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2019年03月25日
山頂は晴天なり
昨日の山は吹雪だったが、今朝は晴れ渡っている。
「よし、今日がチャンスだ!」
とばかり、急遽、昨日のリベンジで再び山に出掛けた。
空は快晴。
今日はロープウェーも動いている。
気温はどんどん上がっていきそう。
道路の雪はすっかりと消え、これなら山頂駅でも雪は少ないだろう。
そう見越して、山に出掛けると、案の定、山はゴールデンウィークくらいの積雪。
山頂でも、下界を見ながら、まどろみの生活をしつつ、生徒たちには宿題をやらせようと思っていたのだが、
「これなら、山頂まで行けるかもしれない…。」
と、行ける所まで登ってみることにした。
もちろん、細心の注意が必要だ。
無積雪期でも、油断をすれば転倒し怪我の危険がある。
空はどこまでも抜ける青空。
標高1900mは、風こそ冷たいが、私たちを優しく包み込む。
昨日の吹雪でできた樹氷がまだまだ山の寒さを物語る。
岩場の急登の前に、山登りのポイントを教えてから出発。
山頂までは30分程度だが、何カ所か残雪があり、また、一部岩に氷が残っている部分もあるので、注意の上に注意して登る。
「登りより、下りの方がさらに注意が必要なんだよな…。」
と、思いながらも、ゆっくりと山頂に向かう。
山頂では360度の視界。
風が弱めなので、遠くまで見えるほどではなかったが、それでも彼らが経験するには、十分すぎる景色だろう。
「この岩も溶岩ですか?」
「赤いのは鉄分ですよね。」
などと、理科の授業も欠かさない。
昨年は、機会を逸して、ついに山頂まで行くことができなかったが、ゴールデンウィークを迎えるより前に、あっさりと達成してしまった。
次は夏山かな…。
山頂駅で少し勉強させてから下山。
一時間もかからず学校に戻れるのはいい…。
リスクだらけのハイキングだが、無事に終えることができた。
「よし、今日がチャンスだ!」
とばかり、急遽、昨日のリベンジで再び山に出掛けた。
空は快晴。
今日はロープウェーも動いている。
気温はどんどん上がっていきそう。
道路の雪はすっかりと消え、これなら山頂駅でも雪は少ないだろう。
そう見越して、山に出掛けると、案の定、山はゴールデンウィークくらいの積雪。
山頂でも、下界を見ながら、まどろみの生活をしつつ、生徒たちには宿題をやらせようと思っていたのだが、
「これなら、山頂まで行けるかもしれない…。」
と、行ける所まで登ってみることにした。
もちろん、細心の注意が必要だ。
無積雪期でも、油断をすれば転倒し怪我の危険がある。
空はどこまでも抜ける青空。
標高1900mは、風こそ冷たいが、私たちを優しく包み込む。
昨日の吹雪でできた樹氷がまだまだ山の寒さを物語る。
岩場の急登の前に、山登りのポイントを教えてから出発。
山頂までは30分程度だが、何カ所か残雪があり、また、一部岩に氷が残っている部分もあるので、注意の上に注意して登る。
「登りより、下りの方がさらに注意が必要なんだよな…。」
と、思いながらも、ゆっくりと山頂に向かう。
山頂では360度の視界。
風が弱めなので、遠くまで見えるほどではなかったが、それでも彼らが経験するには、十分すぎる景色だろう。
「この岩も溶岩ですか?」
「赤いのは鉄分ですよね。」
などと、理科の授業も欠かさない。
昨年は、機会を逸して、ついに山頂まで行くことができなかったが、ゴールデンウィークを迎えるより前に、あっさりと達成してしまった。
次は夏山かな…。
山頂駅で少し勉強させてから下山。
一時間もかからず学校に戻れるのはいい…。
リスクだらけのハイキングだが、無事に終えることができた。
2019年03月24日
厳寒耐久の山歩き
時々は練習を休んで、どこかに連れて行くのが、私が野球部の顧問をやってからの習慣になっている。
