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2019年04月01日

新人のパワー

4月1日、新元号が発表され、新年度が始まった。全員出勤は3日からなので、今日も自分のペースで仕事を進める。

夕方4月から配属された新人と会った。
今年大学を卒業した正真正銘のフレッシュマン。
併せて、卒業生でもある。

私立学校は、このように卒業生が教員として戻ってくることがある。
黙っていても、今いる教職員は歳をとっていくので、こうしたルーチンで、常に人材を補給し続けるのだ。

通常の私立学校ならば、重鎮たちが頑張っており、なかなか新人が入る余地がないのだが、私の学校の場合は、定期的な異動制度もあり、こうした循環型の人事を行うことができるのだ。

さすがに若い。
しかも、希望に満ちている。

別に私が、死期の迫った老いぼれで、夢も希望もない、という訳ではない。
若手のエネルギーはとても大きいので、方向性を誤らないように、上手にコントロールしつつ、エネルギーを失わないようにしなければいけないな、と思ったわけだ。

たいていは、先輩たちに叩かれる。
そして生徒たちにも叩かれる。
すると、エネルギー量を抑えにはいる。
そして、だんだん特徴の少ない、何も面白みのない人間になっていく…。

こうした流れを、これまで何度も見てきた。
とげとげしい性格が丸められるならばよいが、その個性までも押さえつけ、組織の前例の型にはめ込もうとする様は、全国の会社や組織、もちろん学校でも行われているのだろう。


「金平糖(こんぺいとう)でいいのだ。」
と、以前、聞いたことがある。

たくさんのでっぱりがあり、それがいろいろな所に引っかかる方が面白いし、個性的だというのだ。
しかも、そうした個性的な感性が、新しい創造性を生むという。

肝に銘じねばなるまい…。

希望溢れる彼らを育て、次なるリーダーとして一人立ちさせなければならない。

溢れるエネルギーは、私の新人の頃の初心を思い出させるに十分なものだ。

困難や苦労も多いだろうが、彼らの前途を祝福しよう。

どうか、単なる雑用係的な仕事を押しつけないことを、全国の先輩諸氏にお願いする。
仕事は自分で見つけてこそ本物になるのだ。










2019年03月31日

お金の教育

校内のフキノトウが咲き、ここ北関東の田舎にも春の息吹が感じられる季節になった。
ソメイヨシノの方は、つぼみが少し色づいてきており、この調子でいくと、7日の入学式には、ちらほら咲き始めるだろう。

昨日の雨が上がり、午前中のうちに晴天になった。
晴れてきたので、私の車のバッテリーを充電。
シガーソケットにも電圧計をつけてみる。
確かに少し弱っているかな、とAC電源から充電器でバッテリーを充電。
3時間ほど放置しておいた。

「グランドが静かだな、高校野球部がいないなぁ」、と思ったら、この春最初の練習試合であったことを思い出した。

夕方、「寒かったなぁ…」、という入学式前から練習している新高1の野球部員の声を聞いた。
気温は高めとは言え、まだまだ北風が冷たいのだ。

元気の良い野球部は、学校の顔だ。
生徒の声の聞こえない学校は、寂しさを通り越したものを感じる。

この地域でも学校の統廃合が続いている。
校舎だけが取り残された学校跡地は、あまりに悲壮感が漂う。
近くには、その学校の卒業生が在住しているわけで、彼らの思いは、悲しみと失望しかないだろう。
子どもの声が聞こえなくなったグランドは、産業廃棄物に近いのかも知れない。

アイデアを考えれば、いろいろな活用法もあろうし、地元利用のみならず、外から人を集める方法もあるだろう。そのあたりを役人たちに任せると、たいてい上手くいかない…。

昨今は様々な集客方法や集金方法があるので、本気で考えれば、いくらでも方策は出てくるに違いない。

『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ著)によると、『学校で「お金』に対しての教育を行わずいることが、高等教育を受けた役人の知識不足になり、それが国家が財政難になっている理由の一つである』、という。

確かに、教員たちは、やや「お金に対する罪悪感」があるのかも知れない。
少なくとも若い頃の私はそうだった。

金持ちからお金を取り上げ、弱者にばらまくという方法は、社会主義だ。
日本は、世界で唯一、社会主義に成功した国だ、という意見を以前聞いたこともある。

確かに中央官庁が国民をコントロールするためとしか思えない、「ばらまき行政」があまりに多すぎるし、過度の許認可制度も社会主義的だ。

夕方偶然、新高3の教え子に出会った。
「文系に変えたんだって?」
と、尋ねると、「そうだ」、という。

「理系は、『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』だったか?」
と、吹っかけてみたら、新しい進路が見つかったという。

