2021年11月08日
俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 95
俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 95
Chemistry55
“本当に大切なものは目には見えない(『星の王子さま』) ”
“ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”
“物質中での原子と原子の結び 結合の力は 粒子間の電子の授受による”
organic chemistry
量子の世界の不思議 軌道についてatomic orbital/molecular orbital
今でも日常スケールで考えれば古典力学や電磁気学は、良い予言を与えてくれる。
しかし19世紀後半~20世紀前半にかけ、馴染んだ古典的な考え方では理解できない内容が出てき、
大きな変革を余儀なくされた。
それが量子の世界。
あまりにも異なる為に、量子力学が生まれる前と後とで形式的に区分けされた
1, 古典論では物体の軌跡がNewtonの運動方程式と初期条件をもとに一義的に決定できる。
2, 物理量(加速度や速度)などは原理的に一意義に決定でき、
その物理量を測定した際の時間も含めて一つのデータの塊とすれば全て区別することが出来る。
物理状態;位置をx,速度をv,時間をt
古典力学は、運動する物体の『時間追跡(未来を予言)』をすることが大きな目標。
ある初期条件の下で時間追跡ができたという事は、
知りたい情報がすべて『時間の関数として表現できた』ことを意味し、
これから先の事もそれ以前の事も一義的に決定できる。
考えている物体の軌跡や、各点の速度や加速度などの情報が逐一決定できてしまう。
そんな時間の予言に必要な方程式はNewtonの運動方程式
力Fを加えたられた結果として加速度xが生じると解釈
因果律;「ある原因のもとある結果が生じる」という思考の形式
Newtonは著書プリンキピアにて
力を加えられた結果として『運動量mv』が変化すると書き 実際には質量の変化も考慮す
が上記の2点が量子の世界では一般に成り立たない。
1について、日常生活の直観から
『物体の運動には必ず軌跡があってその軌跡はいつでも確かめることができる』
という事に疑いを持つことはない。
実際に机の上で消しゴムなどを摘まんで動かしてみ 目視でも消しゴムの軌跡があることが分かる。
運動の軌跡がしっかりと確認できる。
しかし量子の世界ではなんとこの『軌跡』という概念を捨て去らなければならない。
より正確に言うと
量子の世界では一般に物理量を全て確定値として決定することが『原理的に』できない。
つまり『原理的に』測定値は測定ごとに『ばらつき』が生じてしまう。
なんと軌跡もわからなければ、一般に物理量も同時に決定できない。
しかもこれは測定の人為的な誤差などに起因するものではなく、自然自身がその構造において要求している!
我々が軌道と読んでいるs軌道、p軌道、d軌道…は
あくまで量子的な概念である以上、古典的な軌道とは一線を画す概念。
我々のなじみのある軌道がどこから生まれてくるのか ?
量子力学では古典力学のNewtonの方程式にあたる式として、
Schrödinger方程式 ;正準交換関係を満たす演算子によるSchrödinger表現と呼ぶ。
この式はハミルトニアンについて時間の項を含まない場合に式変形でき。
これを定常状態のSchrödinger方程式と呼ぶ。
映画を活動写真と呼び 1枚1枚の写真をつぎはぎしていく事であたかも動いているように見せた。
映画の全体としての動きと、それを構成する1枚の絵の関係を的確に表現した言葉。
Schrödinger方程式について、時間発展するSchrödinger方程式がいわば活動写真の様なもので、
この定常状態というのはそれを構成する1枚の写真(ある時間Tで固定された状態)の様なもの。
Schrödinger方程式を解いて なじみのある軌道が出てくる。
これは波動関数の自乗を電子の存在確率の確率密度とするBornの解釈に由来。
注目すべきは電子の存在確率の確率密度。
確率という考え方は、多数回の試行があって初めて成り立つ考え。
では 1個の電子しか考えていない場合にはどのようにして確率を考えれば良いか?