今回は、山に出掛け、のんびり過ごさせてあげようと思ったが、寒の戻りで山は真冬だった。
せっかくの雪道。
これなら良い経験がさせられる。
ちらついている雪で興奮している状態だから、雪山を歩いて登るのは、まるで子犬を連れているよう。きゃーきゃー言いながら走って登る。
天候は吹雪。
吹き付ける雪が肌に突き刺さる。
みんな頬を真っ赤にしている。
小一時間の山歩き。
希有な経験をさせられただろうか…。
雪合戦どころの騒ぎではない。
歩くだけで大変な状態だ。
暖かい冬で雪が溶け、氷になってしまった上に、昨晩からのパウダースノーが積もり、気を付けないと大転倒を起こす。
私も登りと下り、全く同じ場所で二度ほど転び、二度目はカメラのレンズのフィルターを割った。
こんな感じで、吹雪の中、雪山歩きを楽しんだ。
氷点下10℃くらいの中に、小一時間車を駐めておいたら、エンジンオイルランプが消えなくなった。
あんまり寄り道はできないな、と思いながら山を下り、県下第2位の吊り橋に行く。
風速は30メートル近く。「強風時はお気をつけ下さい」とあるので、気を付けて渡る。
これには、生徒たちもびびっていた。
体重の軽い中学生は、強風で飛ばされそうになるから、吊り橋は恐怖らしい…。
怖いものだから、走って渡っている生徒もいた。
こんな時でも、怖がって動かなくなる生徒はいない。
頑張って制覇しようとする姿はエライ。
数年前に改修されたので、強度的には問題ないが、飛ばされたらまずいだろう。
ある生徒が、
「先生、飛んで行ったらどうすればいいんですか?」
と、言うものだから、
「モモンガみたいに飛んで、着地したら?」
などと冗談を言う。
高さは数十メートルあるから、そうもいくまいが…。
何カ所か、貴重な経験をさせて戻る。
のんびり春の日差しを浴びて、下界を楽しもうという企画が、厳寒耐久の山歩きになってしまった。
彼らの人生に何かしらの刺激になれば幸いである。
今回は、山に出掛け、のんびり過ごさせてあげようと思ったが、寒の戻りで山は真冬だった。
せっかくの雪道。
これなら良い経験がさせられる。
ちらついている雪で興奮している状態だから、雪山を歩いて登るのは、まるで子犬を連れているよう。きゃーきゃー言いながら走って登る。
天候は吹雪。
吹き付ける雪が肌に突き刺さる。
みんな頬を真っ赤にしている。
小一時間の山歩き。
希有な経験をさせられただろうか…。
雪合戦どころの騒ぎではない。
歩くだけで大変な状態だ。
暖かい冬で雪が溶け、氷になってしまった上に、昨晩からのパウダースノーが積もり、気を付けないと大転倒を起こす。
私も登りと下り、全く同じ場所で二度ほど転び、二度目はカメラのレンズのフィルターを割った。
こんな感じで、吹雪の中、雪山歩きを楽しんだ。
氷点下10℃くらいの中に、小一時間車を駐めておいたら、エンジンオイルランプが消えなくなった。
あんまり寄り道はできないな、と思いながら山を下り、県下第2位の吊り橋に行く。
風速は30メートル近く。「強風時はお気をつけ下さい」とあるので、気を付けて渡る。
これには、生徒たちもびびっていた。
体重の軽い中学生は、強風で飛ばされそうになるから、吊り橋は恐怖らしい…。
怖いものだから、走って渡っている生徒もいた。
こんな時でも、怖がって動かなくなる生徒はいない。
頑張って制覇しようとする姿はエライ。
数年前に改修されたので、強度的には問題ないが、飛ばされたらまずいだろう。
ある生徒が、
「先生、飛んで行ったらどうすればいいんですか?」
と、言うものだから、
「モモンガみたいに飛んで、着地したら?」
などと冗談を言う。
高さは数十メートルあるから、そうもいくまいが…。
何カ所か、貴重な経験をさせて戻る。
のんびり春の日差しを浴びて、下界を楽しもうという企画が、厳寒耐久の山歩きになってしまった。
彼らの人生に何かしらの刺激になれば幸いである。
2019年03月23日
