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2019年03月18日

ちょっとブレイクさせてください

何事もなく、今年度最後の授業が終わった。
「これで最後ですね…。」
と私が言ったところで、彼らから見れば、年度終わりの一つの区切りでしかない。

会社組織でもそうだが、誰かが退職すれば、翌日からは、また依然と同じように仕事が回っていく。
学校現場だって、異動だの退職だのが行われる3月、4月は同様だ。

「丹澤先生は、高校を教えないんですか?」
「教えないよ。」

「丹澤先生は、来年もαクラスですか?」
「分からないよ。」

担任のクラスの一人は、学期末のまとめのメッセージの中で、
「来年度も担任になると思いますが、よろしくお願いします。」
と、あった。
「そうではないんだけどね」、とは思うが、まだ話をするわけにもいかず、「うるさいジジイから、少し距離が置けて、うれしかろうよ…」、とほくそ笑む。

教頭がやってきて、
「丹澤先生、来年の野球部には、新人の若手をつけます。まだ名前は言えませんが、野球経験者です。」
と小声で語った。
私は即座に、
「ありがたい。」
と答えた後、
「ありがたい。」
「本当にありがたい。」
と三連呼した。

「今の体力では、猛暑の中での野球の審判業務が苦しい…」、と訴え、「若手を顧問につけてくれ」、とお願いしておいたのだ。私としては、極めて弱気の発言なのだが、今は少し弱っている。

実際、新年度になるまで分からないが、野球経験者が来てくれるのはこの上なく嬉しい。
近隣の学校の野球部顧問の中でも、いつの間にか、最高齢の部類になってしまった。

教育に対する情熱がなくなった訳ではない。
ちょっと、ブレイクさせて欲しいのだ。

こんなお願いは、普通は通らないのだろうが、今回は私の希望通りになっている。

「必死になって新年度の準備をしなければいけない」、という状況からは開放される。

きっと、傍目からは、
「丹澤先生、どうしたんだろう…。最近、元気ないしな…。」
と思われているだろうが、この辺りが正念場。
この先、教員を続けられるか、このまま退職するか、その分岐点に来ている。

「私がいる間は、丹澤先生は辞めさせませんから…。」
次期校長が熱く語る。

次年度一年かけて、充電できるかどうか、この一点にかかっていそうだ。








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2019年03月17日

日曜日の生活

いつも通り午前中は部活。
こんな生活をしているから、日曜日でも5時過ぎに目が覚める。
私は、特別な場合以外は目覚ましをかけることはない。
どこかに緊張感があるようで、自然に起きてしまうのだ。
だから、寝過ごして遅刻を重ねる先生(大人)を見ると、「責任感ないのかよ」、などと責めてしまうが、そういう体質の人もいることが最近分かった。

昼食は作ることすら面倒になり、カップ焼きそばで済ます。
その後、昼寝。日曜日の午後にこうしてのんびり眠れることが最近の楽しみになった。
その間およそ3時間。だからといって夜、眠れなくなるわけではない。
体力がぐーんと落ちてしまっている私には、大切な休養だ。

平日の日中や夕方に眠ることもあるが、こちらは、時間の制約もあり、あまり身体が休めない。
たいてい、「やべぇ、寝過ごしたか」、と慌てて起きて、肝を冷やす。そうしたときも、実は寝過ごしているのではないが、そうした強迫観念がある中では、なかなか休養にはならないのだ。

夕方に目覚めて、昨日から書きかけの通知表の所見に取り組もうと思ったが、なかなかそうした気分には慣れない。

何を勘違いしたのか、「一日中、部屋に閉じこもるのは良くない」、と勝手に判断して、「そうだ、ちょっと外食してこよう!」、と外に出る。何のことはない、午前中は部活でずっと外にいたにも関わらず、そうした記憶はすっ飛んでいた。

久しぶりにキーンと冷えた星の見える夜だ。

回転寿司などでほんの少し食べた後、帰宅後、夜空を見上げると、もうオリオン座が南中を過ぎ、西に傾いている。南中しているのは大犬座だ。

考えて見れば、もう三月も半ば過ぎ。私の学校は20日で終わり。
あっというまの三ヶ月だった感じだ。

そして、あれよあれよと新年度がやってくるのだろう。

明日は、今年度最後の数学の授業。
幸い、全学年一コマずつ授業がある。
口下手の私は、気の利いたことなど言えるはずもなく、それでも感謝の言葉くらいは述べたいと思う。

