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2019年04月08日

校長の一言

ここ地方の田舎町でも、ようやく桜が咲いた。
数日前からちらほら開花していたが、昨日の入学式、始業式に合わせるかのように、ぱっと咲き誇った。いよいよ春である。

日曜日に入学式、始業式を行った関係で、今日は代休。
新入生にとっては、これから始まるオリエンテーションに向けてのよい休養になっただろう。
これからいよいよ、小学生から中学生化が始まるわけで、彼らにとっては大きな試練になる。

毎年、新入生が入ってくると、その行いはまるでエイリアンのようにも思える。
考え方も、行動も、想定する範囲を大きく超えたものがある。

それを単に小学校カルチャーとして片付けることなく、きっちり育てていかねばならないのだが、やはり、学校に馴染み、本校の中1として胸を張れる状態になるには、やはり半年近くはかかる。

私が歳をとったということもあるのだろうが、毎年、私の想定する範囲とのギャップが大きくなっていくように感じる。

それは、生徒のみではなく、ほとんどが私の年下となった保護者に対しても同じだ。

よくできた企業では、『クレームは宝の山』、として、お客様の声を大切にする。
私の学校も、それに準じて、同じようなスタンスで、私の学校は運営されている。
しかし、そう思いを転換することは、我々教員にも大きな自己変革を迫られるものだ。

これにより私自身も、ここ十年来、大きなダメージを受け続けたことも事実。
それでも、奉仕の精神で教育事業に携わらなければならない訳で、相応の心の修行が求められる。

そんなとき、ほんの些細な保護者の一言が、救いになることもある。
もしかしたら、その一言は、100のクレームをも吹き飛ばす、救いの言葉になっているかも知れない。

保護者は大切な子どもを私たちに預けていく。
「できることなら、自分ですべて教育したい」、という気持ちをお持ちの方も多いだろう。
だから、自分の考えと合わない、学校の方針については、必ずといっていいほど、意見を述べられる。
時に、その意見は、正反対なものあり、学校としては、その調整を迫られる訳だ。

大切な日本の宝である、彼らをきちんとお育てして、世に送り出す。
そして、社会で貢献できる人材を育成し続ける。
こうしたミッションを学校は負っている。

「私たちは、生徒や保護者を在学中だけの関わりとして考えてはいけません。ひとたび縁ができたならば、それはこの先永遠につながっていくものでなければならないのです。」

新任時に、校長がそう宣言した。

これも画期的な思想だ。
ずっと関わっていかなければならないと思えばこその、対応のしかたがある。
しかし、校長は続けた。

「私たちが正しいと思うことは、貫くべきなのです。それによって、一時期保護者に嫌われようと、正しいことは、断固として進めるべきだと思うのです。それが、一生を貫く関わりにつながっていくのですから。」

「大丈夫です。責任はすべて私がとりますから。そのために私がいるのですから。先生たちは、思い切ってやってください。」

こういう言葉には勇気が湧いてくる。
「よし、やってみよう。」
という気持ちにすらなる。

よっし、もうひと頑張りしよう。












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2019年04月07日

慢心を戒める

始業式と入学式が行われた。私の学校では、同日に行う。
概ね一時間目あたりに始業式を行い、その後入学式になる。
在校生の指導と、新入生対応が同時に行われるので、なかなか忙しいのだが、一気に終えてしまうのは、授業日数確保から見ても、なかなか効率がいい。

私の担当は、入学式会場の保護者誘導。併せて、新入生の入退場時の扉の開け閉めであった。

これまでは、学年やクラスの生徒対応ばかりだったので、こうした役割分担は初めてだった。
「生徒と関わる仕事がしたい。」
そう、思って教員生活を過ごしてきたが、ここにきて、「どんな学校行事も、たくさんの人の支えてによって行われており、縁の下の力持ちが、華やかな部分を支えているのだ」、ということが、身をもって分かった。

新年度から校長も替わった。
私立学校であっても、時々は校長が替わるのである。
学校の教育方針は同じでも、当然その味付けなり、強調事項は変わってくる。
なにより、校長の性格で、学校の雰囲気は一変するものだ。

と言うわけで、今年は、入学式を客観的視点で見ることができた。
これまで入学式に参加するのは、新入生の担任の時、彼らの先頭に立ち、入場を誘導すべく座席まで歩いて行くというのが、いつもスタイルだったが、今日は違った。
ホールの一番後ろの、扉の横に座り、何となく落ち着いた心で、入学式全般を見ることができた。