自らの存在意義
昨日は、すべての仕事を失念し、学年団に大迷惑をかけた。
それを今朝になってから気づき、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「学年ロッカーの整理をお願いします。」
新年度から中1の担任になるN先生は、機嫌が悪いときは、私のPCの付箋を貼る。
すぐに私は、一人学年ロッカーの整理をする…。
不要と思われるものを徹底的に整理し、私が個人的に保管しておきたいものは持ちかえった。
別に過去の栄光を求めている訳ではないが、このまま朽ち果ててしまうのが惜しかったのだ。
午前中は校内研修があった。
新年度に向けて智慧の共有をする。
生徒指導に長けている先生、学年をめざましく成長させた先生が発表した。
「生徒の期待を裏切らないでください。」
「一番大切なことは、中学三年間の間に、動物的本能から徳に転換することです。」
いずれの発表ももっともなことであり、私の忘れていた部分。
長く教員生活をしていて、どこかに傲慢さがあったのだろう。
それが、今の心境を招いているのだ。
ただただ自らの非力さを詫びながら、彼らの発表を聞いた。
「五十代のベテランの方、是非、若手のために一肌脱いで下さい。お願いします。」
人材を育成できてこそ、よい組織であると言える。
幸いなことに、私の職場は、わがまま集団とは対極にある組織だ。
だから、なかなか若手には、敷居が高く、自らの存在位置を見つけることは難しいだろう。
今の私も、そんな気持ちがよぎっている。
人は自らの存在意義を認められなければ、生きてはいけない。
生徒たちも、クラスや学年、学校で、「存在意義」なるものを発見できなければ、学校生活を続け津事は難しい。だから、教員は、力を尽くして彼らの個性を認め、集団への帰属意識を高め、時に寄り添って励ます。
トップダウンの教育では難しい時代に突入している。
自らが変わっていかなければ、変化する組織においては落ちこぼれとなる。
きっと今の私がその状態なのだろう。
夜の校長の送別会は欠席した。
明日は、卒業生が来校するという。
教え子の中で一番元気な奴だ。
楽しみに待つとしよう…。
それを今朝になってから気づき、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「学年ロッカーの整理をお願いします。」
新年度から中1の担任になるN先生は、機嫌が悪いときは、私のPCの付箋を貼る。
すぐに私は、一人学年ロッカーの整理をする…。
不要と思われるものを徹底的に整理し、私が個人的に保管しておきたいものは持ちかえった。
別に過去の栄光を求めている訳ではないが、このまま朽ち果ててしまうのが惜しかったのだ。
午前中は校内研修があった。
新年度に向けて智慧の共有をする。
生徒指導に長けている先生、学年をめざましく成長させた先生が発表した。
「生徒の期待を裏切らないでください。」
「一番大切なことは、中学三年間の間に、動物的本能から徳に転換することです。」
いずれの発表ももっともなことであり、私の忘れていた部分。
長く教員生活をしていて、どこかに傲慢さがあったのだろう。
それが、今の心境を招いているのだ。
ただただ自らの非力さを詫びながら、彼らの発表を聞いた。
「五十代のベテランの方、是非、若手のために一肌脱いで下さい。お願いします。」
人材を育成できてこそ、よい組織であると言える。
幸いなことに、私の職場は、わがまま集団とは対極にある組織だ。
だから、なかなか若手には、敷居が高く、自らの存在位置を見つけることは難しいだろう。
今の私も、そんな気持ちがよぎっている。
人は自らの存在意義を認められなければ、生きてはいけない。
生徒たちも、クラスや学年、学校で、「存在意義」なるものを発見できなければ、学校生活を続け津事は難しい。だから、教員は、力を尽くして彼らの個性を認め、集団への帰属意識を高め、時に寄り添って励ます。