さぁ、これから所見の続きを作るか…。

まぁ、多分それも吹っ飛んでしまうだろう。

こんな不真面目な生活では、副業もままならず、といって、生活も困窮しており…。

それでも、布団に潜り込む。








2019年03月16日

理想の学校を作るためには

「これは自分の仕事ではないから動かない、という考え方がセクショナリズムなのです。」
職員会議の冒頭で、校長がそう訴えた。

「誰かがやるだろう、ではなく、自分がやるのです。この学校が、こんな風に自分から動ける集団になっていけば、さらに素晴らしい学校になるはずです。」
と結んだ。

確かにその通りだろう。
「自分は関係ありません。」
という態度の先生がいれば、結局その仕事は別の先生の負担となり、一体化した協力体制のある組織にはならない。

しかし一方で、「自分でやる」ためには、当然責任が伴い、それが上手くいかなかった場合、今度は逆の管理職側がフォローしてくれなければいけないのだ。

「本当はこれ以上の指導が必要だが、それをすれば、クレームが起こるかも知れないな。」
などと、いつも保身に入ってしまえば、生活指導など行えない。

いざというときには、大きな声で叱責することだって必要だ。
その時に、状況も分からないまま、
「大きな声を出すことだけだ指導ではないのです。」
などと、とんちんかんな、暗にその方法は間違っている、というような事を、管理職が言ってしまうのならば、残念ながら、この理想は吹き飛んでしまうだろう。

「精一杯やってください。直接生徒と関わっているのは先生たちなのですから、正しいと思うことは思いっきり指導してください。その結果、何か反作用が出たとしても、私たちが何とかしますから…。安心してください。」

この一言が、現場を一体化させ、先生たちを安堵させるのだ。

私はこれまで数多くの校長と出会ってきたが、こうした校長は今までに一度しか出会ったことはない。誰もが、保身に走り、口にこそ出さないけれども、「私の立場が危うくなる」、と一歩引いてしまう校長ばかりだった。

