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2019年04月22日

自然の癒やし力

ネットで知り合った仲間に、昨晩初めて出会うことができた。
「私は、子どもたちに自然を体験してもらいたいんですよ。」

たまたま実家の近くにお住まいで、顔出し住所公開という、昨今では珍しいスタンスで、ネットビジネスをされている方で、私とそう年齢は変わらない。

「どんな子どもでも、自然の中で過ごせば、必ず心は癒やされると思うのです。」

私もその意見には賛成だ。
田舎に連れて行っても、きっと最初はスマホを手放さないかも知れないが、大自然の中には、スマホは色褪せて見えるはずだ。

一週間も過ごせば、人間としての本来のあり方を思い出すのではないだろうか。
その間、大人は近くで寄り添うだけでいい。
すべては自然が癒やしてくれる。

動物などもいればもっといい。
大自然は、人の悩みをちっぽけなものとして思わせるだけの、癒やしの力があるのだ。

「今の子は、脱走するだけだよ…。」
そう仰る方もいるだろう。

「こんな田舎に暮らせない。」
と、わめき叫ぶ子もいるだろう。

だが、これが本来の人間の生き方であり、希有な体験と、強烈な刺激、そして愛情たっぷりのかかわりがあれば、必ずや子どもは変わっていくだろう。

別に昔返りを推奨しているのではない。

「ちょっと人間らしさを忘れていませんか。」
と、問題提起したいのである。

私の住む町も、少子高齢化による過疎化が進んでいる。

この町を元気にする一つの方策として、いつか提案してみたいと思う。










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2019年04月21日

諸行無常

「丹澤先生、ちょっと…。」
そう教頭に呼ばれた。父親が逝去しているのに、校内をうろちょろしているから、いつから休むのかを知りたかったようだ。
実際は、昨日口頭で、報告したはずなのだが、文書でなかったので忘れてしまったらしい。

私は以前から、身内が亡くなっても、ほとんど授業を欠くことがなかった。
役者だって、舞台があれば、何かあっても抜けることができないと聞く。
それに準じて、という訳でもないが、できるだけ迷惑をかけまい、と心掛けてきたのだ。

親族では私一人、遠方に暮らしているし、特にすべきことなくこれまで過ごしてきた、ということもある。
しかしそれより、身内が亡くなったとしても、そんなことを他の人に知らせるべきではなく、普通に過ごしていたい、という自分なりの美学があったのかも知れない。

という訳で、今回もほんの僅かの人だけに知らせ、大げさにはしていない。
自分が告別式等、すべてを取り仕切り、その後の手続きをすることになれば、こんな風にのんびりしているわけには行かぬだろうが、今回もほぼ顔を出すだけで済みそうだ。

「お金がないから、通夜も告別式もやりません。」
そう、皆に言って回るのも、おかしな話なので、黙っているしかあるまい。
それでも、噂を聞きつけた何人かの先生が、香典を持ってきた。
学校からも弔慰金が出るらしい。

