2019年04月21日
諸行無常
「丹澤先生、ちょっと…。」
そう教頭に呼ばれた。父親が逝去しているのに、校内をうろちょろしているから、いつから休むのかを知りたかったようだ。
実際は、昨日口頭で、報告したはずなのだが、文書でなかったので忘れてしまったらしい。
私は以前から、身内が亡くなっても、ほとんど授業を欠くことがなかった。
役者だって、舞台があれば、何かあっても抜けることができないと聞く。
それに準じて、という訳でもないが、できるだけ迷惑をかけまい、と心掛けてきたのだ。
親族では私一人、遠方に暮らしているし、特にすべきことなくこれまで過ごしてきた、ということもある。
しかしそれより、身内が亡くなったとしても、そんなことを他の人に知らせるべきではなく、普通に過ごしていたい、という自分なりの美学があったのかも知れない。
という訳で、今回もほんの僅かの人だけに知らせ、大げさにはしていない。
自分が告別式等、すべてを取り仕切り、その後の手続きをすることになれば、こんな風にのんびりしているわけには行かぬだろうが、今回もほぼ顔を出すだけで済みそうだ。
「お金がないから、通夜も告別式もやりません。」
そう、皆に言って回るのも、おかしな話なので、黙っているしかあるまい。
それでも、噂を聞きつけた何人かの先生が、香典を持ってきた。
学校からも弔慰金が出るらしい。
亡くなって四日目になるが、通夜、告別式をすることなく、ちょうど今日、遺体を荼毘に付した。
そのお骨をもって、明日、菩提寺で供養をしていただくことになっている。
最近は、以前のように大きな葬儀をする人が減っているのだそうだ。
樹木葬などの墓石を持たない簡素化した埋葬方法も増えているという。
日本人の信仰心が薄らいでいるというよりも、高齢化に伴い、見送る側の家族も定年後の高齢で、葬儀にお金をかけられない人が増えていると、先日、住職が話をしていた。
今朝は、部活を少し見えてから、実家へ移動。
そのまま火葬場へ赴く。
今日の火葬は27件。これほど多い火葬場も珍しいのかも知れない。
人は生まれて、その人生を生き、また土に還っていくのだ。
人生をどう生きたかにかかわらず、人は等しく骨となる。
まさに、諸行無常である。
時代が変わっても、この普遍の原理は変わらない。
そう教頭に呼ばれた。父親が逝去しているのに、校内をうろちょろしているから、いつから休むのかを知りたかったようだ。
実際は、昨日口頭で、報告したはずなのだが、文書でなかったので忘れてしまったらしい。
私は以前から、身内が亡くなっても、ほとんど授業を欠くことがなかった。
役者だって、舞台があれば、何かあっても抜けることができないと聞く。
それに準じて、という訳でもないが、できるだけ迷惑をかけまい、と心掛けてきたのだ。
親族では私一人、遠方に暮らしているし、特にすべきことなくこれまで過ごしてきた、ということもある。
しかしそれより、身内が亡くなったとしても、そんなことを他の人に知らせるべきではなく、普通に過ごしていたい、という自分なりの美学があったのかも知れない。
という訳で、今回もほんの僅かの人だけに知らせ、大げさにはしていない。
自分が告別式等、すべてを取り仕切り、その後の手続きをすることになれば、こんな風にのんびりしているわけには行かぬだろうが、今回もほぼ顔を出すだけで済みそうだ。
「お金がないから、通夜も告別式もやりません。」
そう、皆に言って回るのも、おかしな話なので、黙っているしかあるまい。
それでも、噂を聞きつけた何人かの先生が、香典を持ってきた。
学校からも弔慰金が出るらしい。
亡くなって四日目になるが、通夜、告別式をすることなく、ちょうど今日、遺体を荼毘に付した。
そのお骨をもって、明日、菩提寺で供養をしていただくことになっている。
最近は、以前のように大きな葬儀をする人が減っているのだそうだ。
樹木葬などの墓石を持たない簡素化した埋葬方法も増えているという。
日本人の信仰心が薄らいでいるというよりも、高齢化に伴い、見送る側の家族も定年後の高齢で、葬儀にお金をかけられない人が増えていると、先日、住職が話をしていた。
今朝は、部活を少し見えてから、実家へ移動。
そのまま火葬場へ赴く。
今日の火葬は27件。これほど多い火葬場も珍しいのかも知れない。
人は生まれて、その人生を生き、また土に還っていくのだ。
人生をどう生きたかにかかわらず、人は等しく骨となる。
まさに、諸行無常である。
時代が変わっても、この普遍の原理は変わらない。
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