今の校長もややその傾向があったが、この数ヶ月は変わってきたと思う。
やはり、どこか思うところがあったのだろう。

昨今は、保護者からのクレームがエスカレートし、場合によっては顧問弁護士に相談という事案すらある。

それでも、そうした保護者をも救っていこうと、校長は全力を尽くす。
生徒の行動の背景には、保護者の考え方が大きく影響しているからだ。

セクショナリズムを越えた組織になったとき、他の範となる素晴らしい学校組織になることは間違いあるまい…。








2019年03月15日

チーズケーキの味

「昨年同様、いつもお世話になっている女性陣にチーズケーキを用意しました。午後に届きますので、お召し上がり下さい。」

ホワイトデーの朝に、校長がそう発表した。そして続ける。

「今年は、最後ですので、男性陣にも用意しています。ホールの1/8ですが、是非お召し上がりください。」

昨日は、少し早めに職場を去ったのだが、今日になって校長から声を掛けられた。
「丹澤先生、先生は、チーズケーキを召し上がっていませんね。」

恐るべきことに校長は、誰が食べたかどうかまでチェックしていたのだ。
人数に合わせてホールケーキを購入し、チェックリストまで用意していようだ。

「是非、お召し上がり下さい。」
というと、自ら冷蔵庫からケーキを取り出し、準備してくれた。
私以外にあと二人、食べていない方がいた。

校長の準備してくれたチーズケーキは大変美味なものだった。
長い職員会議疲れを癒やすに、とても有り難いものだった。

「ありがとうございます。」
食べ終わって、直接お礼を申し上げようとしたが、すでに姿は見えなかった。

年度末は忙しい。
そうした中でも、着々と次年度の準備が進んでいる。

今日は教室の本棚を少し段ボールに移し、クラス全員の書写の掲示をはがした。

一人ひとり、心を込めて書いた書き初めは明日外そう。

少しずつ教室の掲示を取り除いていくと、何となく、教室にぽっかり穴があいたようで、違和感すら感じる。

彼らの前で話をするのも、いよいよカウントダウン。
朝の会では、いつも何を話すか考えずに臨んでいるが、せめて最後くらいは考えて前に立とうかな…。

校長が用意してくれたケーキの味は、何となく寂しげな味がした。

もしかしたら私だけが感じているのかも知れないが、彼の思いはよく分かる。

もう少し仲良くすれば良かった…。








2019年03月14日

活発な生徒たち

今年度最後の学活の時間は、学年でリクレーションを行った。
隣の担任が、「生徒が合同でレクレーションをと言っているんです」、と言うものだから、「だったら先生がマネジメントしてやってみなさい」、と実施することになったのだ。

まずは、体育館で、クラス対抗のドッチボール。

30名クラスなので、けっこうごちゃごちゃするが、全員が参加している。
運動の得意な生徒が、積極的にボールを取ると、ここぞとばかりに激しくボールを投げる。

ぶつかった生徒は、文句一つ言わずさっと外野へ。
外野に出ても、また自分で誰かにボールを当てれば、入れるのだからか、なかなか潔い。

複数のボールと複数のフリスビーが飛び交う様は、見ていても何が何だか分からないが、生徒たちはここぞとばかりに汗だくになりながらストレスを発散?している。

「こういう姿を見られるのなら、学年全員でリクレーションをするのも悪くない…。」
そう、ほくそ笑みながら、私は静かに彼らの様子を見ていた。

10分勝負二本を終えると、今度は体育館からグランドに移動。ドロケーをするという。

学活の残り時間も少なくなっていたが、全員がグランド中を駆けずり回る。

小雪がちらつく寒い日だったが、日差しも出ている。
「お日様に当たりながら、追いかけ回し、逃げ回るのは、いいんじゃないかな…。」

そう思いながら、私はグランドをブラブラしていた。

のんびりグランドを見ていると、いろいろな発見もある。

「どうか立派な中3になってくれ…。」
そう祈るように彼らを見る。

彼らと過ごすのも、もう一週間を切った。

生徒は、先生が替わろうとも、普段と同じ生活が続くものだ。

「少し休ませて欲しい。充電させて欲しい。」
という思いと、
「彼らから離れるのは、寂しいかな。」
という思いが、複雑に交錯する。

体調が万全でないようで、まだ少しエネルギーが湧かない。
それでも、いろいろな生徒に声を掛ける。

できるだけのことは、私もやろう。

そんな思いと、最後まで責任を果たせねば…、という気持ちからだ。








2019年03月13日

ルネサンスの絵画

今日の午後は芸術鑑賞会。

例年は音楽演奏になるのだが、三年に一度は美術系が選ばれ、本日のテーマは「ルネサンス時代の絵画から新しい事実を読み取る」という話。

ルネサンス時代の絵画には、ヘルメス文書の思想があるという。
だから、キリスト教の宗教絵画でありながら、その絵画の中には、ヘルメスが描かれていたりするのだ。
もう一つの驚きは、絵画の中にUFOが描かれているということ。
現代も、多くのUFOが世界各地に飛来しているが、ルネサンス時代も常識的にそうしたものが見られたのだろうか。

「絵画を使って、聖書の世界を表現しようとしているのです。」
講師がそう熱弁を振るう。
確かに活字で学ぶより、絵画を見た方が、ストレートに宗教世界が分かる。
恐らくは、莫大な金額を投入して、絵画を作らせたのだろう。

そうした絵画の中に、さりげなく作者の自画像やヘルメスが描かれているというもの面白い。

聖母マリアが美しく描かれ始めたのもこの時代。衣装まで決まっているという。
だから、絵画の中で、この衣装を着ている女性はマリアということになるのだそうだ。

前述のヘルメス。これはギリシャ時代の指導者。ゼウスよりあとの時代の英雄であり、宗教指導者であるが、これが「アテナイの学堂」に描かれているのだという。

絵画は人の心を癒やし、感動させるものであるが、「ダビンチコード」のように、隠れた暗号を読み解くというのも、なかなかスリリングで面白い。

そんな話が一時間ほど続いた。

こんな芸術鑑賞会も面白い。
絵を見るときの視点が、また一つ、新たに加わった感じだ。

私は以前から、いろいろなことに興味を持つ。
趣味も多いし、いろいろな知識を得るのは楽しいし、どんどん知らないことを得ることは面白い。
だから、授業中でも、いろいろな話をしてしまい、しばしば脱線してしまうのだが、生徒たちは、それが、いい集中材料にもなり、また面白い話も聞け、そういう意味での評判はよい。

