2016年11月14日
ワーグナー Richard Wagner の「Actors and Singers(1870-1873)」00
Richard Wagner の「Actors and Singers(1870-1873)」00
シュタイナー/R,Steiner(1861-1925)が受け取れなかったのであろう 演劇芸術の天啓を
ワーグナー/Richard Wagner(1813-1883)に観て行きたいと思います
いつもながら意訳を試みておりますが 脱稿だらけのワグナーのノート独逸語より
英語に編訳された難しい文章です
音楽家は 音楽の調べ/rhythmic orderを用い 可塑性世界/the plastic worldと触合う
例えば顎の運動 良い意味での類似により 可視可能な身体運動は知性の表現であることを知る
人間の所作は 変化にとんだ動き を 規則的表現を通し 例えばダンス
をとおしてより明瞭になることを求める
なので 音楽も身体における所作同様 表現/奏でるのである それは 光に向かって
光は屈折と反射作用により可視される 音楽はリズムにより存在する
しかし この可塑性と音の調和との極みを観るなら 音楽芸術性と 可塑的芸術との違いは明らかだ
可塑性芸術は空間に属し固定される ことで我々の思考より出でた行動を留める
音楽は 所作の最も奥の本質を言葉で直接発するのだ
我々は音楽で満たされると感覚はむしろ聴力に傾き 視覚は 所作を見届けるには良い意味で
無能な状態となり 見ているようで見ていない精神状態に陥り 所作を見る
音楽は 我々の現象界に近似したものを 我々の夢領域に引き出す
実に不思議な作用で 視覚能力/機能を変化させ 物事の本質を即時に表現して見せる
それは我々の最も深い睡眠状態で観られるような
そして音楽家はその視覚現象を読み取るのである
音楽は 可塑性現象界/plastic form of phenomenal worldに そして
物事自体から生じる抽象性 この事実の上に成り立っている
ショーペンハウアーArthur Schopenhauer(1788-1860)は謎解きの鍵を握る
が我々音楽家は基本目的に向き合う それが生来の才能なのであるから
と たのしい演劇の日々
シュタイナー/R,Steiner(1861-1925)が受け取れなかったのであろう 演劇芸術の天啓を
ワーグナー/Richard Wagner(1813-1883)に観て行きたいと思います
いつもながら意訳を試みておりますが 脱稿だらけのワグナーのノート独逸語より
英語に編訳された難しい文章です
音楽家は 音楽の調べ/rhythmic orderを用い 可塑性世界/the plastic worldと触合う
例えば顎の運動 良い意味での類似により 可視可能な身体運動は知性の表現であることを知る
人間の所作は 変化にとんだ動き を 規則的表現を通し 例えばダンス
をとおしてより明瞭になることを求める
なので 音楽も身体における所作同様 表現/奏でるのである それは 光に向かって
光は屈折と反射作用により可視される 音楽はリズムにより存在する
しかし この可塑性と音の調和との極みを観るなら 音楽芸術性と 可塑的芸術との違いは明らかだ
可塑性芸術は空間に属し固定される ことで我々の思考より出でた行動を留める
音楽は 所作の最も奥の本質を言葉で直接発するのだ
我々は音楽で満たされると感覚はむしろ聴力に傾き 視覚は 所作を見届けるには良い意味で
無能な状態となり 見ているようで見ていない精神状態に陥り 所作を見る
音楽は 我々の現象界に近似したものを 我々の夢領域に引き出す
実に不思議な作用で 視覚能力/機能を変化させ 物事の本質を即時に表現して見せる
それは我々の最も深い睡眠状態で観られるような
そして音楽家はその視覚現象を読み取るのである
音楽は 可塑性現象界/plastic form of phenomenal worldに そして
物事自体から生じる抽象性 この事実の上に成り立っている
ショーペンハウアーArthur Schopenhauer(1788-1860)は謎解きの鍵を握る
が我々音楽家は基本目的に向き合う それが生来の才能なのであるから
と たのしい演劇の日々
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