トップダウンの教育では難しい時代に突入している。
自らが変わっていかなければ、変化する組織においては落ちこぼれとなる。
きっと今の私がその状態なのだろう。
夜の校長の送別会は欠席した。
明日は、卒業生が来校するという。
教え子の中で一番元気な奴だ。
楽しみに待つとしよう…。
2019年03月22日
悪魔の攻撃
『失望』は、悪魔の最大の武器である。
以前、こんなことを本で読んだことがある。
『失望』さえあれば、悪魔は、人間に対して、ありとあらゆるマイナスの思いを矢継ぎ早に射ることができるのだという。
疑心暗鬼、怠惰、被害妄想、自己否定、自暴自棄…。
これらの思いを次々と植え付け、人を虜にする。
生きていると、失望することは、ままある。
それを、すぐにポジティブに切り替えることができれば、悪魔の攻撃は防げるだろうが、いつまでも『失望』を引きずっていると、自分ではどうにもならない境地まで堕ちてしまうことがあるものだ。
教育の世界でも、この『失望』は、各所に転がっている。
今現在も、この『失望』を足がかりに、気持ちが萎えてしまっている人もいるだろう。
「どうして、私が担任を外されなければいけないでしょうか。」
こういう言葉はよく聞く。
「何故、私が顧問を外れるのでしょうか。」
こちらも多い。
「どうしてこの子の担任に?」
「どうしてこの校務分掌?」
この年度末や年度当初は、時期はこうした思いが多く起こる時期でもある。
私はこの『失望』でやられた人を、これまで数多く見てきた。
どちらかというと、情熱的に取り組んでいた人が多いかも入れない。
それを、半ば強制的に中断され、いわゆる「やる気」を失っていくのである。
いつしか、惰性で仕事をするようになり、気がつけば道を大きく外れてしまう。
その職場に対する情熱を失ったならば、教育活動はもちろん、ありとあらゆる仕事はできまい。
私は、一つの解決方法として、「違う分野に関心を持つこと」、を挙げたい。
もしかしたら、今まで、視野が狭く、自分だけの価値観に固執していたのかも知れない。
特定の生徒や、職務にだけ思いを向けていたのかも知れない。
そうではなく、もっと広い視野で、職務を見てみようとするのである。
今の職務すら見たくないというのなら、「別の何か」でもいい。
ある時期、趣味の世界に没頭するでもよいだろうし、しばらく充電期間を持つのでもよいだろう。
どうしても、耐えられないのなら、職場や職業を変えるしかない。
ただ、この仕事も、以前は情熱を持ってやってきたわけで、そんな簡単に情熱を失ってはいけないし、もし、そういう思いに駆られるのならば、悪魔の格好の餌食になっていると思って、もう一踏ん張りしてみると良い。
どうか、『失望』という思いを、大きく持ちすぎないようにして欲しい。
教育界から情熱溢れる先生を失わせてはいけないのだ。
以前、こんなことを本で読んだことがある。
『失望』さえあれば、悪魔は、人間に対して、ありとあらゆるマイナスの思いを矢継ぎ早に射ることができるのだという。
疑心暗鬼、怠惰、被害妄想、自己否定、自暴自棄…。
これらの思いを次々と植え付け、人を虜にする。
生きていると、失望することは、ままある。
それを、すぐにポジティブに切り替えることができれば、悪魔の攻撃は防げるだろうが、いつまでも『失望』を引きずっていると、自分ではどうにもならない境地まで堕ちてしまうことがあるものだ。
教育の世界でも、この『失望』は、各所に転がっている。
今現在も、この『失望』を足がかりに、気持ちが萎えてしまっている人もいるだろう。
「どうして、私が担任を外されなければいけないでしょうか。」
こういう言葉はよく聞く。
「何故、私が顧問を外れるのでしょうか。」
こちらも多い。
「どうしてこの子の担任に?」
「どうしてこの校務分掌?」
この年度末や年度当初は、時期はこうした思いが多く起こる時期でもある。