彼も社会主義からの脱却へ力を注いでくれるようだ。
今しばらく時間がかかりそうだが、これは面白い。

明日は新元号が発表になるという。
入社式での話題には事欠かないだろうが、
「大人たちよ。心ある若者をなめたらいかんぞ。」
と、警告しておきたい。












2019年03月30日

私用車と公用車

昼寝を終えて、スイーツを買いにコンビニまで行こうと、車を動かそうとしたら、エンジンがかからなかった。

この車は、かなり年季の入ったもので、昨年学校の公用車としては廃車にすると、自動車修理会社に引き取られたものを、個人としてまた復活させて乗っているものだ。

乗っていると言っても、普段は公用車を使っているので、私用以外では使わず、またその頻度も週に一度あるかないか。

大きな行事の時に、駐車場から移動させてくれ、という時にちょっと動かす程度の感じで、昨年の4月に入手して、以来三回しかガソリンを給油していないので、その利用頻度の少なさが分かるだろう。

本当は、昨年春の引っ越しを予定していて、そのためにバンであれば、荷物がたくさん運べると、購入したものだ。いろいろ不具合があり、車検も無理矢理通してもらって、「次の車検まで使えるかどうかわかりませんよ」、などと脅されたものだ。

「いよいよ廃車か?とうとう使えなくなるのか」、と不安になったが、同僚に頼んでブースターケーブルで接続したところ、エンジンはかかった。

少し寒い日だったこともあり、普段から乗らないことあって、バッテリーが弱ってしまったのだろうと思われる。バッテリーは確か車検の時交換したと思うので、一年しか経っていないはずだ。

仕方なく、意味もなくバッテリー充電のため、近隣を30分ほどドライブ。
ついでにコンビニにも寄ったが、エンジンを切って再稼働できなくなると困るので、アイドリング状態で駐車。

明日、またエンジンがかからなかったら、いよいよバッテリー交換だろうか。
それとも、だましだまし充電しながら使うか…。

引っ越しは、予定がなくなったが、近隣に荷物を運ぶというニーズはまだあるので、もう少し頑張ってもらいたい。

若かりし頃から新車しか乗ったことがなく、二度目の車検前にまた新車に買い換える、という贅沢な暮らしをしてきた私にとっては、このサプライズは気持ちを動揺させるに十分。慌てて、JAFにも入会した。

私の学校は田舎で公共バスも走っていないので、部活で生徒引率の際は、顧問が運転する公用車で出掛ける。人数が多ければ、マイクロバスを使う。だから、私は中型の免許も取得した。

中学校の部活は、ほとんどが同地区内の近隣での活動なので、運転時間は比較的短いが、田舎ゆえ、一番遠い学校への往復は100キロを超えるので、それはそれで大変でもある。
高校の顧問は、高速道路を利用するなどして、さらに遠くに出掛けなればならず、それはまた大変だろう。

一番苦しいのは、生徒を乗せて運転しているという緊張感である。
私の場合、野球なので、早朝に出掛け、一日炎天下で過ごし、その疲労した状態で、また帰校するわけで、これがなかなか体力を要する。

そんなこともあり、「新人を副顧問につけてくれ」、とお願いしてはいるが、よく考えて見れば、新人には一年以上は生徒を同乗させた運転は禁止しているので、結局は私が運転することになるのだろう。

公用車も新車はほとんどなく、先生方が新車に買い換えるときに、回ってくるものが多く、中古車ばかりである。

今、私が部活で毎回使っている自動車も、いろいろ不具合がありながらも、「まだ、廃車にしないでくれ」、とお願いしつつ使っている。今は、バックするとかなりの確率でエンストする。

「自分個人で乗るなら、別に軽トラでもいいんだけどなぁ。」
とも思う。だが、中古でも軽トラは意外と高い。きっとニーズがあるのだろう。

自動車がないと移動できない田舎の学校。

体力維持のためには、私自身、自転車を復活させる方がいいのかな…。

とにかく、明日もう一度、恐る恐るエンジンをかけてみよう。











2019年03月29日

授業に行くときの緊張感

新人の頃は、授業に行くのが怖かった。
「生徒がどんなことを言ってくるだろうか。そして、それに対して、上手く切り返しができるだろうか。」
「私の授業を批判されたらどうしよう。」
「生徒指導上の事件が起きたら、どう対処しよう。」

当時、「少なくとも授業中は一国一城の主」、と言われた時代である。
授業中のことは、担当教員が責任を取るのが当然だし、授業の秩序を保ち、かつわかりやすい授業をして、さらには実力をアップしつつ、生徒との良好な人間関係が求められたのである。