入学式の最中、私は、
『あなたを取り巻く環境は、あなた自身の心の鏡に映った世界である。』
という言葉をかみしめていた。

環境がどう見えるかは、自分自身の心の状態が決める。
心の中の鏡が、正しく映し出すことができれば、それは、客観的にも、その通りなのだろう。
だが、もし、自らの心の鏡がゆがんでいたり、曇っていたとしたら、周りの環境は、間違った見方をしてしまうということだ。

これまでの私は、この言葉は十分すぎるほど知っていながらも、いつしか、自分の心を鏡を曇らせ、ゆがませてしまったいたのだな、ということを思い返している。

人はともすれば、簡単に慢心する。
気を付けているつもりでも、いつの間にか、自分を過信し、自分の力こそが優れていると思い、そうした慢心の心が芽生える。

一気にそうなるのならば、目立つし、自分自身の戒めも効くのだろうが、毎日少しずつ、慢心の思いが蓄積して、五年、十年と経つと、謙虚さを失った領域にまで達してしまうのだ。

一番いけないのは、物ごとが客観視できなくなってしまうことだ。

そんなことを、入学式中ずっと考えていた。

十数年前、一ヶ月あまり、下座修行に取り組んだことがある。
ある施設で、一日中ひたすら庭の草取りをした。
一見、暇そうで、退屈そうにも思えるが、実はそうではない。自分の心を見つめるのに、もっとも適しているとも言える。

その時、私は草取りを通して、自分の心を磨いていたわけだ。
だから、時が経つにすれ、草取りがどんどん楽しくなってくる。
別にノルマがあるわけではない。早く終わらせればよい、というものでもない。
大切なことは、その作業を通して、心を磨くこと。
自分自身を見つめること。
ものごとを、客観視できる癖をつけることである。

草取りが楽しくて仕方なくなったとき、別の仕事が与えられた。

慢心してはいけない。
慢心の心は、心に毒を作っていることになるし、日々の慢心は、心をどんどん醜くさせる。

新入生には、めでたい入学式。
特に新中学一年生は、緊張の中で、難しい話を聞いて過ごしたのだと思うが、私にとっては、新鮮で、初心を思い出させるに、十分な時間となった。

有り難い役割だった。












2019年04月06日

教員は聖職者である

今日は、地区の錬成大会の優勝、準優勝校と新人戦県優勝チームとの招待試合を行った。
これに併せて、地区の全顧問が集合し、新年度の初顔合わせを行う。

公立の先生方は、異動により学校が変わり、野球部の顧問でなくなったり、あるいはまた、新たに顧問になったり、と入れ替えはあるのだが、本年度は、全くの新人の方はいなかった。
何年ぶりかに復帰された方が数名おられるだけで、いつものメンバーである。

なかなか過酷な野球部顧問へのなり手は少ないはずだ。

好きでなければできないだろうし、子どもと汗を流せる体力と、情熱がなければできないだろう。

教員の勤務時間負担減とも関わり、私の地区では毎月、第三日曜日に加え、第一日曜日も部活動を行わない日に設定された。

月に二度、日曜日が使えなくなるのは、先生方には結構お困りのようで、以前から日程が組まれていた行事は、なんとか校長の個別の許可を得て、行うようである。

私の学校は私立なので、そうした縛りはない。
土曜日も授業なので、日曜日しか練習試合は入れられない。
だが、地区の学校は日曜日は二回しかないので、私の学校が練習試合を行えるのは、祝日がない月は、日曜日の二回だけとなった。

窮屈な世の中になったものだ。

私には、「野球部がやりすぎているから、私たちが困るんです」、という引きずり下ろしの思想が見え隠れする。

併せて、「部活指導は教員の仕事ではない」、というサラリーマン意識も見える。

私は、およそ教育活動すべてに関わることが、教員の仕事である、と考えている。
法律だの勤務時間だのは、あとから考えた人間の知恵で、今できる自分のすべてを捧げるのが、聖職者教員の務めだ。

これに反対の方は、教員が聖職者であることを拒否した方であると思う。

もちろんバランス感覚は必要であろう。

教員の誰もがサラリーマン意識で、教育活動を行い続けたならば、おそらくは、教員を尊敬する生徒も保護者もいなくなってしまうだろう。

教育に関わる仕事には、徳が必要である。
断じて時間の切り売りではない。

教員が聖職者意識を捨てることは、自殺行為である、と私は思う。












2019年04月05日

先生たちも仲良くしなくては

学年での昼食会。
少し早めの11時に学校を出発して、自動車で5分のお店に出掛けるも、臨時休業。
仕方なく、さらに5分走らせ別の店に入る。

最初の顔合わせでもあるが、なかなか和気藹々としていて、楽しい昼食になった。
うちの学校では、いわゆる「懇親会」という名の飲み会がない。
だから、こうした食事に出掛ける機会が、唯一、校外でコミュニケーションをはかれる機会なのだ。

