『安全地帯V 好きさ』六曲目「ほゝえみ」です。これがアナログ盤A面ラストの曲になります。
……なんでこんないい曲を作れるんでしょうね、安全地帯ってのは……わたくしが幼少のころに財津和夫の「切手のないおくりもの」を聴いて、美しいメロディーとはこういうものか!なんて心地いいんだ!と脳髄に叩き込まれていた快感を記憶の底から呼び起こした、美しいバラードです。
「歌うことがつらい作品もあったはずだった。しかし彼は、”そこ”を通らなければいけないことを、自分に言い聞かせているようだった」(松井五郎『Friend』より)
繰り返される「さよなら」は、石原さんへの「さよなら」なのでしょう。この歌を、OKが出るまで歌い続けるってどんな苦行でしょうか。”そこ”を作ったのは松井さん、あなたじゃないですか、とツッコミを入れたくもなるのですが、”そこ”は玉置さん自身の心の中に作るべき、ある区切りなのであって、松井さんはその区切りを歌詞という形で明確化させたにすぎないともいえるでしょう。「ぼくにとって、それが役目であり友情でもあった」(同上)という松井さんの言葉は、玉置さんの友人としてそうしなければならなかった、という意味と、玉置さんと一体化したかのような歌詞を書くアーティストとして、リスナーにリアルな玉置さんの心情を届けるべきであった、という意味の、二通りに読むことができます。
別れた恋人と、わりと接触を繰り返してしまう「いいお友達でいましょ」的なカップルはそれなりにいると思うのですが、それだって、心のどこかに折り目を入れる必要はあるでしょう。
同じ空の下にいるさ
あなたの笑顔を忘れずにいるよ
いいだろう?それだけは許してくれるよね?
なんだか、ぜんぜん折り目が入っていないように見えなくもないですが(笑)、折り目の入れ方というのは人それぞれでしょうし、これは絶対アウトだろう、という折り目の入れ方はあっても、正解はふたりの心の中にしかないのでしょう。ううー、早く忘れたーい、とか思っているようでは、まだまだ玉置さんの領域には達せません。折り目を入れるときは当然ですがとてもつらいですので、それどころじゃないですけど。
さて、この曲は、エレクトリック・ピアノだけの伴奏から、ベース、クリーン・トーンのアルペジオ、ストリングス、ドラムと入って、フル構成で盛り上げられていきます。
このクリーントーンの素晴らしさといったら!サビのアオリで、エレクトリック・ピアノのフレーズをなぞるんですが、明らかにギターの音こそがメインです。もちろん私がここまで興奮するのは、武沢トーンだからなんですけど、こんなクリーントーン、信じられないです。音圧がものすごいので、出音の大きいアンプを使っているのはもちろんでしょうけども、ごくごく浅くゲインをかけていると思います。ただ、そうすると、似た音にはなるんですが、わたくしのピッキングではどうしても少し歪みが出てしまいます。かといって、弱くピッキングするとこの音圧にはなりません(笑)。まだまだ研究ですねー。
ところで矢萩さんは、どうしていたのでしょう。耳を澄ませても、ほとんど聴こえてきません。ライブの映像で見る限り、アルペジオを弾いているように見えますが……正直、これはわたくし完敗です。スタジオ版ですと、武沢さんのアオリ直後に、ごーくわすかにギターっぽい音がするような気もするのですが、「おっこれかな?」と注意を向けて聴いていると、実は田中さんのハイハットだった……ということが繰り返されるばかりです。
しかし、ライブ盤ですと、武沢さんのアオリ音と違うアルペジオが、たしかに何度か聴こえるのです。これが矢萩さんでしょう。そう思ってライブ盤をよーく聴くと、アルペジオにアルペジオが絡んでいる、アオリも、よく聴くと左右から響いています。こ、これは……