この疑問を解決するためにクーロンポテンシャル下にある電子の位置を測定するという思考実験をす。
白面上の水色の点は何回目の実験でどこに電子がいたのかをプロットしたもの。
測定によって得られた電子の位置にはばらつきが生じる。
この様なばらつきは決して事前に予測できるようなものではない。
この様な位置を測定する実験をN回行ってその極限をとる。
この様にして得られる確率の分布を図にし。
図にするために電子の位置をプロットした図の写真群
(1回目からN回目までの測定で得た電子の位置図)を1枚に重ね合わせる と軌道が浮かび上がる
この場合 1s軌道 が現る つまり原子の軌道というものは統計的な概念。
よく見かける軌道図として輪郭表示あるが
輪郭表示は電子の存在確率のおよそ90〜95%の領域で区切ったもので、軌道の輪郭を把握する際に適す。
一方で統計的な要素は描かれない。そのためあたかも図の様な軌道が広がっていると誤解してしまう。
他方 点をプロットして描いている軌道の形状はぼんやりとしていが、
軌道が統計的な概念であるという本質を理解するのには最適。
軌道は統計的なものである。ではこのような軌道は本当に空間に広がっているのかといえば、答えはNO。
あくまで電子の位置を多数回測定してみた結果として図の様な形が分かる
電子が波動性を持っているという言葉が独り歩きし、図の様な形で空間に広がっていると考えてしまうす。
しかしどこまでいっても電子は1個、2個と数えられるもの。
量子力学の産みの親の一人であるSchrödingerも同じような誤解をしていた。
電子が雲の様に実際の空間に広がっているという描像。
では、この軌道図を電子の運動の軌跡という風に見ることはできるか?NO。
目に見えないだけで、何かしらの法則にのっとって量子状態が連続的に変化するという事でもない。
もしそうだとするならば、そもそも測定のばらつきという概念自体が生じ得ないはずです。
電子は各瞬間瞬間定まった位置というものを持たん。
電子の軌跡というものが存在しえない以上、軌道を電子の軌跡と考える事もできない。
電子には定まった位置というものが存在しないため位置の測定を行わないかぎり、
どこにいるのか確定しないが測定を行えば殆どの場合、図のプロットのどこかしらに電子が観測される。
その観測されやすい領域をまとめて軌道と定義する。
では『電子配置を考える際に電子を軌道に入れる』というが、これはどう解釈すればよいか?
この言い方では軌道と電子が独立したものとして捉えられる。
実際は電子を多数回測定することなしに軌道など存在しえないのだからおかしなことになる。
実はこれは化学者が考えたサバイバル術!
はじめから多数回測定した結果としての軌道をあらかじめ存在しているものと認めてしまい、
そこへ電子を入れる、としても結果は同じ状況(クーロン場に電子があるという状況)になる
これは化学者なりの生きる知恵。
もし物理学の様に○○体系などと予め決めなければならないとすると、
かえって化学の良さである複雑性が全く議論できなくなってしまう。
化学は多電子系を扱うこと、そして反応の主役は電子。
電子を媒介とすることが多い化学にとってはこうするしかない。
無機化学などに特有の空軌道も、この立場をとるから成立する概念。
さらに多電子系は物理では厳密には扱えなくなる、むしろ化学は賢く立ち回っている。
この軌道をあらかじめ認めてしまうという立場と適切な近似を用いて行く事で化学は、
結合理論や多原子分子、錯体など豊かな土壌を気づき上げている。
では 電子の共有結合とはどう考えればいいのか、波動関数の位相は?
と たのしい演劇の日々
Chemistry55
“本当に大切なものは目には見えない(『星の王子さま』) ”
“ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”
“物質中での原子と原子の結び 結合の力は 粒子間の電子の授受による”
organic chemistry
量子の世界の不思議 軌道についてatomic orbital/molecular orbital
今でも日常スケールで考えれば古典力学や電磁気学は、良い予言を与えてくれる。
しかし19世紀後半~20世紀前半にかけ、馴染んだ古典的な考え方では理解できない内容が出てき、
大きな変革を余儀なくされた。
それが量子の世界。
あまりにも異なる為に、量子力学が生まれる前と後とで形式的に区分けされた
1, 古典論では物体の軌跡がNewtonの運動方程式と初期条件をもとに一義的に決定できる。
2, 物理量(加速度や速度)などは原理的に一意義に決定でき、
その物理量を測定した際の時間も含めて一つのデータの塊とすれば全て区別することが出来る。
物理状態;位置をx,速度をv,時間をt
古典力学は、運動する物体の『時間追跡(未来を予言)』をすることが大きな目標。
ある初期条件の下で時間追跡ができたという事は、
知りたい情報がすべて『時間の関数として表現できた』ことを意味し、
これから先の事もそれ以前の事も一義的に決定できる。
考えている物体の軌跡や、各点の速度や加速度などの情報が逐一決定できてしまう。
そんな時間の予言に必要な方程式はNewtonの運動方程式
力Fを加えたられた結果として加速度xが生じると解釈
因果律;「ある原因のもとある結果が生じる」という思考の形式
Newtonは著書プリンキピアにて
力を加えられた結果として『運動量mv』が変化すると書き 実際には質量の変化も考慮す
が上記の2点が量子の世界では一般に成り立たない。
1について、日常生活の直観から
『物体の運動には必ず軌跡があってその軌跡はいつでも確かめることができる』
という事に疑いを持つことはない。
実際に机の上で消しゴムなどを摘まんで動かしてみ 目視でも消しゴムの軌跡があることが分かる。
運動の軌跡がしっかりと確認できる。
しかし量子の世界ではなんとこの『軌跡』という概念を捨て去らなければならない。
より正確に言うと
量子の世界では一般に物理量を全て確定値として決定することが『原理的に』できない。
つまり『原理的に』測定値は測定ごとに『ばらつき』が生じてしまう。
なんと軌跡もわからなければ、一般に物理量も同時に決定できない。
しかもこれは測定の人為的な誤差などに起因するものではなく、自然自身がその構造において要求している!
