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2018年11月08日

部活崩壊

「今日は水泳部あったの?
「ありました。」
「参加したの?」
「いや、あとからグランド走りました。」
「それじゃ、参加したことにならんなぁ。」
確かに水泳部は、この時期は陸トレ。プールは使えないのだが…。

「バスケ部行った?」
「お腹が痛かったから…。」
「休むこと連絡してないべ?」
「はい…。」
「そりゃ、さぼりだ。」
「…そういえば、先週野球部出るからって、バスケ部休んだんだって?」
「はい…。」
「野球部には来てないじゃない?」
「…。」」

「理科部行ったの?」
「いいえ。」
「辞めるなら辞めてもいいけど、無断で行かないというのは、だめだ。そう前も行ったべ。」
「はい…。」
「だらだらしすぎじゃろ。」

「練習来ないのなら、試合連れて行けないよ。」
などなど、中2のメンバーの部活動は崩壊状態だ。

「最近、サッカー部からK君が来たんですけど、まだ入部させていません。」
と、合唱部の顧問。サッカー部のキャプテンでありながら、最近、皆に退部を宣言して、サッカー部を辞めた。その後、合唱部に来たという訳である。うちの学校の場合、次の入部届が出ないと、正式退部にはならない。

剣道部のキャプテンも、野球部のキャプテンも9月に辞めている。

「生徒を呼びに行かないと部活にいかないんですよ。」
バスケットボール部の副顧問が嘆く。

『楽しくて、嬉しくて、ワクワクして部活に行く』
という時代は終わったのか。

「先生、雨ですけど、今日はどうなりますか?」
「先生、この雨だったら練習休みですよね。」
「先生、まさか練習ないですよね。」

三人の部員からそう言われたので、今日はお休みにした。

屋外競技は、雨が降るとモチベーションが削がれるが、生徒たちからあからさまに言われても、顧問としてのモチベーションも下がる。

ちょっと学校が狂ってきたぞ…。













2018年11月07日

やってられん

さすがに今日は萎えた。

朝から、校長の「ちょっといい?」があり、「朝の会の司会の声が小さくて、あり得ない」と注意された。なかなか人前で声が出せないクラスで、これからどうやって立て直していこうかと、思い巡らせていたときだっただけに、ダメージが大きかった。
「音楽の先生にボイストレーニングをやってもらったら?」
などと、言う。だが、そんなレベルではないのだ。
音楽の先生は、
「この学年はチャッティングやっていないから、横のつながりがないんですよ。」
と、暗に私の方針を非難。
簡単に言えば、「こんなクラス運営じゃ、駄目だぜ」と言われているようで、結構落ち込んだ。

授業中に、ふと外を見ると、自分の学年の中2がマラソンをしている。
だが、ふざけていて全く真面目でない。体育の先生は、遠くでタイムを計っている模様で、その様子はご存知ないようだ。その不真面目な体育の時間を見て、さらに落胆。
「こんな彼らとつき合っているのか。やってられん。」
と、モチベーションダウン。

次の数学の時間は、体育のあとで10分遅れ。日直も仕事ができておらず、女子生徒が一人いない。
聞けば、男子に冷やかされたとか。泣いて保健室に駆け込んだ模様。
「もう、やってられん。」

「中2は、先生を増やさないと無理だ。誰か手伝ってくれ。」
と、体育の先生。
「奴らには、日本語通じないんだ。」
とも。

休み時間に、生活指導担当から、一学期に先輩に「死ね」と言った生徒がいるので、調べたいと連絡。
「もう、好きにしてくれ。」
という気分。

昼には、「中2に配膳台をぶつけられた」、と中1女子からの訴えもあり、もう我慢の限界。

「こんな思いが積み重なって、先生たちが辞めていかれるのだろう。そろそろ自分自身のキャパシティを越えてしまいそうだ。」
と、ツイートしたい気分に…。

午後は、
「さすがに、自分の能力を超えてるな…。」
と、窓から外を見ながら、さらに落ち込む。

帰りの会では、明日からの校外行事に向けて、学年での合唱練習。
なかなか整列しない、だらだら状態に、言葉を掛ける気持ちすら失せた。

ところがである。
彼らの合唱は、なかなか良かった。
まだまだ完成度は低いのだが、心がこもっている。
「自分たちは、感謝の思いで、この歌を届けるのだ。」
という気持ちが伝わってくる。

