記事
第152回『谷中村滅亡史』 [2016/05/08 17:11]
文●ツルシカズヒコ
葉山から帰京して二、三日後、大杉に野枝からの手紙が届いた。
『先日はもう一足と云ふところでお目に懸ることが出来ませんでしたのね。
御縁がなかつたのでせう。
雑誌(『青鞜』※筆者注、以下同)を気をきかしたつもりで葉山に送りましたがお手許につきまして?
C雑誌(『新公論』)を今朝、拝見しました。
いろいろなことを一杯考えさせられました。
そして、少しばかりあれには不公平がありま..
第144回 谷中村(九) [2016/05/06 18:29]
文●ツルシカズヒコ
大杉は谷中村の話には、すぐに見当がついた。
堺利彦からその話を聞いていたからだ。
ふたりは数日前に、こんな会話を交わしていた。
「谷中村から嶋田宗三という男が来て、たいぶ面白い話があるんだ。貯水池の沼の中にまだ十四、五軒ばかりの村民が残っていて、どうしても出て行かないんだ。で、県庁ではその処置に困って、とうとう来月の幾日とかに堤防を切ってしまうと脅かしたんだね。堤防を切れば、川から沼の中に水が入って..
第143回 谷中村(八) [2016/05/06 18:21]
文●ツルシカズヒコ
渡辺政太郎(まさたろう)の谷中村行きは実行されなかった。
せっかく最終の決心にまでゆきついた人々に、また新しく他人を頼る心を起こさしては悪いという理由で、他から止められたからである。
渡辺は野枝のために、谷中村に関することを書いたものを貸してくれたりした。
野枝がそれらの書物から知り得た多くのことは、彼女の最初の感じにさらに油を注いだ。
その最初から自分を捉えて離さない強い事実に対する感激..
第137回 谷中村(二) [2016/05/04 22:06]
文●ツルシカズヒコ
谷中村の土地買収が始まると、躍起となった反対運動も、なんの効も奏しなかった。
激しい反対の中に買収はずんずん遂行された。
しかし、少数の強硬な反対者だけはどうしても肯(がえ)んじなかった。
彼らは祖先からの由緒をたてに、官憲の高圧的な手段に対しての反抗、または買収の手段の陋劣に対する私憤、その他種々なからみまつわった情実につれて、死んでも買収には応じないと頑張った。
大部分の買収を..
第136回 谷中村(一) [2016/05/04 10:05]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年一月の末、寒い日だった。
渡辺政太郎(まさたろう)、若林八代(やよ)夫妻はいつになく沈んだ、しかしどこか緊張した顔をして、辻家の門を入ってきた。
辻は渡辺政太郎との親交について、こう書いている。
染井からあまり遠くない瀧の川の中里と云ふところに福田英子と云ふをばさんが住んでゐた。
昔、大井憲太郎と云々のあった人で自分も昔の新しい女だと云ふところから「青鞜」に好意..
第133回 タイプライター [2016/05/03 12:26]
文●ツルシカズヒコ
野枝が『青鞜』の同人のひとりである山田わかを訪ねたとき、山田嘉吉がわか夫人のために、社会学の書物を読む計画があるから勉強する気ならと誘われ、野枝は毎週二回くらいずつ通うことにした。
ウォードの書物を入手するのは困難なので、嘉吉は毎週読む予定の分のページをわざわざタイプライターで打たせて送ってくれた。
野枝はその親切を本当に心から感謝しながら、少しでもそうした勉強の機会を外ずさないように心がけていた。
..
第129回 編輯室より [2016/04/28 12:15]
文●ツルシカズヒコ
さらに、御宿に滞在しているらいてうに手紙を書いたこと、らいてうが上京してふたりで話し合ったこと、自分が『青鞜』を引き継ぐことになった経緯を書いた。
助手の資格しかない田舎者の私がどんなことをやり出すか見てゐて頂きたい。
兎に角私はこれから全部私一個の仕事として引きつぎます。
私一人きりの力にたよります。
そうして今迄の社員組織を止めてすべての婦人達のためにもつと開放しやうと思ひます。
..
第127回 貞操論争 [2016/04/26 22:06]
文●ツルシカズヒコ
一九一四(大正三)年の『青鞜』を語る上で欠かせないのが、西崎(生田)花世と安田皐月の間で起きた「貞操論争」である。
発端は生田長江主幹の文芸評論誌『反響』九月号に、花世が発表した「食べることと貞操と」という告白的な文章だった。
その所説が平塚らいてう『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』に載っている。
女が食べるために、ことに自分だけでなく、養育の責任ある弟妹などがある場合..
第116回 世界大戦 [2016/04/24 21:43]
文●ツルシカズヒコ
一九一四(大正三)年、九月。
創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。
『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。
部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方だった。
堀場清子は『青鞜』の部数減と第一次世界大戦との因果関係を指摘している。
一九一〇年に始まった“女の時代”に、終りが来ていた。
それは“青鞜の時..
≪前へ 次へ≫