おそらく、おそらくなんですが、これは、お二人が「風」や「…ふたり…」で披露してくれた、ダブル・アルペジオ・ショーなのではないでしょうか。ほとんど同じアルペジオで、アオリの前後だけ若干違うフレーズを弾いて、アオリではユニゾン……そう考えれば、アオリの音圧のすごさも、ちょっとだけ説明がつきます。つまり、ギター二本であの音を出していた、ということです。これが正しいと仮定しての話ですが、わたくし、武沢トーンに気をとられすぎて、同時に鳴っている矢萩さんの音には注意が向いていなかった、ということなのかもしれません。
さて、間奏と、ライブの後奏では、何かホーンがリードを採ってますよね。間奏は、なんだか以前武沢さんがギターシンセで出していた音みたいです。しかし、映像で見る限り、武沢さんはターナーを弾いています。そして後方で誰か一人、ホーンのかたに照明が当たっているのが確認できます。これはおそらく平原さんのサックス(ライブでは)なのでしょう。
このライブの後奏、メチャクチャ切ないですよね。明るめの音色、メロディーなのが、切ないです。必死に、必死に前に進もうとしている玉置さんに「大丈夫だよ」って平原さんが後ろから言っているかのようです。ライブでは、ここで玉置さんがマイクをスタンドのホルダーに戻し、客席に深々と頭を下げ、手を振って去っていきます。気が付くと、ステージにはもう誰もいない(わけないんですけど、引いたカメラの映像では、そう見えます)……そして照明が落ちます。
ここでライブが終わったわけはないですから、きっとお色直しなんでしょう(笑)。ただ、「ここで終わり」感がとても高い演出です。ライブはここで仕切り直し、CDもここで一枚目終わり、レコードでもここでA面終わりです。これを終わりとして受け入れるには、まだまだ時間的に物足りないんですが、この曲の強烈な仕切り直し感によって、いったん休憩を入れたくなります。ああ、これが一枚目最後の曲でよかった。この曲でなければ、絶対最後までアルバムを聴いてしまって、遅刻するに決まっています(笑)。
さてさて、歌詞と歌なんですが……切なすぎて、ぜんぜんお茶らける気になれない歌です。これはかなり気合を入れないといけません。それにしても……卑怯なくらい切ないです……。
別れによって失われたものが、夢に出てきそうで、眠れない、あるいは寝入るんだけど、悲しい夢によって目が覚めてしまい、眠り続けられない。
ここまでおセンチな気分になるなんて、どれだけ深く愛していたんだろう、と、想像するだに切なくなります。「あなたのせい」とささやく玉置さんは、ほんとうにはそんなこと思ってないんだよと、でもちょっとだけ意地悪なことを言わせておくれ、もう君のいない部屋なんだからさと、涙を浮かべながら言っているかのように聴こえます。実際には一人の部屋でこんなことブツブツ言っていたらちょっとおかしい人ですけど、ぜんぜんおかしく聴こえないんですね、この人が歌うと。玉置さんの歌は言葉であって言葉でない、独白であって独白でない、現実のどんなシーンでもないところで発せられる「思い」の発露としかいいようがありません。仮に失恋映画で、ポエムみたいな独白シーンがあったとしても、この歌詞を朗読するのはきっと滑稽でしょう。安全地帯の曲でなくては表現できない、何か特別の芸術としか言いようがありません。まあー、歌詞って本来みんなそうなんですけど(笑)、安全地帯の歌詞はとくにその度合いが高いように思われてまりません。
「夢になるから」で一気にクレッシェンドして入る最初の「さよなら」は、破壊力がかなり高いです。「うわー!泣かないでー!こっちまで泣けてきちゃう!」という気分になります。舘さんもチャイニーズティーなんか飲んでる場合じゃないですよ、この「さよなら」を聴きなさい!とか、うっかり言って、石原軍団に取り囲まれて取り調べを受けてもいいという気分です。
「ふたりみつけたもの」は、具体的には何なんでしょうかね。二人で散歩している最中に見つけた路地裏の喫茶店、とかかもしれませんし、そこで食べてものすごくおいしかったメニューかもしれません。つまり、そんな大したものじゃないはずなんです(笑)。よくある表現ではありますが、「何気ないもの」「何でもないようなもの」「いつもの風景に溶け込んだもの」なのでしょう。