亡くなって四日目になるが、通夜、告別式をすることなく、ちょうど今日、遺体を荼毘に付した。
そのお骨をもって、明日、菩提寺で供養をしていただくことになっている。

最近は、以前のように大きな葬儀をする人が減っているのだそうだ。
樹木葬などの墓石を持たない簡素化した埋葬方法も増えているという。

日本人の信仰心が薄らいでいるというよりも、高齢化に伴い、見送る側の家族も定年後の高齢で、葬儀にお金をかけられない人が増えていると、先日、住職が話をしていた。

今朝は、部活を少し見えてから、実家へ移動。
そのまま火葬場へ赴く。

今日の火葬は27件。これほど多い火葬場も珍しいのかも知れない。

人は生まれて、その人生を生き、また土に還っていくのだ。

人生をどう生きたかにかかわらず、人は等しく骨となる。

まさに、諸行無常である。
時代が変わっても、この普遍の原理は変わらない。











2019年04月20日

心の中のわだかまり

年度末で退任した前校長の挨拶が、今朝、全校集会で行われた。
十年あまり校長として、学校を創り上げて下さったことに、敬意を表したい。

一方で、どちらかというと馬が合わず、「いずれは私が去ることになるのかな…」、と思っていたら、急遽、校長が交代になったということ面もある。

私は彼に話しかけられるのが苦手だった。
できるだけ声を掛けられないように、努めて世間話をして、作り笑顔をして、防御態勢をはかっていたことを思い出す。

また、朝の会を覗かれるときは、監視されているように思えた。
今から思えば、彼の息子を預かっていたということもあるが、それでも、何度か話している内容についえ、「駄目出し」された。

授業も、生徒からの評価が比較的高かったこともあり、よく見に来た。
だが、必ず厳しい一言をいただいた。

そうこうしているうちに、自然に校長を避けるようになり、心を閉ざすようになってしまった。

そうなってくると、彼のどんな言葉も、素直には受け止められず、そのたびにその一言が突き刺さった。

そして、教員人生最大の深みにはまった。

まだ完全には這い上がれないが、今はずいぶん楽になっている。

仕事ぶりは尊敬できる。
ただ、私と性格的に合わなかっただけなのだが、長くそうした環境にいると、苦しさは増していく。

教員のみならず、およそ勤め人は、環境の変化や、時代の流れ、そして自己研鑽において、つねに自己変革を求められる。

私はその意味で、キャパオーバーになったのだろう。
自己変革が追いつかなかった、というより、変わることを自分自身が拒否していたのかも知れない。

一番悲しかったのは、私の言うことよりも、保護者の声を信じ、「いつも尻拭いさせられる」、と苦言を呈されたことだ。

今となっては、誤解なのだろうが、私はその言葉に未だに成仏できずにいるのだから、結構なダメージだったと思われる。

今朝は、講話のあと、職員室でいろいろな先生方と談笑していた。
だが、やはり私は話しかけられることを怖れた。

「丹澤先生、最近どうですか?」
と、尋ねられることを、心の奥底では拒否していたように思う。
それでも、必死に世間話をした。

本当にお世話になった先生なのに、この歳になってまで素直になれないのは、何故だろう。

きっと私の肝っ玉が小さいからに違いない。

「前校長、本当にお世話になりました。いろいろ学ばせて頂きました。」
勇気を出して、そう伝えればよかった…。












2019年04月19日

時間割作成から開放

「丹澤先生、ちょっといいですか? 時間割の件で、お話があるんです。」
と、教務主任に会議室へ連れて行かれた。

たいていそういう時は、私にとって都合の悪いときが多い。
前校長の時も、たいていは、私の心を揺さぶるほどの話が多かったと記憶している。

ただ、昨今は、何を言われても、あまり動揺しなくなった。
達観したと言えば、聞こえが良いが、ある意味こだわりがなくなったのである。

この世を去るときは、執着を捨てなければならないと言う。
有名な三途の川は、執着を捨てるための仕組みだ。
今の心境は、どちらかと言えば、そういう境地かも知れない。

「丹澤先生だけが、時間割を担当しているのは、よくないと思うんです。今回のようにお父様のこともありますし、ぜひ私に引き継がせて下さい。GW後には、何とか完成させたいと思うんです。ここまで作っていただきながら、そのままいただいてしまうのは、心苦しいのですが…。」

「それはそれはありがたいです。やっていただけるのなら、どうぞお願いいたします。私も今年限りにしたいと思っていましたので…。幸い、新しいバーションの時間割ソフトは、複数のコンピューターにインストールできますから…。」

「次年度からは、教科の代表者にも手伝っていただこうと思っています。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」

と、言うことで、私は時間割係から解放された。
これで校務ソフトの設定に注力出来る…。
ほったらかしになっている、指導要録の所見にも取りかかれる。
少し数学の勉強時間も取れるだろう。