だから何もしないと、半年も一年も、ただただ職員室で顔を合わせるだけになる。
そうなってくると、やはり、お互いの本音や隠れた思いが分からず、だんだんとギクシャクしていくのだ。

以前は、全校で「懇親会」を実施したこともあったが、どこからか圧力がかかり、その後実施が困難になった。

どんな組織でも、先輩が後輩を飲みに誘い、その中で、何かしらの教育がなされる、という姿が、日本的なスタイルなのだが、私の学校では一切ない。

本音も分からず、本心も知らず、ただただ仕事をこなして何年も経つと、いろいろな歪みが生じる。
現在は、それを補う手段は、今回のような学年や有志で行う食事会しかない。

ある意味、特殊な職場環境であろう。

そんなこともあり、若手は若手で、そうした機会を作っているようだ。

今日の食事会でも、ほんの小一時間でも、いろいろな人の人となりが分かって面白い。
そうしたつながりが、いざというときの助け合いになっていくのだろう。

元来、孤独を好む私にとっても、こうした機会はなかなか面白い。
たいていは、用事が重なってしまうことがおおいのだが、この先はできるだけ顔を出したいと思う。

クラスや学年では、『良いところ発見カード』なるもので、お互いの長所を発見するというイベントを行っているが、教員の世界でも、こうしたことはとても大切だろう。

先生たちの関係がお互いギクシャクしていたら、やはり教育活動に支障を来す。

「あの先生とは合わないから…」、と、我慢していては、一枚岩となっての教育はできないだろう。

「私はやりません。」
「そういうことはやらない主義なのです。」
「その考えには、絶対に賛同できません。」
「私は嫌です。」
「どうして、無理にでもやらせようとするのですか。」

これらは、教員諸氏は、どこかで聞いたことがあるだろう。

学校現場は、社会の縮図。
生徒は数年で卒業して関わりがなくなっていくが、教員たちはそうではない。
ましてや私立学校ならば、「一生もの」ということも珍しくない。

長所とつきあえば、誰もが善人。誰とでも仲良くすることができる。

お酒の力を借りずとも、食事会で少し距離が縮まったような気がした。













2019年04月04日

重要な新年度準備を抱えて



春休み中サボってしまったため、新年度準備が遅れてしまい、必死に取り戻そうとしている。

時間割は、まだまだチェック段階で先が見えない。
入学式に向けての、番号作成によるラベル作りは、何とか終えた。
習熟度名簿の修正は、手が回らないので、若手に頼んだ。
新入生がオリエンテーション期間中の特別編成の時間割も、時間割の本体の作業が遅れており、これも若手に頼んだ。
そうこうしている間に、4月になってから頻発しているインターネット切断の原因究明にも奔走する。
校務ソフトの新年度更新も、やっと校長名を書き換えたところ…。

これで、学年運営だの、クラス準備だの、さらにつけ加えてこれまでやってきたのかと思うと、自分もすごかったんだなぁ…。と思う。

今まで、超多忙で多くの仕事を抱え込みすぎていたのだろう。
「人に任せるなら、自分でやった方が早い」、という意識が染みついていたのかも知れない。
これからは、若手を育てるために、多くの仕事を他の人にも分担してもらわねばなるまい。
「自分一人でできることは、そう多くはない」、ということが、この歳になって、ようやく分かってきたようだ。

周りを見回すと、隣の新人が、おそらくは頼まれたであろう事務的作業を黙々としている。
本当は、そんな単純な作業の中に、深い意味があって、その出来映えを先輩たちが、知らず知らずのうちに見ていることは、分かるまい…。
前の席の若手は、「進級おめでとう」用の花を、余った紙で作っている。
どうやら、桜の花と、花びらを作っているようだ。
これを、ボードに貼り付けて、新年度を迎えようということだ。

今日は、学年方針を共有するための会議が行われた。
私の学年の主任は、昨日も述べたが、「学年は一つのファミリーだ」、と熱弁を振るい、
「丹澤先生は、学年のお父さんです。」
と、宣言した。

私が学年主任を担当していた学年を、引き継ぐことになったベテランの先生は、次の学年を評して、
「昨年度よりも凡事徹底のできている素晴らしい学年です。」
と、よいしょした。