だから、「授業中○○君が、こんなことをしていました…」、などと担任や学年主任に報告するのは、よほどのことでないとできなかった。

「君の授業だからそういうことをしてしまうんでしょ。もっと集中させなさいよ。授業が面白くないから、生徒はいろいろなことをやり出すんだ。」
と、言われそうで、これまた別の意味で怖かった。

だから、授業にいくときは、「よし」、と気合いを入れて、職員室を出て行ったことを思い出す。

昨今の新人君の中には、授業中の様子を事細かに私に報告してくる方もいる。
「○○君が寝ていました。」
「○○さんが、忘れ物、しました。」
「○○君が、マンガを読んでいたので没収しました。」
「○○君が、授業の妨害をしました。」
「○○君が、宿題を出しません。」
担任であり、学年主任である私への配慮なのかも知れないが、ある程度は授業を担当する先生自身がコントロールしなくてはいけないことも多いだろう。

「寝ていたなら起こして下さい。」
と、言えば、「起こしても起きないんです」、となる。

「忘れ物させない指導に務めて下さい。」
と、言えば、「厳しくできないんです」、とくる。

授業に関係ないものを没収されたり、宿題を常習的にやってこない生徒については、報告してくれるとありがたい。
ただ、それでも、授業担当する先生が解決に努めることだってできる。

協力して指導した方が、指導が一枚岩になり、効果的なこともあるが、いつでも立場のある先生に言えば、その先生は、「自分で指導できない」、ことを生徒にアピールしてしまうことにもなりかねない。

かく言う私の方は、報告を受けても、生徒には素知らぬ振りをする。
しばらく経って、同じ事をすれば、次は追及し、指導に入る。

掃除の時間にさりげなく注意することもあれば、個別に話をした中に、さりげなく注意を含めることもある。

この辺りが教員としての指導のさじ加減である。

「授業中起きないような、つまらない授業をしているんでしょ。」
「忘れ物させないルール作りをしていますか?」
「宿題を必ずやる、というムードになっていますか。どういう指導をしたのですか。寄り添って一緒に解いたことありますか?」

あからさまに若手の先生たちに、こんな風に言うことはできないが、そういう思いも一部には持っていることを忖度すべきであろう。

教師は、『授業ができて一人前』、というのは今も昔も変わらないはずだ。

今は授業に行くときに恐怖感を感じることはない。
それどころろか、「ワクワク感」を持っている。
私がワクワクしながら授業をすれば、生徒たちにもその思いは伝わる。

だが、恐怖感を超えた、ある程度の緊張感は持つべきであろう。












2019年03月28日

新年度準備に本格突入

今日で春休みの部活動を終わりにし、私はいよいよ大切な新年度準備に入る。

毎年この時期、学年やクラスの運営プランを楽しく考える時間はなかった。
それどころか、毎日の教務校務に追われ、それどころではなかったのだ。
たまに、ふとしたひとときに、「新しくこんなことをやってみようかな…」、などと思うつくこともあったが、そうした機会は少なかった。
だから、新年度が始まり、未だに途中の時間割作成だの校務処理システムのデーター更新などに関わりながら、クラスや学年の事を考えることを、何年も続けてきた。

忙しい方が充実感があったし、そうした忙しさの中で、ささっと、新年度の準備を終わらせてしまう私の仕事方法は、自分でも「なかなかやるじゃない…」、などと密かに自分を褒めていたのだ。

だが、今年は違う。
クラスのことは、何も考えずに過ごせる。
たまにはそういう休息も必要なのだろう。
だから、遅ればせながら、これから一気に作業に入る。

恐らくはこの規模の学校で一人の教員がやっているというのは、なかなかないだろう。
時間割は、ソフトを使っているが、以前のソフトは一台のPCにしかインストールできず、複数作業で作成することが困難であったのだ。だから、このたびバージョンアップをしたが、未だにそのソフトが届かない。その上、私を手伝ってくれる人もいない。
校務ソフトのデーター更新も、作業量は膨大だ。

皆、貴重な春休みを過ごしているようで、このところ職員室も閑散としている。

幸い私は、遠隔で作業ができるので、職員室に缶詰になっていなくてもいいのだが、自分のペースで、自分を律しながら仕事をするのは、なかなか大変だ。

「いつしか独立して、自分で仕事をするようになったら、こんな感じなのかな」、と自制心を高めるべく、重い腰を上げる…。

時々、事務から、
「丹澤先生、いつできますか?」
などと、催促されることもある。
そのたびに、「さっさと終わらせないと、いろいろな人に迷惑をかけるな」、と反省。

「ありがとうございました。」
練習後の挨拶を聞いて、「このあとが本格始動か…」、と覚悟を決める。

「一眠りしてからにしよう」、と横になったら、何時間も経っていた。

東京では桜が満開らしいが、こちらも、ちらほら桜が咲き始めたばかりだ。
たいてい入学式の日には、桜は咲いていない。
今年は暖かだが、今日の北風は冷たかった。

さぁ、仕事をしようっと。












2019年03月27日

想定していた合同チームが頓挫?