わたくし、いわゆる「情」というものは、こうしたものの積み重ねにより増してゆくものだと思っています。高校生カップルが三年間の学校生活で共有した想い出、とか、そんなもん、なんぼのもんじゃいと思います(笑)。あ、いや、汗と泥にまみれて、喜びも悲しみもみんなこのグラウンドで僕たちは積み重ねてきたんだ……とかだったら失礼しました、それは別の物語ですので、どうかここではご勘弁ください。いわゆる男女とか家族とかの愛情ってやつは、いつのまにか「愛」の部分はアタリマエになって、普段はあんまり感じないものになってしまうような気がするんです。そこでモノをいうのが、積み重ねてきた「情」なんだと思います。
「さよなら」を繰り返し、「最後のさよなら」で、必死で気持ちに折り目を入れようとする玉置さん、という演出なんでしょうけども、そんな演出、一見残酷すぎます。でも、これが松井さんの「役目」であり、「友情」であったのです。気持ちに折り目を入れるんだ!君は先に進むんだ。さあ、立つために、いったんここではしっかり転ばないといけないよ!……こんなセリフを、失意の友人に言えるでしょうか。わたくし、これに近いことを、一度だけしたことがございます。その友人は大事すぎる友人でしたから、そして、その役目を果たせるのは私しかいませんでしたから、そういたしました。「女なんて星の数ほどいるさ、元気出せよ」なんてのは、目をそらそしてごまかそうとしているだけなんですね。その友人にとって大事なのは「女」じゃなくて、「彼女」だったからです。
「消さない」で半音上げ、曲は最後のサビへと向かいます。もう、「さよなら」は歌いません。折り目を過ぎたからです。「同じ空の下にいるけれども、傍にはいない」彼女を受け容れ、主人公は前を向きます。「微笑み」を忘れないと誓いつつ。
きれいさっぱり忘れるぜー!というのはムリなんですね。情があるから。逆に言うと、大して情のない段階で別れていれば、きれいさっぱりに近いくらい忘れることは可能でしょう。「春に出会って春に別れるコメディー」をやってしまったことのあるワタクシはよく存じ上げております(笑)。
価格:2,511円 |
プレ……?プレイステーションが好き、とかではないですよね(ボケを装って、実は本当にわからないのを誤魔化そうとするお年頃)。
後、サイズあってないとただのゴミ……。
まあ、DV云々に関しては、青田さんでもそーゆーゴシップ記事チラホラあるようですし、
"これって一種のプレ…"と思いかけて、思考を打ち切りました。 笑
いやあ、玉置さん、面白すぎ……。
うーん、お後がよろしくないようで。
この本が、石原さん本人が語ったり書いた内容を
前提として。(ゴーストライターの勝手なでっち上げでなければ)
10年以上のブランクを経て女優復帰するにあたり
話題を呼ぶために出版されたものなのは
理解できますが、
綺麗で演技もできる方なのに、自分で自分を大切になさっていない方だな、と、思いました。
タイトルからして、男性関係の暴露本ですが、
男女関係って相手がいないと成立しませんし、
想いはそれぞれ。
たとえ幸福な結末にならなかったにしても、
当時は自分の素敵な思い出もあったはず。
それを自分で大切にしてないですね。
こんなことして自信なんてできませんし。
どう書き繕っても相手へのデリカシーには
欠けますし、書かれた相手も反論も何もしないでしょうし。
DVもあったんやろな、痴話喧嘩の果てに。
人に手をあげたらあきません。
芸能界というのはやっぱ、怖いですねぇ。
玉置さん、Remember to rememberんときのビジュアルで、赤い下着を送ったとすると、大物ですね……?。笑
図書館便利ですねー。あの本は手元に残しておきたくない気がしますので、そんなときに役に立ちます。立ち読みは不届き千万でした。うーむ。
図書館にあるみたいなので、勉強してみます。笑
色々、知る事が多くて楽しい…。
松井さんのツイッターって、もしかして @GML2014 ?とか?ですか?
