメロ、いや、これはサビですね、それまで細かく刻まれていたギターが咆哮を上げ、局面が動きます。武沢さんがうっとりするような鋭いクリーントーンでアルペジオをキメます。クリーントーンが「鋭い」って、その言葉だけ聞いたらちょっと想像つかないですが、武沢さんの、このアルペジオを聴くと、そうとしか言えないんです。矢萩さんの音はかなり聴こえづらいですが、左チャンネルでディストーションを使って、サスティンを生かした長いコード弾きをしているように聴こえます。ディストーションってこんな感じで音が奥に引っ込んでしまいがちですから、わたくしはメタリカとかメガデスとかを演奏するときでもディストーションを使わないんですが、矢萩さんのこの音は、見事に武沢さんの音を際立たせたうえで、曲に深みを与えることに成功しているように思えます。ディストーションって、こういうふうに使うんだ、と気づかされる思いです。あ、例によってわたくしが全然聞き間違えている可能性はもちろんございますので、そこはご勘弁を(笑)。
BOSSのメタルゾーンというディストーションを手に入れたとき、わたくしその音作りの幅があまりに広いことに感激し、もうこれ一台だけでいいじゃん!とすっかり思い込んで、持っていたマルチエフェクターを売り払ってしまいました。しかし、ライブに使ってみるとあまりに音が引っ込むのでついつい音量を上げすぎ、へっぽこなボーカリストの声をさらに聴こえにくくするという愚挙を犯すことになってしまったのです。後日、いそいそとオーバードライブを買いなおしに行く羽目に……。さらにアホなことに、ディストーションなんて使い物にならん!と思い込み、この「銀色のピストル」の記事を書いているこの瞬間まで死蔵していたのです。あーよかった、これは売らなくて(笑)。なんでも適材適所だし、使う人の心がけ次第、工夫次第なんですね。
玉置さんの「泣くくせに」弾が裏打ちのピアノに載せて炸裂したところで、曲は間奏に入ります。いままで潜伏していた矢萩さんが轟音の飛行機を思わせるハードなアーミングで、第二次攻撃の襲来を予感させます。
またもやAメロ、玉置さんの「わけもなく抱く女」砲が初弾からヒット!これはキツい……悶絶ものの破壊力です。たたみかけるように「許せもしない罪」弾が炸裂します。これもひどい!どう考えても人の道に反していることがバレバレです。「にんげんだもの みつを」とか付け加えても、火に油を注ぐだけで、消火効果はゼロ、いやマイナスです(笑)。
さらにトドメとばかりに、最初のサビが繰り返され……いや、正確には、「わざと傷ついて」弾を隠し持った雷撃隊が低空に侵入し、放った魚雷の航跡が海面を迫ってきている間に、「きみは泣くくせに」弾が急降下爆撃機から投下されてきます。もう、メチャクチャです。これは、もう総員退艦、沈むしかありません。
あ、ピストルの話だったのに、いつのまにか機動部隊による艦隊攻撃に変わっていました(笑)。いやー、この曲、破壊力がピストルじゃたとえにくいんですよ。そんなわけで、「銀色のピストル」が何なのか、という話を強引に入れてみますと……
浮気、ですよね、ふつうに考えたら。ふつうに考えるとぜんぜんカッコよくないというか、悪いことなんですが(笑)。
ほかの女性に心を案外、意外と、けっこう奪われているという事実が半分バレてしまい、いやむしろ何かの腹いせで意図的に少しバラしてしまい、追及のまなざしを打ち砕きます。かつてふたりが味わったあこがれ、ときめき、その手の感情にすべてヒビが入ります。
あー、やっちまったー……ふたりが作り上げてきたものを失いつつある実感、さみしさが、情事をおそろしく気まずいものにします。なんでそこで情事なんだよとは思うのですが、そこはそれ、まあふたりのことですから、他にはうかがい知れない事情ってものがあるのです(笑)。まあ、「わけもなく」と言ってしまうようなものではあるのですが、ふたりが作り上げてきた日々そのものが十分な「わけ」として機能することもあるでしょう(なるべく評論家のようなポジションを確保しつつ。ベレー帽にサングラス、パイプでも咥えている感じで)。
こんなとき、いくら愛しているなんて言ってもだめなんですね。かつては愛しているといえば愛は燃え上がったものですが、その言霊が今回は逆効果ばかり生み出します。なんだよこんなに頑張っているのに!きみは泣くだけだしさー!(そりゃ泣きますよ……)。こんなに「愛され」ている君は、それなのに疑いの目を向けてくるんだ(当たり前だろ……)。
もう、こうなると、ダメですね。ふたりの関係以前に、自分がダメです。少なくとも数か月は冷却期間を置かせていただいて(これだって土下座モノです)、それでもダメなら「ピストル」を放棄して丸腰で怯えながら暮らすか、刺されるか、別れるか、行方不明になるか、財産を失うか、と、トランプでいうと全部ババです(笑)。自分が悪いんですから、腹をくくって一枚引くしかありません。一枚で済めば儲けものかもしれません。
さて、スタジオ版では矢萩さんの銃撃しまくりなソロを響かせつつ、フェイドアウトしてゆきますが、『安全地帯LIVE』では、この銃撃ソロを最後まで聴くことができます。ライトハンドを織り混ぜ人の胸をえぐるようなフレージングを「うりゃうりゃ、これでもか、これでもか」と繰り出してくれます。これは沈みかけた艦の甲板に戦闘機で銃撃を加え、必死に消火活動を行う兵士を襲うかの所業です。サディスティックだなあー(笑)。
そしてラストに、左右にステップを踏む武沢さんがギターを高々と持ち上げ、クリーントーンを強烈なオーバードライブに切り替えます。最後の、ほんの数小節のために。「帰艦する」の合図を交わし去ってゆく編隊のように。この一連の動きが猛烈にカッコよくて、わたくしライブではステップの段階からよくマネしてたんですが、当然にその元ネタをわかってくれていた人はただの一人もおらず(笑)、自分だけ満足しつつも少しだけさみしい思いをしていたものです。
ところで、『幸せになるために生まれてきたんだから』に記された玉置さんのインタビューからは、この曲の、ピアノを弾く人がいなければサウンドにならない、という状況に至ったことを、窮屈に思っていたことが窺われます。そのくらい、この曲は、ピアノ、ホーン、シンセが、五人のサウンドと一体化しているのです。この時期では、五人だけを安全地帯と呼ぶには、音楽のスケールが大きくなりすぎているのは確かでしょう。五人のサウンドに肉付けして豪華にしました、ではなく、はじめからホーンやピアノがあることを前提に作曲しているとしか思えません。だからこそ、もう後には引けない感が日々に強くなり、玉置さんもだんだん苦しくなっていったのでしょう。もしここで一気に五人だけに戻すと、この時期の曲をほとんど演奏しないセットリストを組むしかなくなりますから。
このアルバムのあと、ほどなくソロ活動が開始されたのも、活動が一時休止されたのも、再開後も長続きせず10年もの休止期間があったのも、ある程度まで必然だったと思えてきます。「銀色のピストル」は、その原因となったオーバースケール安全地帯時代の、象徴とさえいえる曲だと、わたくしは思っています。10年も待たされたのは、この曲が良すぎたからなんだ、と思えば、わたくしも納得できるというものです。
価格:2,511円 |
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