我々が軌道と読んでいるs軌道、p軌道、d軌道…は
あくまで量子的な概念である以上、古典的な軌道とは一線を画す概念。
我々のなじみのある軌道がどこから生まれてくるのか ?
量子力学では古典力学のNewtonの方程式にあたる式として、
Schrödinger方程式 ;正準交換関係を満たす演算子によるSchrödinger表現と呼ぶ。
この式はハミルトニアンについて時間の項を含まない場合に式変形でき。
これを定常状態のSchrödinger方程式と呼ぶ。
映画を活動写真と呼び 1枚1枚の写真をつぎはぎしていく事であたかも動いているように見せた。
映画の全体としての動きと、それを構成する1枚の絵の関係を的確に表現した言葉。
Schrödinger方程式について、時間発展するSchrödinger方程式がいわば活動写真の様なもので、
この定常状態というのはそれを構成する1枚の写真(ある時間Tで固定された状態)の様なもの。
Schrödinger方程式を解いて なじみのある軌道が出てくる。
これは波動関数の自乗を電子の存在確率の確率密度とするBornの解釈に由来。
注目すべきは電子の存在確率の確率密度。
確率という考え方は、多数回の試行があって初めて成り立つ考え。
では 1個の電子しか考えていない場合にはどのようにして確率を考えれば良いか?
この疑問を解決するためにクーロンポテンシャル下にある電子の位置を測定するという思考実験をす。
白面上の水色の点は何回目の実験でどこに電子がいたのかをプロットしたもの。
測定によって得られた電子の位置にはばらつきが生じる。
この様なばらつきは決して事前に予測できるようなものではない。
この様な位置を測定する実験をN回行ってその極限をとる。
この様にして得られる確率の分布を図にし。
図にするために電子の位置をプロットした図の写真群
(1回目からN回目までの測定で得た電子の位置図)を1枚に重ね合わせる と軌道が浮かび上がる
この場合 1s軌道 が現る つまり原子の軌道というものは統計的な概念。
よく見かける軌道図として輪郭表示あるが
輪郭表示は電子の存在確率のおよそ90〜95%の領域で区切ったもので、軌道の輪郭を把握する際に適す。
一方で統計的な要素は描かれない。そのためあたかも図の様な軌道が広がっていると誤解してしまう。
他方 点をプロットして描いている軌道の形状はぼんやりとしていが、
軌道が統計的な概念であるという本質を理解するのには最適。
軌道は統計的なものである。ではこのような軌道は本当に空間に広がっているのかといえば、答えはNO。
あくまで電子の位置を多数回測定してみた結果として図の様な形が分かる
電子が波動性を持っているという言葉が独り歩きし、図の様な形で空間に広がっていると考えてしまうす。
しかしどこまでいっても電子は1個、2個と数えられるもの。
量子力学の産みの親の一人であるSchrödingerも同じような誤解をしていた。
電子が雲の様に実際の空間に広がっているという描像。
では、この軌道図を電子の運動の軌跡という風に見ることはできるか?NO。
目に見えないだけで、何かしらの法則にのっとって量子状態が連続的に変化するという事でもない。
もしそうだとするならば、そもそも測定のばらつきという概念自体が生じ得ないはずです。
電子は各瞬間瞬間定まった位置というものを持たん。
電子の軌跡というものが存在しえない以上、軌道を電子の軌跡と考える事もできない。
電子には定まった位置というものが存在しないため位置の測定を行わないかぎり、
どこにいるのか確定しないが測定を行えば殆どの場合、図のプロットのどこかしらに電子が観測される。
その観測されやすい領域をまとめて軌道と定義する。
では『電子配置を考える際に電子を軌道に入れる』というが、これはどう解釈すればよいか?
この言い方では軌道と電子が独立したものとして捉えられる。
実際は電子を多数回測定することなしに軌道など存在しえないのだからおかしなことになる。
実はこれは化学者が考えたサバイバル術!
はじめから多数回測定した結果としての軌道をあらかじめ存在しているものと認めてしまい、
そこへ電子を入れる、としても結果は同じ状況(クーロン場に電子があるという状況)になる
これは化学者なりの生きる知恵。
もし物理学の様に○○体系などと予め決めなければならないとすると、
かえって化学の良さである複雑性が全く議論できなくなってしまう。
化学は多電子系を扱うこと、そして反応の主役は電子。
電子を媒介とすることが多い化学にとってはこうするしかない。
無機化学などに特有の空軌道も、この立場をとるから成立する概念。
さらに多電子系は物理では厳密には扱えなくなる、むしろ化学は賢く立ち回っている。
この軌道をあらかじめ認めてしまうという立場と適切な近似を用いて行く事で化学は、
結合理論や多原子分子、錯体など豊かな土壌を気づき上げている。
では 電子の共有結合とはどう考えればいいのか、波動関数の位相は?
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