私はこの『失望』でやられた人を、これまで数多く見てきた。
どちらかというと、情熱的に取り組んでいた人が多いかも入れない。
それを、半ば強制的に中断され、いわゆる「やる気」を失っていくのである。
いつしか、惰性で仕事をするようになり、気がつけば道を大きく外れてしまう。
その職場に対する情熱を失ったならば、教育活動はもちろん、ありとあらゆる仕事はできまい。
私は、一つの解決方法として、「違う分野に関心を持つこと」、を挙げたい。
もしかしたら、今まで、視野が狭く、自分だけの価値観に固執していたのかも知れない。
特定の生徒や、職務にだけ思いを向けていたのかも知れない。
そうではなく、もっと広い視野で、職務を見てみようとするのである。
今の職務すら見たくないというのなら、「別の何か」でもいい。
ある時期、趣味の世界に没頭するでもよいだろうし、しばらく充電期間を持つのでもよいだろう。
どうしても、耐えられないのなら、職場や職業を変えるしかない。
ただ、この仕事も、以前は情熱を持ってやってきたわけで、そんな簡単に情熱を失ってはいけないし、もし、そういう思いに駆られるのならば、悪魔の格好の餌食になっていると思って、もう一踏ん張りしてみると良い。
どうか、『失望』という思いを、大きく持ちすぎないようにして欲しい。
教育界から情熱溢れる先生を失わせてはいけないのだ。
2019年03月21日
刺激を与え続けること
『生きる力』が謳われて久しいが、結局、先人が教えなければ、子供たちは大切な知識や技術を知ることなく大人になり、そして文化が廃れていく。
今朝の部活の終わりに、部員たちに木を切らせてみた。
面倒な時は、私がチェンソーで切ってしまうのだが、直径十数センチの枯れた木を根元からのこぎりで切り、さらに分割しようと、生徒に切らせてみたのだ。
一人が五分、もう一人が15分かかっても切れなかった。
最初に私が切り方を教えたのだが、木を切ることには慣れていないらしい。
確かに、日常生活で木を切ることは、技術の木工でもやらない限り、その機会はない。
だからこそ、私は、生徒たちに、本来は当たり前であった非日常を、経験させるべく、いろいろなことを、あえてやらせてみる。
やりながら、コツを知り、難しさを知り、プロや熟練者たちに尊敬の思いを抱かせる。
そして、彼らの仕事を賞賛し、決してバカにさせないようにしたいのだ。
学校現場ではぞうきんを洗わせることが、かろうじて残っていると思われるが、これも教えなければできない。「一体、親は何を教えているのだ」、と思うこともあるが、現代の親たちは、もはや生きることに精一杯なのかも知れないし、もしかしたら、技術の伝承をすることなく親になってしまっている世代が始まっているかも知れない。
枯れ木を処理して、綺麗な森を保つ。
枯れ木は、薪にして、たき火のとき使う。
冬にたき火で、サツマイモを焼いてみた。
焼くと芋の本来のうまみがさらに引き出される。
残り炭で餅を焼くこともある。
やっぱりオーブンでチンの音を待つよりはるかに美味い。
貴重な少年時代だ。
いろいろな経験をさせてみたい。
それが、この先何の役に立つかは考えない。
いろいろな経験をすることで、心の中の何かのスイッチがオンになれば、昨日とは違う自分になるかもしれない。
それによって、私が得することは何もないが、何故か、彼らを育てたくなる。
これが、教師の生まれ持った本能なのだろう。
畑で鍬を持たせたり、土を作ったり、種をまいたり、芽かきをしたりして、育った野菜を食べると、好き嫌いも激減するだろう。とにかく美味しいからだ。
今度はどんな体験をさせようかな…。
私が授業でいろいろな話をするのも、彼らの中で、誰かがどこかにピピッと感じるものがあればいい、と思ってのことだ。
刺激を与え続けることも教師の仕事だ。
安心のパートナー、ハローハッピーは即日融資です!