どちらも、私へのリップサービスのように聞こえ、気を遣わせてしまい申し訳なく思う。

皆に気を遣わせてはいけない。だが、今年は陰に徹して、ひたすらサポートに回ろうと思う。
これまでの恩返しの思いを込めて、支える側として、やっていこうと思う。

まだまだ寒い日が続くが、ようやくちらほらとソメイヨシノが咲き始めた。
10本に一本くらい、半分開き賭けの花弁がある。
明日あたり、一斉に開花し始めるのだろう。

さぁ、新しい年度の始まりだ。












2019年04月03日

自分の存在意義

新しい学年に入った。
「若手の先生たちをよろしくお願いします。」
学年主任のM先生に、にそう言われた。
思えば、彼女とは七年前に一緒に学年を組んだ仲だ。
私と、その学年主任以外は、すべて二十代という若い学年だ。

内示が出たとき、
「本当に助かる〜。」
と、言ってくれたのもM先生だ。

本当に辛いときに助けてくれる、頼りがいのあるおっかさん的存在。

M先生の話を聞いていると、「私にも、何か役に立つことがあるのかな。手助け、しなくちゃ、な」、という気持ちになった。

今日は新年度最初の出勤日。
一日中打ち合わせが続き、途中座席替えも行われた。
見れば、LANケーブルがボロボロだ。
端子の部分がケーブルから取れそうになっているものが多い。

「丹澤先生、このケーブル大丈夫ですか?」
「大丈夫でないけど、今は在庫がないから、そっと動かさないで使ってて!」

普段は抜き差ししないLANケーブルだが、ひっぱったり、時折のケーブルの抜き差しにより、激しく劣化してしまったようだ。

このところ校内ネットワークの調子が悪く、そんなことがあると、ケーブルの抜き差しを行う人もおり、結局、破損を早めることになる。

人は、自分の存在意義が認められない組織では生きてはいけない。

学校現場のみならず、「自分が必要とされる人間である」、ことを、自分自身が認識できなければ、その組織では仕事を続けることはできないものだ。

「私もちょっとは役立つことがあるのかな…。」

そんな些細な思いが、毎日のモチベーションを上げていく。

「始業式前に、学年で昼食会をします。丹澤先生も大丈夫ですね?」

有無も言わせぬ勧誘である。

「練習日程が…。」
というと、部活の予定まで調べ、調整してくれた。

「学年は一つの家族だと思っていますから…。」
その言葉の裏には、「一人でも欠けることは嫌なのです」、という思いが隠れている。

明日からは定時出勤。
夜更かしが続いた老骨に鞭打って頑張るとするか…。












2019年04月02日

新人たちへのアドバイス

新人には、「何をしていいか分からないからじっとしているタイプ」の人と、「何をすべきかを尋ねようと、うるさいくらい話しかけてくるタイプ」、がある。

私はこのどちらも駄目であると思う。

まず、「じっとしているタイプ」だが、新しい職場で何をしていいか分からないのは当然のこと。ただし、誰も何も指示をしないということはあり得ない。一つや二つは、上司から指示があるはずである。実は、先輩たちは、「それを完璧にこなせるかどうか」、を見ている。ある意味、品定めである。
一を指示して、二も三もできる人物であるか、あるいは、一を指示して、右往左往するだけの人物であるか、ということだ。

新人は丁寧に育てるべきだとは思うが、その人物がどんな性格かは、何かの仕事を与えてみればわかるというもの。

ただじっとしているだけではだめだ。
残念ながら、じっとしている人を、「必死でやっているな」、とは判断しない。
「もっと積極性が必要だな」、と思っているはずである。

一方、「話しかけまくる」、というのも駄目だ。
先輩諸氏は、新年度の超多忙な時期を迎えている。
はっきり言って、右も左も分からない新人の世話を焼いている暇はない。
だから、「これやってくれ。あれやってくれ」、と頼みたいくらいなのだ。

先輩たちは、「この仕事ならできるのではないかな…」、と、新人君にあれこれ考えて指示をする。
実は、「これを雑用とみるか、そうでないと見るか」が大事なのだ。

その仕事を通して、現場を学び、考え方を学べる仕事ならば、それは断じて雑用ではない。
しかし、それを「単なる雑用」、としか見られない新人にとっては、学びも教訓も得ることなく、「単に雑用を押しつけられた」、と感じるのだ。

この差は大きい。

だから新人の方は、何か仕事を与えられたら、その意味を確認することを忘れてはならない。
「今、何故これが必要なのか」、が分からなければ、それは雑用になってしまう。

そういう時こそ分からないことは聞けばいい。
その仕事の必要性と意味をを理解できてこそ、組織は回っていく。

先輩諸氏は、さりげなく、新人たちに声を掛けるといい。

黙々と自分の世界に入ると、新人はますます声を掛けにくくなる。

だが実は、先輩たちは何気ない声かけによって、新人が、「どう反応し、何を答えるか」、も見ている。

新人諸氏は、ぜひこのことを意識されるとよろしい。









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