本来は、学力をアップさせるカリスマだったりすれば、格好がいいのだろうが、元来平凡な成績しか取ったことのない私には、そうした芸当はできない。

絵画好きの人は、お互いに好きな作者が同じだと、意気投合するらしい。
講師は、
「人は、共通点が見つかると、仲良くなれる。」
と、強調していた。

確かに、互いの共通点がなければ、人間関係はギクシャクする。
しかし、共通点が見つかれば、いらぬ誤解も解けるという訳だ。

芸術鑑賞から、暗号解析、はたまた人間関係論まで幅広く、教養を高められる講座となった。

私も授業では、生徒がいろいろなことに興味を持てるよう、ありとあらゆる分野の話をするが、どの分野も専門家でないことが多く、どうしても話が浅くなる。生徒の誰かが、どこかで興味を持てば、今度は、自然に彼らが学びを深めていく。

私ももっと精進せねば…。








2019年03月12日

模試の結果

系列校に移って4年経った若手の先生から電話があった。
「もう一回、丹澤先生のアドバイスをお聞きしたいと思いまして…。」

彼の教育実習の時、指導教員だった私の一言が、今の時期になって、必要に迫られたのだという。
要は、指導に悩んでいるのだろう。
昨今の学力低下を止めるため、中高一貫の中学で、どのように数学教育をしてゆけばいいのか、そのアドバイスを聞きたいというものだ。

正直、私には人に語れるアドバイスなどない。
たまたま、今年の高3が、何人も東大に合格し、合格した彼らが中2のときの担任が電話をかけてきた若手の先生だったのである。

風の便りにそれを知り、「丹澤にアドバイスを聞け」、と上司から指示されたのか、それとも授業において、何か悩みがあってのことなのだろう。

「こっちには、中学の先生では、丹澤先生レベルの人がいないんです。」
そんなこと言われても困る。

私は、相も変わらず、楽しく自分勝手に授業をしているだけだ。
ただ、言えることは、生徒たちも楽しく、興味深く聞いてくれていることだろう。

実は、昨日も電話があり、今日の電話は、昨日に続いて二度目。
よほどお困りなのかも知れない。

数日前、実力テストの結果が戻ってきた。
この結果に一喜一憂しているのは、生徒ばかりではない。学年の先生、教科の先生たちも、戦々恐々としている。
管理職が、成績推移だの、過年度経過だの、いろいろな資料を作って、
「学年としての意見を述べよ。そして対策を考えよ。」
と、来る。

私も二学期、中2の学年を必死で底上げしようともがいてみたが、結局、成績は大幅に下がってしまった。
「やればやるほど下がってしまうではないか。」
と、様々な施策の無力さを感じた。

しかし、今回はどの教科も向上している。
中には、教科によっては、全国レベルの生徒もいる。

結局は、日常生活なのだと思う。
教師側が、どんな対策を立てようと、それを素直に受け入れ、「勉強する雰囲気」が、その学年なりクラスに出てこなければ、結果はついて来ない。

二学期より少し落ち着き、立志式に向けて、彼らが少し自分自身を見つめ、将来を考え、ほんの少し努力したからこその結果なのだろう。

結局我々教師は、ただただ見守り、思春期の混乱に翻弄されただけだったわけだ。

「結局は、生徒自身なんだよ。彼らがやる気を出せば、ぐーんと実力は上がるんだよ。」
そうアドバイスしようと思ったが、思いとどまった。
あまりに彼が、小手先の指導に固執していたからである。

やる気を起こさせるために、ほんの少しの手助けと、その方向づけをするのが、教師の仕事なのだろう。









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