「ちょっといいですか。」
が、幸いした。

わがままで、思い通りに動いてくれない、初老の扱いにくい教員として、なんとか組織の中にいる。

老害にならないうちに、栄光がかすかに残っているうちに、職場を去ろうとも思ったが、退職金も次の仕事もない、ということが人質のようにのしかかっては来る。

一般的にも、たとえ60歳で定年退職しても、まだ二十年くらいは生きていることが多いのだから、その後、稼ぎもなく生活するというのは、とても困難なことだと思う。

二十年、遊んで暮らしてゆける収入など、そうそう得られるものでもない。

「やりがい」を感じられない仕事は続かない。

今回の出来事も、私への配慮だろうか。

まだまだ子どもたちへの情熱は失ってはいないはずなのだが…。














2019年04月18日

人は自然の中で生きている

久しぶりに急遽実家に戻った。
田舎暮らしも10年を迎えると、数十メートル毎の信号も、自動車の多さにも、駅で動けないほどの混雑にも、ストレスしか感じなくなってしまった。
都会での生活は、こうした自体を、ごく当たり前のこととして流していく。

そう感じるのは、私が東京生まれの東京育ちだからなのだろう。

久しぶりに電車に乗ったとき、このつり革広告や、モニター広告、そして車窓から見えるビル群、店舗の数々に、田舎育ちの若者は、誰もが憧れ、はしかのように、都会を訪れる。

その気持ちも分かる。
だが、何かはやり都会には、本来の人の心を失うものがあるように思えてならない。

以前生徒たちに、「田舎で生活するのは好きか?」、と尋ねたことがある。
「好きだ」、と答えたのは、ほんの僅かだった。
「ずっとではなければ…」、というのが約半分。
「絶対に嫌だ」、という声も三割程度あった。

離れてみてこそ、「田舎のよさ」が分かるのだろうが、若者には、何を言っても耳を傾けまい。

私の育った町は、東京の郊外とはいえ、人口が増え続け、次々と造成され、家ばかりになっていく。
上空から見れば、緑のどんどん削られ、マッチ箱が密集しているような感じに見えるのだろう。

そんな少ない緑にも、人は癒やしを求めて花を植える。

今朝訪れた『特老』の前庭も、花畑になっていた。
暖かな春の日差しを浴びて、どの花も元気がよい。

今朝、逝去してしまったので、もう父と一緒に花を愛でることはできなくなったが、
「一緒に花を見に行こう!」
と、施設の庭をのんびり巡ってみた。

「綺麗だね。ありがとう。」
と、聞こえたような気がした。

自然はいい。

人は自然の中で生きている。

どんな都会に住もうとも、そのことを決して忘れてはいけない。
それを教えてるのも、私たち教師の役目だろう。










2019年04月17日

春が来た

今年は何人もの中1が来てくれて、野球部も賑やかになった。
これまで数人で、ちまちまやっていたが、近々これで、ようやく単独チームも組めそうだし、練習も充実させることができる。

中3の連中が一年半かけて、一人そしてまた一人と抜けて、今は誰もいないので、じっくりと一年くらいかけてチームを作ることもできる。

幸い、高校生コーチも、新たに顧問になった野球部経験者もおり、ようやく浮上できそうな気配になっきた。

それでも、近隣のチームは、どこもレベルが高く、今戦えば、おそらく三回コールドだろう。

コールドは普通5回だが、我が地区には特別ルールがある。
以前、加盟していた私立学校が、なかなかアウトを取れず、何十点もの得点を取られ、それでいて、コールド成立は5回であったので、大会運営に支障を来したのだ。

以来そのルールは消えてはおらず、私も何度か、「もうなくしましょう」、提案したが、「また、そういうチームが出てくるかも知れない」、と変えてはもらえなかった。今度は、そういうチームは私の学校のチームになるかも知れない訳だ。

グランドまでは学校から5キロある。
放課後、4時になると、私の運転で部員たちをグランドまで連れて行く。
居残りなど、遅れる部員は、走ってグランドに来ることになっている。
さすがに往復走るのは大変だが、5キロくらい、野球部なら、よろしかろう。

