2015年05月12日
見わたせば山もと霞む水無瀬川 夕べは秋と何思ひけむ
と、いう訳で本命です
古典の授業内で扱って
その時の講義が未だに忘れられない笑
見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ
これも有名な歌ですね
後鳥羽上皇の歌です
直訳は
見渡すと、山もとが霞んでいる水瀬川。夕べは夜だと、どうして思ったのだろうか
これは、後鳥羽上皇が、春の夕暮れ時に
山にのぼってみたところ、
山元が霞んでいて
水瀬川が流れているのが見える
それが、まぁ、絶景な訳ですね
勝手な想像ですが、夕暮れ時なので、
夕日に水面もきらきら光って、
その上を霞がほんわり、覆っている
そんなイメージをしています。
うわぁ。綺麗だっただろうなぁ…。
そのあまりの美しさに息をのんで、
後鳥羽上皇は上記の歌を詠む訳ですね
夕べは秋、とは『枕草子』ですね
秋は夕暮れ……
ちなみに、『枕草子』の中では
春はあけぼの(明け方)
が素敵っ らしいですが……
いやいや、春の夕べも、こんなに美しいじゃない
一体どうして、秋は夕べ、だなんて
思ったんだろう。。。
と、こう訳すと、どうしても「秋は夕べ」と思ったのは
『枕草子』の著者である清少納言で
清少納言、あなた、どうして春の夕べも美しいって
思わなかったのかなぁ
と、聞こえるのですが……
「けむ」に注目しなければなりません
「けむ」とは、
過去の「けり」と「む」がくっついて、短縮したもの
なんと!「けり」ですよ。
清少納言は人ですよ〜〜〜〜〜笑
※「き」「けり」については、この一つ前の
記事を見て見て下さい
と、ここで、よくよく考えて見なければ。
清少納言程、教養のあった、
賢い女性が、果たして
春の夕べも素晴らしいことを
知らなかった、だなんてこと、
あったでしょうか???
いや、無かったのでは。。。
『枕草子』の中では、特に
それぞれの季節における彼女のお気に入りを
挙げただけで、
春の夕べだって美しいし、
夏だってまさか、夜だけが美しいわけではなかろうし
(入道雲とか…昔の人も、好きだったのかなぁ
私は結構好きなんですが)
秋の明け方も美しかったりしますよ、そりゃあ。
冬も、早朝のあのきんとした空気は殊更素晴らしいけれど
別に、早朝だけが美しいとは言ってないわ、
ただ、私的に、この季節の
ベストを言ってみたわ。それだけよ
彼女に、「ちょっとー、秋の夕べだけじゃなくって
春の夕べも美しいわよー」
と言おうもんなら、こんな感じで
つん、と言い返されそう。
後鳥羽上皇は、そのことに
気づいてしまったのでは
ないでしょうか…
というのが、私が衝撃を受けた解釈です。
「けむ」は何か。
後鳥羽上皇は、『枕草子』を読んで
そうか!秋は夕べなんだな!
ってことは、夕べは秋なんだな!
と、こう思ってしまった。
それはどうしてか…
神様が、後鳥羽上皇にその程度の
感性しか与えてくれなかったからだ……
と、いうのが、あくまで「けむ」の「けり」
にこだわった場合の解釈
後鳥羽上皇は、思い違いをしてしまっていた
ことに気づく訳ですね。。。
清少納言は、秋は夕暮れ、と言ってる
でもそれは、夕暮れは秋だけが美しいとか
別にそんなんじゃなかった
でも、僕は今まで、『枕草子』に書いてある
ことなら間違いないと
迂闊なことに「夕べといえば、秋しかない」
と思ってしまった
(もしかしたら、そんな事を、他人に対しても
ドヤ顔で言ってしまったかもしれない
あぁぁ、何て思われていたんだろう)
どうして、神様は、僕に
そんな風に思わせたんだろう……
僕にも清少納言みたいな
感性と知性を与えてくれても
よかったのに、
どうして、どうして……
という、ちょっと恨みがましい歌、
かもしれないんですね、この歌。
深い、深いよ〜
ただ、これに関してほとんど私は
鵜呑み状態なので
実際に、後鳥羽上皇の生涯を
ちゃんと文献で確認して、とか
そういうことはしていませんので…
いつか確認したいなー
と思っていたのですが。
後鳥羽上皇が、何か
芸術事でやらかしてるのとか、
無いのかな…笑
などなど思いつつ。
本日はこれにて。
お付合い下さり
ありがとうございました。
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