今朝の部活の終わりに、部員たちに木を切らせてみた。
面倒な時は、私がチェンソーで切ってしまうのだが、直径十数センチの枯れた木を根元からのこぎりで切り、さらに分割しようと、生徒に切らせてみたのだ。
一人が五分、もう一人が15分かかっても切れなかった。
最初に私が切り方を教えたのだが、木を切ることには慣れていないらしい。
確かに、日常生活で木を切ることは、技術の木工でもやらない限り、その機会はない。
だからこそ、私は、生徒たちに、本来は当たり前であった非日常を、経験させるべく、いろいろなことを、あえてやらせてみる。
やりながら、コツを知り、難しさを知り、プロや熟練者たちに尊敬の思いを抱かせる。
そして、彼らの仕事を賞賛し、決してバカにさせないようにしたいのだ。
学校現場ではぞうきんを洗わせることが、かろうじて残っていると思われるが、これも教えなければできない。「一体、親は何を教えているのだ」、と思うこともあるが、現代の親たちは、もはや生きることに精一杯なのかも知れないし、もしかしたら、技術の伝承をすることなく親になってしまっている世代が始まっているかも知れない。
枯れ木を処理して、綺麗な森を保つ。
枯れ木は、薪にして、たき火のとき使う。
冬にたき火で、サツマイモを焼いてみた。
焼くと芋の本来のうまみがさらに引き出される。
残り炭で餅を焼くこともある。
やっぱりオーブンでチンの音を待つよりはるかに美味い。
貴重な少年時代だ。
いろいろな経験をさせてみたい。
それが、この先何の役に立つかは考えない。
いろいろな経験をすることで、心の中の何かのスイッチがオンになれば、昨日とは違う自分になるかもしれない。
それによって、私が得することは何もないが、何故か、彼らを育てたくなる。
これが、教師の生まれ持った本能なのだろう。
畑で鍬を持たせたり、土を作ったり、種をまいたり、芽かきをしたりして、育った野菜を食べると、好き嫌いも激減するだろう。とにかく美味しいからだ。
今度はどんな体験をさせようかな…。
私が授業でいろいろな話をするのも、彼らの中で、誰かがどこかにピピッと感じるものがあればいい、と思ってのことだ。
刺激を与え続けることも教師の仕事だ。
安心のパートナー、ハローハッピーは即日融資です!
2019年03月20日
卒業式と最後の学活
終業式ののちに卒業式が始まった。
学年主任が先導して歩き、その後ろに担任、クラス生徒と続く…。
「私はこうした先頭を歩くことは、もうないのだな…。」
と、思ったら、少し寂しくなった。
中学の卒業式は感動の中に終わった。
自分の学年ではないが、彼らの雄姿を見ると、うるっとくる。
G線上のアリアの流れる中での卒業証書授与は、たった2クラス代表だけでも、この三年間の思いがよぎる。
一生懸命涙を抑えたが、式の最終段階で我慢の限界に達した。
中3が、歌を披露したのだ。
もとより上手な学年だったが、心のこもった混声合唱にとめどもなく涙が溢れた。
この後、卒業生退場。
「やばい、このままの状態で、終了後、教室で話をしたら泣いてしまう…。」
幸い、卒業式会場の後片付けがあり、ここで気持ちを落ち着けることができた。
最後の学活では、いつものように彼らの笑い誘いつつ話をして、クラス全員のフルネームを呼んで通知表を渡す。
そして最後に「これでお別れです」、とさらっと話して、他のクラスよりもずっと早く終了。
それでも最後に生徒は一人ひとりの感謝の手紙をつづった冊子を私にくれた。
それを一人読む…。
それらは、30名の感謝の言葉で満ちており、またしても涙が溢れた。
「迷惑ばかりかけてすいません。」
「毎日の先生の話がとても興味深かったです。」
「自分は変わります。」
正直言うと、私が精神的にダメージを受け続けたのは、校長の言葉の影響もある。