最後の最後、これで救われた感じだ。
「この子たちのために、もう少し頑張ろう。」
と、少し思えた。

エネルギー充電には、まだまだ時間がかかりそうだ。








下足箱とトイレ

その学校の様子を知りたければ、「下足箱とトイレを見ればいい」、というのは、今も昔も変わらないだろう。

さすがに昨今は荒れた学校は少なくなったが、荒れた学校は、たいてい下足箱(昇降口)がボコボコになっていたり、トイレがきわめて汚い状態にあった。

私が最初に勤めておいた学校では、下足箱のフタがボコボコになっていた。
いらついた生徒が殴ったり、蹴っ飛ばしたりしていたのである。
そのたびに、用務員さんが木づちで叩いて、ゆがみを直したり、あまりにひどい場合はフタを交換するなどして対処していたが、直しても直しても、殴られ続けた。

生徒は今日の見えないところで、ストレスを発散する。
下校時に通る下足箱は格好のストレス発散の場所でもあったのだ。

私の学校の下足箱は、フタがない。だから、いわゆるボコボコにはならないが、残念ながら、お世辞にも綺麗とは言えない。きわめて狭く、靴を脱いで何メートルも歩かなければならない様式で、言ってみれば当初からの設計ミス。根本的に狭いので、大きな靴箱も入れられず、当然長靴などは入らない。

近隣の学校に出かけるたびに、昇降口の美しさに感動する。

一方のトイレだが、こちらは私の学校もピカピカだ。
まだ新しいということもあるが、トイレは結構気合いを入れてきれいにしている。
だから、ここは見られても大丈夫。

だが、教室のロッカーは危うい。
ここにはトビラがついているが、歴代のやんちゃ坊主たちが、少しずつへこまして、今や痛々しいフタがいくつかある。

少しへこんだ部分を直して、直して何年も経つと、さすがに苦しくなってくる。
トビラだけ交換できれば、見栄えも良くなるのだが、そこだけの交換ができるかどうかは、メーカに問い合わせてみないと分からない。

少し前、事務に交換要請をし、来年度までに直してもらうよう約束をとったが、
「毎年、教室の整備を確認して欲しい。」
と、念押し。その通りだ。
「壊しっぱなしで、持ち上がるな。」

「学校の備品のほとんどが寄付で頂いたものばかりですから、物を大切にするようにご指導ください。」
事務長の声が虚しく響く…。

学校生活に慣れると、物をぞんざいに扱うようになる。あたかも、自分の物かのように、使うのだが、自分の物ではないので、大事にはしない。

「そのロッカー、自分の物じゃないんだぞ。」
名前をつけられたロッカーは、彼らには、もはや公共の物という意識はない。

「なんで殴るんだ!」
「…いや、何となく。」
「物に当たっちゃだめだろう。」
「ああ、そうですか。」

こんな生徒だっている。

学校からも家庭からも、教育力が失われつつあるのか…。









2018年11月06日

先生、ちょっといい?

自分も褒め上手とは、とても言えないのだが、私の学校の校長も同じだ。

私が好調に声を掛けられるときは、
 保護者からのクレームか、
 私の失言か、
 学年運営上、「これは困る」と、思われたとき
に限られる。

だから、日常でも校長から、
「丹澤先生、ちょっといい?」
と、呼び止められると、少なからずの恐怖を感じ、身構えてしまう。

これまで何度も苦言を呈されてきたことが、どうやらトラウマになってしまっているらしい。

また、学歴にしても、何かしら心にわだかまりがあるようで、以前夢の中に校長が出てきて、
「丹澤先生は、どうして東大を受けないのですか?」
などと、責められた。

そういう状態だから、私が朝の会や学年集会で生徒に話をしている時、ずっと校長に聞いていられると、歪んだ心の私は、なんだか監視されているような気持ちになる。

このところ、3日連続で私の話を聞いているので、大分慣れてきたが、話の後に、
「丹澤先生、ちょっと…」
などと、声を掛けられる恐怖と戦いながら、
「それでも、生徒に伝えたいことは言う。」
という、強い決意で話をしている。

