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2019年12月28日

親の気持ち

東京から母が来た。
私に会いに来たのか、愛犬たちに会いに来たのかは分からないが、バスや電車を乗り継ぎ、新幹線に乗って、私の済む北関東の田舎までやってきた。

私にとって有り難いのは、久しぶりに母の手料理が食べられること。
そして滞在中は、自宅の風呂ではなく、近くの温泉に浸かれることだ。

ただ、冬のこの地はかなり冷え込むので、暖冬はいえ、母にはかなり寒いに違いない。
自宅をガンガンに温めて迎える。

それでも、一晩中ストーブをつけておかないと、結構寒い。
私は寒さに慣れているが、母は東京の暖かい所で生活しているので、部屋でも厚着をしている。

母のありがたさを思うのも、この歳になっても変わらない。
逆に、息子を愛おしく思うのも、母の本能なのだ。
私を産んで55年経ったとしても、可愛い息子には違いないのだ。

そう考えると、私が関わっている中高生ともなれば、その母親たちは、その子どもたちを目に入れても痛くない、という気持ちなのだろう。

教員は、時に、親たちを批判することもあるが、それも「親が子供も思う気持ちが強い故」、と思えば、その理不尽さや、我が儘な発言には耐えねばなるまい。
それが、教師としての仕事の、ある意味尊い部分なのだろう。

それがなければ、単なる冷徹なビジネスと変わらなくなる。
教師が生徒たちに寄り添い、親たちの気持ちを推しはかってくれているからこそ、安心して学校に委ねることができるのだ。

そう考えると、教育の無料化はますます教員たちの仕事を困難にするだろう。
人間は、「どうせただなのだから」、と思えば、感謝の気持ちが薄らいでいく。

世の保護者たちの多くは、口には出さずとも、教師たちに、「申し訳ない」、という気持ちと、「ありがたい」、という気持ちを持っている。

それを感じるかどうかは、教師自身の心がどれだけ安定しているか、による。

「理不尽な親たちとは会いたくもないし、話したくもない。」
そう、私自身思っていたこともあった。
確かにそうした思いに到る事例は、頻繁に起こる。

そうであってもなお、保護者を理解し、時に保護者に対してもよき相談相手として、立ち振る舞うことが必要なのだろう。

母の姿を見て、改めて自らを省みる…。








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