校長の息子がクラスにいたのだが、ことあるたびに私を監視するかのように見て、学活についてもいろいろ注文をつけてきたのだ。
「先生の話は、みんな聞いてるの?」
何気ないその言葉が、私を深く傷つけたようだ。
今回、彼らの手紙を読んで、かなり聞いてくれていたことが分かった。
少しほっとした。
要録は残ってはいるが、担任を終えて少しすっきりした。
自分自身の心の整理がついた気がする。
明日からはクラスで生徒の前に立つことは、新年度の授業まではない。
少し充電しよう。
学年主任が先導して歩き、その後ろに担任、クラス生徒と続く…。
「私はこうした先頭を歩くことは、もうないのだな…。」
と、思ったら、少し寂しくなった。
中学の卒業式は感動の中に終わった。
自分の学年ではないが、彼らの雄姿を見ると、うるっとくる。
G線上のアリアの流れる中での卒業証書授与は、たった2クラス代表だけでも、この三年間の思いがよぎる。
一生懸命涙を抑えたが、式の最終段階で我慢の限界に達した。
中3が、歌を披露したのだ。
もとより上手な学年だったが、心のこもった混声合唱にとめどもなく涙が溢れた。
この後、卒業生退場。
「やばい、このままの状態で、終了後、教室で話をしたら泣いてしまう…。」
幸い、卒業式会場の後片付けがあり、ここで気持ちを落ち着けることができた。
最後の学活では、いつものように彼らの笑い誘いつつ話をして、クラス全員のフルネームを呼んで通知表を渡す。
そして最後に「これでお別れです」、とさらっと話して、他のクラスよりもずっと早く終了。
それでも最後に生徒は一人ひとりの感謝の手紙をつづった冊子を私にくれた。
それを一人読む…。
それらは、30名の感謝の言葉で満ちており、またしても涙が溢れた。
「迷惑ばかりかけてすいません。」
「毎日の先生の話がとても興味深かったです。」
「自分は変わります。」
正直言うと、私が精神的にダメージを受け続けたのは、校長の言葉の影響もある。
校長の息子がクラスにいたのだが、ことあるたびに私を監視するかのように見て、学活についてもいろいろ注文をつけてきたのだ。
「先生の話は、みんな聞いてるの?」
何気ないその言葉が、私を深く傷つけたようだ。
今回、彼らの手紙を読んで、かなり聞いてくれていたことが分かった。
少しほっとした。
要録は残ってはいるが、担任を終えて少しすっきりした。
自分自身の心の整理がついた気がする。
明日からはクラスで生徒の前に立つことは、新年度の授業まではない。
少し充電しよう。
2019年03月19日
卒業式の前日
私は就寝時にラジオをつけっぱなしにしている。
そのため、いつしか番組と時間の関係を覚えてしまった。
夜中に目が覚めたとき、ラジオから聞こえてくる番組で、大体何時くらいかが分かる。
今朝も音楽が始まったので、「ああ、3時頃か…。さすがにまだ起きるのは早いな…」、と思いながらも、音楽に耳を傾けていると、なんと『卒業』特集。卒業に関わる往年の歌が次々と流れてくる。
ちょうど卒業式直前ということもあり、音楽ですっかりと目が覚めてしまった。
海援隊の『贈る言葉』は、ちょうど私が中3の時のドラマだったし、尾崎豊だの、100年間歌い続けられている歌(『仰げば尊し』)だの、最近卒業式で歌われているだの、次々に学校関連の話題が出てしまうと、自ずと目を覚ますしかないではないか。
…という訳で、仕方なく4時には起きた。
ちょうど、通知表や、論文を作らなければならず、ちょうど良かった。
さすがに、早朝は仕事がはかどる…。
「きっと、所見を書くのにウンウン言って、今頃寝ている先生もいるんだろうな」、と想像しながら、テキパキと進めていく。
学校では大掃除と全校集会、そして、明日の中学校の卒業式の予行。それから、生徒会の引き継ぎ式。