「もしかしたら、校長自身、私の話の中から何かを学ぼうとしているのではないか…。」
とも考えられるので、ここ二日間は、絶対に校長が知らない話をわざと入れて、話をしてみた。
不良教師でもある私は、教育活動の後、ほとんど校長に報告することはないので、その報告の意味もある。もっとも、そういう報告の文化のない職場であることも事実だ。

ふと、自分が校長になった姿をイメージしてみた。
いやいや、そんなことはあり得ないと思いながらも、頑張って想像してみる。

「校長は孤独だろうな…。必要な情報もなかなか上がって来ず、いろいろな人が、まったく正反対の意見を好き勝手に言う。それでいて、『成果を上げなければならない』と、さらに上の立場の人からのプレッシャーもある。突拍子もない意見を出せば、『狂った』とそっぽを向かれ、例年通り進めようとすれば、『改革の意識のない保守的考え』と揶揄される。結局、子供と関わって、彼らの成長とその成功を、一人密かに願う以外、すべはないだろう。」
と、思うに至った。

「もう少し、校長に近づいてみても、いいかな…。」
と、思った瞬間だった。








退職された方たちのこと

3月末で親しかったら用務員のIさんが退職し、7月末で尊敬していた学年主任をしていたE先生が退職された。

半年の間に二人も、親しい人が退職してしまうことへの寂しさは、とても大きい。

用務員のIさんは、私より少し年上の方だが、営繕に関することはプロ並みで、学校に必要なものは何でも作ってしまうほどの技量の持ち主だった。野球部のコーチも務めて下さったし、大会ともなれば、いつもご一緒くださり、生徒の面倒を見てもらった。部内での恒例行事にしている小旅行でも、バスを運転してくださり、ご同行くださった。

2月に生徒を連れてスキーに行った時、同行してくださったIさんが、
「丹澤先生、私、3月で退職することにしました。」
と話された。
「最近、Iさん、元気がないな」と思っている矢先だったので、「やっぱりそうなのか…」と、感じたことを今でも覚えている。

私の職場は、どちらかというと冷たい。
何でも『自己責任』として片付ける傾向があり、親身になって相談に乗ったり、優しく話を聞いたりするという文化が薄いのだ。だから、退職の挨拶のあと、
「Iさんは、学校にとって、なくてはならない存在でした。」
などと校長が言っても、「何を今更…」と、私は憤慨していたのだ。

人材こそ組織の宝であるはずなのに、その人材を大切にしない傾向がある。

実は、Iさん。4月からの仕事は決まっていなかったのだ。
次の仕事が期末前に、辞められてしまった。幸い、何でもできる方なので、すぐにお仕事を見つけられ、引き立てて下さったと思うが、直属の上司(事務長)も、仕事に対する感謝の気持ちも薄く、冷たく扱っていたように見えた。

E先生は、引き延ばされて7月まで勤められた。
奥様と一緒に昨年度から赴任されたが、奥様は仕事の負荷が大きすぎて、3月に退職。そのまま故郷に戻り、I先生はそのまま一人暮らしをされて、7月まで過ごされた。だが、室内にはもう何もない状態で生活されていたという。4月からの数ヶ月は、「辞めること」を考えての生活をされていたことになる。

I先生とは、一緒に学年運営をして、一緒に退職しようと、私自身勝手に思っていたのだが、先を越されてしまた。

冬が近づき景色も寂しくなった昨今、お二人のお姿が思い出され、私も寂しさと共に、悲しみを感じている。

人が変わっても、組織は運営し続けられる。
「あの人がいなくなったら、本当に困るよな…。」
と、言われ続けたとしても、いなくなってしばらくすると、ちゃんと回って行く。

