2019年03月29日
授業に行くときの緊張感
新人の頃は、授業に行くのが怖かった。
「生徒がどんなことを言ってくるだろうか。そして、それに対して、上手く切り返しができるだろうか。」
「私の授業を批判されたらどうしよう。」
「生徒指導上の事件が起きたら、どう対処しよう。」
当時、「少なくとも授業中は一国一城の主」、と言われた時代である。
授業中のことは、担当教員が責任を取るのが当然だし、授業の秩序を保ち、かつわかりやすい授業をして、さらには実力をアップしつつ、生徒との良好な人間関係が求められたのである。
だから、「授業中○○君が、こんなことをしていました…」、などと担任や学年主任に報告するのは、よほどのことでないとできなかった。
「君の授業だからそういうことをしてしまうんでしょ。もっと集中させなさいよ。授業が面白くないから、生徒はいろいろなことをやり出すんだ。」
と、言われそうで、これまた別の意味で怖かった。
だから、授業にいくときは、「よし」、と気合いを入れて、職員室を出て行ったことを思い出す。
昨今の新人君の中には、授業中の様子を事細かに私に報告してくる方もいる。
「○○君が寝ていました。」
「○○さんが、忘れ物、しました。」
「○○君が、マンガを読んでいたので没収しました。」
「○○君が、授業の妨害をしました。」
「○○君が、宿題を出しません。」
担任であり、学年主任である私への配慮なのかも知れないが、ある程度は授業を担当する先生自身がコントロールしなくてはいけないことも多いだろう。
「寝ていたなら起こして下さい。」
と、言えば、「起こしても起きないんです」、となる。
「忘れ物させない指導に務めて下さい。」
と、言えば、「厳しくできないんです」、とくる。
授業に関係ないものを没収されたり、宿題を常習的にやってこない生徒については、報告してくれるとありがたい。
ただ、それでも、授業担当する先生が解決に努めることだってできる。
協力して指導した方が、指導が一枚岩になり、効果的なこともあるが、いつでも立場のある先生に言えば、その先生は、「自分で指導できない」、ことを生徒にアピールしてしまうことにもなりかねない。
かく言う私の方は、報告を受けても、生徒には素知らぬ振りをする。
しばらく経って、同じ事をすれば、次は追及し、指導に入る。
掃除の時間にさりげなく注意することもあれば、個別に話をした中に、さりげなく注意を含めることもある。
この辺りが教員としての指導のさじ加減である。
「授業中起きないような、つまらない授業をしているんでしょ。」
「忘れ物させないルール作りをしていますか?」
「宿題を必ずやる、というムードになっていますか。どういう指導をしたのですか。寄り添って一緒に解いたことありますか?」
あからさまに若手の先生たちに、こんな風に言うことはできないが、そういう思いも一部には持っていることを忖度すべきであろう。
教師は、『授業ができて一人前』、というのは今も昔も変わらないはずだ。
今は授業に行くときに恐怖感を感じることはない。
それどころろか、「ワクワク感」を持っている。
私がワクワクしながら授業をすれば、生徒たちにもその思いは伝わる。
だが、恐怖感を超えた、ある程度の緊張感は持つべきであろう。
「生徒がどんなことを言ってくるだろうか。そして、それに対して、上手く切り返しができるだろうか。」
「私の授業を批判されたらどうしよう。」
「生徒指導上の事件が起きたら、どう対処しよう。」
当時、「少なくとも授業中は一国一城の主」、と言われた時代である。
授業中のことは、担当教員が責任を取るのが当然だし、授業の秩序を保ち、かつわかりやすい授業をして、さらには実力をアップしつつ、生徒との良好な人間関係が求められたのである。
だから、「授業中○○君が、こんなことをしていました…」、などと担任や学年主任に報告するのは、よほどのことでないとできなかった。
「君の授業だからそういうことをしてしまうんでしょ。もっと集中させなさいよ。授業が面白くないから、生徒はいろいろなことをやり出すんだ。」
と、言われそうで、これまた別の意味で怖かった。
だから、授業にいくときは、「よし」、と気合いを入れて、職員室を出て行ったことを思い出す。
昨今の新人君の中には、授業中の様子を事細かに私に報告してくる方もいる。
「○○君が寝ていました。」
「○○さんが、忘れ物、しました。」
「○○君が、マンガを読んでいたので没収しました。」
「○○君が、授業の妨害をしました。」
「○○君が、宿題を出しません。」
担任であり、学年主任である私への配慮なのかも知れないが、ある程度は授業を担当する先生自身がコントロールしなくてはいけないことも多いだろう。
「寝ていたなら起こして下さい。」
と、言えば、「起こしても起きないんです」、となる。
「忘れ物させない指導に務めて下さい。」
と、言えば、「厳しくできないんです」、とくる。
授業に関係ないものを没収されたり、宿題を常習的にやってこない生徒については、報告してくれるとありがたい。
ただ、それでも、授業担当する先生が解決に努めることだってできる。
協力して指導した方が、指導が一枚岩になり、効果的なこともあるが、いつでも立場のある先生に言えば、その先生は、「自分で指導できない」、ことを生徒にアピールしてしまうことにもなりかねない。
かく言う私の方は、報告を受けても、生徒には素知らぬ振りをする。
しばらく経って、同じ事をすれば、次は追及し、指導に入る。
掃除の時間にさりげなく注意することもあれば、個別に話をした中に、さりげなく注意を含めることもある。
この辺りが教員としての指導のさじ加減である。
「授業中起きないような、つまらない授業をしているんでしょ。」
「忘れ物させないルール作りをしていますか?」
「宿題を必ずやる、というムードになっていますか。どういう指導をしたのですか。寄り添って一緒に解いたことありますか?」
あからさまに若手の先生たちに、こんな風に言うことはできないが、そういう思いも一部には持っていることを忖度すべきであろう。
教師は、『授業ができて一人前』、というのは今も昔も変わらないはずだ。
今は授業に行くときに恐怖感を感じることはない。
それどころろか、「ワクワク感」を持っている。
私がワクワクしながら授業をすれば、生徒たちにもその思いは伝わる。
だが、恐怖感を超えた、ある程度の緊張感は持つべきであろう。
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