原則併設の高校に進学するので、高校の規模よりはるかに小さいが、けじめとして卒業式を挙行する。
それがいよいよ明日だ。
と、同時に私の担任生活もおしまい。
別にカウントダウンした訳ではないが、何となくこの日を待ち望んだようでもあり、一方で、寂しさもあるような、何とも複雑な心境。
明日は、クラスにどう話そうか…。
彼らは、そのまま持ち上がると思い、今日も学年を集めて、中3までしなければいけないことを、いつもの調子で説明した。
誰も辞めるとは思っていないだろうな、と思いつつ、申し訳ない気持ちも大きい。
通知表の所見の最後には、「この二年間大きく成長しました」、と全員に加えた。
私のせめてもの、お土産だ。
少し浮いた時間で、何か新しいことにチャレンジしようと思う。
今日の全校集会では、異動者の挨拶も行われた。
学校を去る人は、たいていここで挨拶をする。
私が挨拶していないのを見て、高校生が、
「丹澤先生、本気で辞めると思いましたよ…。」
と、ジャブを打たれた。
「俺は、そういう場にはでないんだよ…。」
「頼むから知らないうちにいなくならないで下さいよ。」
よくできた生徒だ。
明日は、あっさりと話をして、せめて泣かないようにしたいと思う。
教室の荷物も、あとは運び出すだけだ。
そのため、いつしか番組と時間の関係を覚えてしまった。
夜中に目が覚めたとき、ラジオから聞こえてくる番組で、大体何時くらいかが分かる。
今朝も音楽が始まったので、「ああ、3時頃か…。さすがにまだ起きるのは早いな…」、と思いながらも、音楽に耳を傾けていると、なんと『卒業』特集。卒業に関わる往年の歌が次々と流れてくる。
ちょうど卒業式直前ということもあり、音楽ですっかりと目が覚めてしまった。
海援隊の『贈る言葉』は、ちょうど私が中3の時のドラマだったし、尾崎豊だの、100年間歌い続けられている歌(『仰げば尊し』)だの、最近卒業式で歌われているだの、次々に学校関連の話題が出てしまうと、自ずと目を覚ますしかないではないか。
…という訳で、仕方なく4時には起きた。
ちょうど、通知表や、論文を作らなければならず、ちょうど良かった。
さすがに、早朝は仕事がはかどる…。
「きっと、所見を書くのにウンウン言って、今頃寝ている先生もいるんだろうな」、と想像しながら、テキパキと進めていく。
学校では大掃除と全校集会、そして、明日の中学校の卒業式の予行。それから、生徒会の引き継ぎ式。
原則併設の高校に進学するので、高校の規模よりはるかに小さいが、けじめとして卒業式を挙行する。
それがいよいよ明日だ。
と、同時に私の担任生活もおしまい。
別にカウントダウンした訳ではないが、何となくこの日を待ち望んだようでもあり、一方で、寂しさもあるような、何とも複雑な心境。
明日は、クラスにどう話そうか…。
彼らは、そのまま持ち上がると思い、今日も学年を集めて、中3までしなければいけないことを、いつもの調子で説明した。
誰も辞めるとは思っていないだろうな、と思いつつ、申し訳ない気持ちも大きい。
通知表の所見の最後には、「この二年間大きく成長しました」、と全員に加えた。
私のせめてもの、お土産だ。
少し浮いた時間で、何か新しいことにチャレンジしようと思う。
今日の全校集会では、異動者の挨拶も行われた。
学校を去る人は、たいていここで挨拶をする。
私が挨拶していないのを見て、高校生が、
「丹澤先生、本気で辞めると思いましたよ…。」
と、ジャブを打たれた。
「俺は、そういう場にはでないんだよ…。」
「頼むから知らないうちにいなくならないで下さいよ。」
よくできた生徒だ。
明日は、あっさりと話をして、せめて泣かないようにしたいと思う。
教室の荷物も、あとは運び出すだけだ。