まさに諸行無常。

上司は、部下に機嫌良く仕事してもらうことを、第一に考えねばならない。
そうした環境であれば、彼らも長く勤め、より多くの奉仕をしてくれるはずだ。

冷たい風が吹き抜け、色づいた葉が、ぱらぱらと落ちていく昨今。
寂しさを感じるのは、景色だけのせいではあるまい。









もう一踏ん張りせねば…

「先生、大丈夫ですか? もう治ったんですか?」
昨日、部活に出かける時、一人の生徒に声をかけられた。

このところ体調が優れず、昼から夕方まで時間休をとっていたのだ。
時間給といっても、ただ横になって寝ているだけなのだが、そのくらいの休養でも結構身体は楽になる。

こうした時期に限って、行事が立て込んでいるもので、昨日の夜も特別指導があって、夜まで教室で仕事があったし、今朝も学年集会、今週は校外行事や大会と、目白押しだ。

「まだ、良くなっていない…。」
と、言いながらも、ニコッと笑って仕事に戻ったのだが、そんなときこそ、隙が出ないように、心して勤めなければならないだろう。

人は、体調が悪くなると、ついつい自己中心的になる。
そんなときこそ、できるだけ他の人のことを考えて、仕事に臨みたいと思う。

私には昔からそういう傾向がある。
大学院時代に、かかりつけの医院の娘を家庭教師として教えたことがある。

その日は、体調が悪く、肉体的にも苦しい状況だったが、構わず先方の家に仕事に向かった。
つつがなく、勉強を教えて帰宅すると、気が抜けたのか、そのまま倒れ込んだ。
そのときは、自宅で点滴を打つまでの状況で、その医者に往診してもらった。
医者の家に行き、ご両親と挨拶を交わしたのだが、
「具合が悪いなんて、全然気づかなかったわ。」
と、後から言われた。
私には、昔から意地を張るくらい、仕事への責任感が強い。
「そんなときは、迷わず休め。」
と、言われそうだが、私としては迷うことなく仕事を続けてしまうのだ。

自分自身でも、「ちょっと元気がないかもな」、と思いながらも、授業をこなす。
おそらくは、今日の授業でも、私の体調不良など、誰も気づいていないはずだ。
私はプロだから、そうした思いを生徒が抱かないように授業しているからだ。

昨日の生徒は、副担任の先生が、私について、何か余計なことを言ったに違いない。

昼休み、教室で合唱の練習をしている一人の女子生徒の顔が曇っていたので、私は、廊下から思いっきりの変顔で笑わせた。
「ふー、やっと笑ったぜ…。」
と、職員室に戻る。

もう一踏ん張り頑張ろう。









2018年11月05日

子供たちの『つながり』

中3がオーストラリアの海外語学研修から帰ってきたので、どんな生活だったのかを、授業中に一人一人発表させてみた。
私は、情報収集とお互いの共通のため、帰国後最初の授業は、いつもこの発表会をしている。

その中で、一番気になったのが、現地でお互いが『つながっている』ということだった。
いつの頃からか、「写真撮影をするため」という大義名分で、生徒のスマフォの持参が許可されるようになり、彼らは現地でも使いまくる。

ホストファミリーにお世話になるやいなや、まず、「WiFiを貸してくれ」、と頼むのだそうだ。
Wifiさえあれば、海外でもネットにつなげられる。それよりも、お互いメールだの、Lineだので会話することができるわけだ。

ホームステイは2人ずつ、ホストファミリーに入るが、「言葉が通じず、意思の疎通ができない恐怖」から、少しで解放されるために、お互い連絡と取り合う。

本来は、「そうした不安を乗り越えて、何とか現地の人と交流し、コミュニケーションを取る」、べきだろうが、普段から『つながっている』彼らは、つながりが切れると、生きていくことすら辛くなるのかも知れない。

恐ろしい世の中になった。

「3日目にして、やっとお父さんからWiFiの許可が出て、友達と話すことができました。」
と、嬉しそうに発表する彼らに、何となく違和感を感じ、
「それでいいのか…」
と、年寄りの苦言を言いたくなったのだが、そこはぐっと抑えた。

お互い励まし合い、「うちのファミリーはね…」、などと話に興じ、「明日も頑張ろう…」、と会話しているのだろう。もしかしたら、自分の親にも連絡を取っているのかも知れない。
しかし、これでは英語漬けにはならない。

現代は、そういう世の中だのだろう。
わざわざ、自分自身を隔離された空間に置くとことに、意味を見いださないのだろう。

時代はいつしか、深い人間関係の『つながり』から、ネットでの『つながり』へと変わっている。
この『つながり』で、face to faceの本当の「つながり」が得られるのかは、私には分からない。

ただ、そういう『つながり』の中に子供たちが生きていることだけは、理解しておかなければならないだろう。












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