私が住む北関東の田舎でも、ちらほらと桜が咲き始めた。
日中はとても暖かく、日なたであれば、少し動けば半袖でも過ごせるくらいになった。
もちろん、朝晩の冷え込みはまだまだ健在だ。

一年生(新二年生)の野球のプレイを見ていると、ずいぶん上達したな、と思う。
滅多に褒めないのだが、今日は彼らに、
「ずいぶん上手くなってるぞ。」
と、声を掛けると、天にも登るような喜びようで、その後調子に乗った。

「褒めなきゃよかった」、とも思ったが、子どもはこうして成長していくのだろう。

五年くらい前のチームならば、この時期はちょうど全国大会があり、静岡に全国大会を学びに出掛けたものだ。もちろん宿泊を伴うのだが、こうした行事もチームとしては大切な修行。集団で宿泊するという練習は、チームを一体化させるためにも、大変有意義であった。

今は、合同チームを組ませてもらってチマチマやっている状態なので、保護者にさらなる負担を強いることもできないし、第一、生徒たちのモチベーションも違う。

「勝ちたいけれども、厳しすぎるのは嫌だ…」
というのが、彼らの本音に近いだろう。

だから以前は夜食だの中間食だの、朝練だの自主練だのと、思いつくありとあらゆる手を打ってきたが、私も歳をとって疲れたのか、どれも今はやっていない。

生徒(選手)のニーズも、保護者のニーズも、違うところにあるようだ。

「楽しく野球できればいいんですよ。」
「親が野球を見に来て、一日、ピクニック気分で観戦するのが楽しみなんですよ。」

近隣の先生が以前そんなことを言っていたのを思い出す。
彼は、この春の人事異動で、以前強豪校として育てた学校へ、また転任することになった。
また強いチームを作り上げるのだろう。

この春からは、その先生の学校と合同チームを組み、私の元に来るであろう新人を育てようと思っていたのだが、頼みの先生が異動となってはそうもいくまい、
私の計画は崩れ去った…。想定していた合同チーム構想は頓挫した。

今は、4月以降、どうチームを組もうか、思案中である。
どうやら、この地区でメンバー不足のチームは、私の学校だけのようなのだ。

こう暖かくなると、いよいよ野球シーズン到来である。

上手くなったとは言え、メンバーが少ないので、連係プレーができない選手たちだ。

さぁ、どんな練習メニューを組んで、試合に臨むか…。
これまた難問である。












2019年03月26日

宇宙人の教育

春休み中でもあり、まずは、部の倉庫を片付けさせてから練習をしようと、生徒たちにやらせたら、ただの遊びになった。

当然、私の雷が落ちる。
「何のために片付けをしているのだ?」

その言葉を聞いて、ようやく事の意味を理解する。
昨今の中学生は概してこんな感じだ。

「いいです。君たちはやらなくてよろしい。私がやるので、そこに立って見ていなさい。」
そう言って、すべての片付けを私がすることにした。
その間、約2時間。
彼らはずっと立って私の姿を見ていた。

こんなとき、「すいませんでした。手伝わせてください!」、と行ってくるのは以前の生徒。
今の生徒たちは、言われたとおりただ立っている。
私が重たい荷物をやっとのことで動かしても、彼らは動かないし、何も声を掛けようとしない。
まさに「立って、息をしているだけ」、の状態だ。

彼らは私の片付ける様子をじっと見ている。
「何を思い、何を感じているのだろうか。」
私は、そう思いながらも、黙々と片付ける。

「どうやったら効率的なのか。」
「片付けをするには、どういう段取りが必要なのか。」
「次に自分たちがやるときは、何をしなければならないのか。」

こうしたことが考えられれば、私が率先垂範した意味はある。
ただ、何も考えられず、ただただ言われたから立っていただけならば、彼らが得るものは罰を受けたという記憶でしかない。

昨今の中学生は、明らかに後者の方が多くなってきたように感じる。
そうした子どもたちを育てていかなくてはならないのだから、教育の問題は奥深い。

4月になると新人がやってくる。
二十代そこそこの若手でエネルギッシュだろう。
しかし、彼らが感じ中高生は、おそらく自分たちの頃とはまったく異なった、まさに宇宙人と言ってもよい。違った価値観を持った人種ということだ。

彼らはそうした宇宙人の生態をつかみ、語り、教育していくことを求められる。

結局、練習は3時間遅れでスタート。
昼食が大幅に遅れたことは言うまでもない。












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