たまに詩が投稿されてるみたい
ご本人とは知らなかった……
記載されたのはかなり時間が経ってからと、
二度めの破局の後でしょうか。
かなり精神的に不安定な時期に記載されてるようです。
暴露本ですから誇張や、相手を傷つけるために書かれた意図もあるでしょうし、
時間がたって記憶が変質しているものは
当時を語るに正しく評価できるのか、少し疑問です。
確かに暴力の事実はあったのでしょう……。
一般的に男女の別れ話は、どちらか片方の主張のみでは
うかがい知る事ができないですし。
世の中のDV男は、もともとの思考に問題があるので必ず再犯します。
そういう意味では、石原さん前後に付き合っている
女性からそういうコメントがないなら、
何かのアクシデント的なものだったのかしら、
とも思います。
著書、読むべきか悩みますね……。
玉置さん石原さんはドロドロのドロドロで、すっかりタドンみたいになっていた様子が石原さんの著書から伺えます。松井さんもある程度事情を承知していたようですから、こんなに美しい物語に演出するのはかなりの特殊技能を要するといわなくてはなりません。何しろ石原さんの暴露本まで25年も人々を酔わせたのですから……。
別れた後あたりでしょうか。
松井さんが玉置さん自身をモチーフに詞を書かれたのですね。
まあ、これを当事者に歌わせるのは酷と言えば酷なのでしょうけれどある意味、精神的には良いことなのかも
しれません。
別れで負った傷を癒すのは、やはり自分しかありませんし、そのまま風にあてないと膿んで酷いことになります。
あえて自分の心情を歌うとか叫ぶとかする形で
外に出すことが、精神が病まずにすむ方法の場合もありますし。
後、さよなら、さよならと何度も口に出すことで
言霊となり、本当にさよならできそう。
一種のセラピーかもしれないですね。
当時の石原さんと玉置さんがどこまで関係があったのかは、わかりませんが、
恋=漢字では下の方に心がある(下心メイン)から
愛=感じでは真ん中に心がある(真心になる)になる
場合、愛しちゃうと、心の真ん中がなくなるので
かなりダメージ強そうですね。
玉置さんと石原さん、どっちが、ダメだったのかはわかりませんが…。
好きでも年月が経って、愛になれなかったら
憎みあって泥沼にらならんうちに
潔く撤退もアリかなー。
あ……春に出会って春に別れるコメディは、どっちというと山で噛まれたほうです。なぜか街でも噛まれるんですから、よくよく蛇には好かれると見えます(笑)。山に行ってないんだけどなあ。
本当は明日(もう今日)から遅いお盆休みのはずだったのに・・・出勤になってしまった(涙)。例の上司、容赦ない・・・。
何とか明日中に片づけて、金曜は休む!! で、一人で誰にも邪魔されず安全地帯三昧したいです♪
情は、私たちが先祖代々受け継いできた機能なんでしようけど、ここまで生活様式が変わってもある程度有効に機能するんですから、たいしたものです(笑)。
親の仕事の都合でアメリカにいくの(止めてー!行くなって言ってー!)……なんてシチュエーションは、80年代まではマンガとかドラマとかで散見されましたが、今じゃ誰も使わない陳腐な設定なのかもしれません。すっかり恋とか情とかの耐久テストやってるようなご時世ですから、人間の機能ももうちょっと進化してもいいんじゃないかなー、なんて思う次第であります。
あ、早い決断は、わたくしにとってでなく、相手にとって必要だったみたいです。詳しい経緯はわかりませんが(笑)。
伏し目がちで、ズルいほど切ない表情で歌い、一度ステージを去ります。
後奏のサックス、美しいメロディですよね・・・
「恋」の気持ち的な継続期間は3年〜4年だそうで、情熱的な激しい気持ちは、やがて穏やかな愛(情)に変わっていきます。
まだその「恋してる」状態での別れは、とても苦しいでしょうね。
もっと二人の時間を重ねて「愛(情)」になってからの別れだと、どうなんでしょう・・
もっともっと苦しいのかな。経験したことがないのでわかりません。
春に出会って春に別れたコメディー・・・・きっと早い決断が必要だったのです。それで良かったのです(笑)。
何度も何度もこの曲を歌うことは、辛く苦しかったかも知れませんが、区切りもきっとついたでしょうね。推測でしかありませんが・・・
「最後のさようなら」が胸にズキンと来ます。
「夜想」とは、またお目が高い!なんにもないけど君さえいれば、という気分になれます。土方さんのソロがまたいいんですよね……。入眠のタイミングを間違えると、坊主が屏風に絵を描いている夢を見るハメになりそうで怖いですが(笑)。
最近は「ほゝえみ」か「夜想」のどちらかを聴いてから寝るのですが、「ほゝえみ」を聴いた夜は館さんの夢が見れそうです。(笑)