今日も一人、中1が走ってやってきた。
近くの施設を遊んでいて壊してしまったので、その謝罪があり、そのため出発時に間に合わなかったのだ。
その生徒は、「走って行かないと、怒られますから…」、と言ったそうだが、私は、「そんな指示を出したっけ」、とも思う。
それでも、道の怪しい中一が一人走ってくるのだから、褒めてやらねばならないだろう。
「先生、遅れました。」
と、報告に来て、無事練習に参加できた。

後から聞いたのだが、道のりの半分を、担任が自動車で送ってくれたらしい。

一生懸命な生徒には、いろいろな先生が手を差し伸べる…。

今日は、地元の方がずっと練習を見ていた。

私たちが借りているグランドは、町の管理するものだが、もとは数十年前に廃校になった中学校の跡地でもあるのだ。

後に植えた桜がちょうど見頃なので、この時期は、卒業生がちょこちょこやってくる。

もちろん、一升瓶を広げて花見をする御仁もおられる。

この町にも春が来たのだ。

季節にも合わせて、野球部に春がきた感じだ。

私も少し元気が湧いてきたぞ。














2019年04月16日

知的正直さ

新年度の数学の授業が始まっているが、私は授業中に、いろいろな話をする。
特にこの時期は、勉強の仕方やコツ、取り組む姿勢などを矢継ぎ早に伝えている。

その中で、最近重要視しているのが、『知的正直さ』だ。
英語では、"intellectual honesty”、いわゆる「知的廉直」のことである。

要は、「自分を誤魔化さずに学ぼう」、ということである。

私は、数学は、「分かるか分からないかのどちらかしかない」、と教えている。
だから、「少し分かる」とか、「何となく分かる」、「分かったような気がする」などというのは、すべて、本当は『分からない』ということなのだ。

少しでも分からなければ、分からないとするのは、多少乱暴ではあるが、一方で、勇気がいる。
分からないことを自覚する勇気だ。

数学に限らず、およそ学問に関しては、「分からない部分をつぶしていく」、という方法が、学びのスタイルだ。だから、自分が分かった部分と、分からなかった部分を明らかにして、分からない部分を減らし、なくしていくという作業が求められる。

数学では、初めて読む証明ならば、おそらく一行一行を追いかけて、自分自身で理解できるか、納得できるかを検証していく。もし、「あやしい」部分があえば、そこが自分自身で「分からない」部分であり、正直に分からないと認め、その部分を潰していかなければ、その証明を理解したとは言えないわけだ。

学習活動をする上で、「どこの部分が分からないか」、をピックアップすることはとても大切である。
ある意味、そうしたあぶり出しができれば、解決への道は、確実に近づいていると言える。

数学では、分かったつもり」が一番危険で、そのままにしておくと、たいていは途中で土台ごと崩れ去ってしまうのだ。

『知的正直さ』をもって、数学を学習すれば、漫然と学習するより何十倍の効果を得るだろう。

だから、「分からない」という恐怖に耐え、克服していくという戦いを繰り返さなければならないのだ。

また、「分かる」、「納得できる」、「理解できる」、「自分で解ける」、「人に説明できる」、というプロセスも大切だ。

いずれにせよ、『知的正直さ』を持って、取り組まなければ、世の数学嫌いと同じ道をたどることになるわけだ。

さらには、「私の話を聞けば分かる」、とも言っている。
傲慢に聞こえるかも知れないが、「真剣に授業を聞く」、という姿勢があれば、ほとんどは理解できるような授業を、私は実践しているからだ。

そんな風に、熱く語りながら、新年度の授業が進んでいく。

私の話した言葉のフレーズが、いろいろなノートや生活記録表にメモされる喜びを感じながら、
「さて、明日はどんな話をしようかな…。」
と、考えている昨今。















posted by 丹澤三郎 at 19:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 数学
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