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第116回 世界大戦 [2016/04/24 21:43]
文●ツルシカズヒコ
一九一四(大正三)年、九月。
創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。
『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。
部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方だった。
堀場清子は『青鞜』の部数減と第一次世界大戦との因果関係を指摘している。
一九一〇年に始まった“女の時代”に、終りが来ていた。
それは“青鞜の時..
第50回 若い燕(二) [2016/03/25 12:29]
文●ツルシカズヒコ
紅吉は奥村から届いた「絶交状」への返信を書いた。
私はけさ、広岡の家であなたの最後の手紙をみた。
それから今家に帰ってあなたからの同じ手紙を見た。
私はああした感情に走り切るあさはかな女でした。
私は是非あなたに逢いたい。
そしてこの間からの話を聞いてもらい度い。
私は広岡によって生きていました。
けれど今度のああした事柄は私をどんなに苦しめ、またどれだけ女..
第49回 若い燕(一) [2016/03/24 21:22]
文●ツルシカズヒコ
らいてうが奥村から受け取った手紙の文面は、こんなふうだった。
それは夕日の光たゆたっている国のことでした。
その国の、とある海辺の沼に二羽の可愛い鴛鴦(おしどり)が住んで居りました。
それはそれは大そう睦まじく……いつもいつも一緒でないことはありませんでした。
そして姉の鴛鴦は口癖のように《私の子供》と言っては妹鳥のことを話す程でした。
とある夏の日のことでした。
若い燕に..
第44回 運命序曲 [2016/03/24 10:23]
文●ツルシカズヒコ
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p381)と奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(p31~32)によれば、一九一二(大正元)年八月の半ばを過ぎた日のことである。
この日の午前中、奥村博は実家から一キロの距離にある東海道線・藤沢駅に出かけた。
父親の知り合いから荷物を受け取るためである。
骨太で長身、真っ黒な長髪を真ん中からわけた面長の奥村が、一、二等待合室で上り列車が入ってくるの..
第42回 吉原登楼 [2016/03/23 11:38]
文●ツルシカズヒコ
紅吉こと尾竹一枝は菊坂の女子美術学校を中退後、叔父・尾竹竹坡の家に寄寓していたが、一九一一(明治四十四)年十一月に実家のある大阪に帰郷していた。
紅吉がらいてうの存在を知るきっかけとなったのは、森田草平が『東京朝日新聞』に連載(一九一一年四月二十七日〜七月三十一日)した小説「自叙伝」だった。
森田は塩原事件(煤煙事件)を題材にして小説「煤煙」を『東京朝日新聞』に連載(一九〇九年一月一日〜五月十六日)したが..
第15回 大逆事件 [2016/03/15 19:50]
文●ツルシカズヒコ
野枝が上野高女に通学し始めた一九一〇(明治四十三)年春、ハレー彗星が地球に接近中だった。
七十六年周期で出現するハレー彗星が、地球に最接近したのは五月十九日だった。
ハレー彗星の尾には毒ガスが含まれているという風説が流れ「この世の終わりになる」のではという社会不安が広がったが、過ぎてみれば何も起こらなかった。
そのころ禅の修業に励んでいた平塚らいてうは、湯島天神近くの待合で浅草の臨済宗系の禅寺・海..
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