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第324回 露国興信所 [2016/08/16 16:35]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年十二月十二日の夕方、近藤栄蔵が近藤憲二に案内されて鎌倉の大杉宅にやって来た。
近藤栄蔵は日本社会主義同盟の大会に出席するために、神戸から上京していた。
高津正道『旗を守りて』によれば、ロシア共産党の極東責任者のヴォイチンスキーから二千円を受け取っていた大杉は、この金を元にアナ・ボル共同戦線の週刊新聞の発刊を計画していた。
大杉が堺と山川に相談すると、ふたりは承諾しなかったが..
第323回 日本社会主義同盟 [2016/08/15 11:33]
文●ツルシカズヒコ
日本社会主義同盟の発会式が開催されたのは一九二〇(大正九)年十二月十日だったが、前日の十二月九日、鎌倉の大杉宅で発会式に出席する四十余名の各府県代表者歓迎会が開かれた。
大阪、山梨、名古屋、岩手、富山、兵庫、堺、横浜、東京からの出席者たちで、東京からは高津正道、久板卯之助、吉田一、大阪からは武田伝次郎などが出席していた。
『東京朝日新聞』(十二月十日)が「鎌倉では示威運動で十三名検挙 大杉氏歓迎招待の四十名..
第322回 暁民会 [2016/08/14 18:31]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二〇(大正九)年十二月四日、横浜市在住の吉田只次宅で開催された同志集会に、大杉と野枝が出席した。
欧州から帰国した石川三四郎が講演したが、大杉と石川は七年半ぶりの再会だった。
『日録・大杉栄伝』によれば、牛込区山吹町・八千代倶楽部で、暁民会主催の講演会が開催されたのは十二月五日だった。
聴衆約四百人、大杉も講演者として参加していたが警察の解散命令が出..
第321回 クロポトキンの教育論 [2016/08/13 11:20]
文●ツルシカズヒコ
大杉の著書『クロポトキン研究』がアルスから出版されのは、一九二〇(大正九)年十一月五日だったが、売れ行き好調で版を重ねた。
上記『クロポトキン研究』のリンクは国立国会図書館のデジタルライブラリーだが、奥付けを見ると同書は一九二三(大正十二)年十二月二十日発行、つまり大杉と野枝の死後に発行されている。
奥付けには「丗三刷」とあるので、三年間で三十三回も増刷されたことがわかる。
『クロポトキン研究』..
第320回 コミンテルン(三) [2016/08/10 23:05]
文●ツルシカズヒコ
大杉が上海に着いたのは一九二〇(大正九)年十月二十五日ごろだったが、その翌日、ヴォイチンスキー(ロシア共産党の極東責任者)、陳独秀(中国共産党初代総書記)、呂運亨(大韓民国臨時政府外交次長)ら六、七人が一品香旅館にやって来た。
それから二、三日おきに陳独秀の家で会議を開いた。
支那の同志も朝鮮の同志もヴォイチンスキーの意向にほぼ賛成しているようだったが、大杉はそういうわけにもいかず、会議はいつも大杉と..
第319回 コミンテルン(二) [2016/08/10 22:55]
文●ツルシカズヒコ
上海で開かれるコミンテルン極東社会主義者会議に出席するために、大杉が鎌倉の家を出たのは、一九二〇(大正九)年十月二十日の夜だった(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
近藤憲二『一無政府主義者の回想』によれば、この日、近藤は大杉と上海行きの打ち合わせをすることになっていた。
鎌倉の大杉の家に行くために新橋駅のホームで列車を待っていると、信友会の桑原錬太郎と遭遇した。
桑原も大杉に会いに行くという。
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第318回 夜逃げ [2016/08/09 13:44]
文●ツルシカズヒコ
葉山に住んでいたコズロフが、鎌倉の大杉宅にふとやって来たのは、十月初旬のころだった。
コズロフはしきりに何かを大杉に訴えていたが要領を得ず、大杉は何を言っているのかわからないまま、大杉がよくやる手でウンウンと頷いてわかったような顔をしていた。
『分りましたか?』
云ふだけの事を云つて了つたあとで、コズロフは日本語で云つた。
僕は顔をあげて彼れの顔を見た。
すると、不思..
第317回 有名意識 [2016/08/08 17:11]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『改造』九月号(第二巻第九号)に「引越し騒ぎ」(『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)、『婦人世界』九月号(第十五巻第九号)に「婦人の不平は意志の欠乏から」(『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を寄稿した。
『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、「引越し騒ぎ」の目次には「(社会主義者奇譚)引越さはぎ」というコピーがついている。
「婦人の不平は意志の欠乏から」は「現代婦人の不平」特集欄の一文で、他に山田わか、..
第316回 コミンテルン(一) [2016/08/07 16:00]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇年八月十七日、「社会改造運動の闘将養成」を目的にした、山崎今朝弥主催の平民大学夏期講習会が大杉宅で開催され、受講生二十人ばかりがやって来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
開始してすぐに解散を命じられたので、鎌倉署の署長に向かって大杉が馬鹿だの野郎だのと抗議、鎌倉中の評判になり、家主からの立ち退き話にまでなった(「鎌倉の若衆」/『労働運動』一九二一年二月一日・二次二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四..
第315回 幸子 [2016/08/05 12:03]
文●ツルシカズヒコ
さて、大杉は九人兄弟(姉妹)の長男であり、五人の妹と三人の弟がいたが、ここで整理してみたい。
長男・栄(一八八五年生・一九二三年没)
長妹・春(一八八七年生・一九七一年没)/中国・北京在住。三菱商事北京支店長・秋山いく禧・いくぎと結婚。※『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題(書簡・柴田菊宛て・一九二二年十一月二日)
次妹・菊(一八八八年生・一九八一年没)/アメリカ在住。柴田勝造と結婚。
長弟..
第314回 航海記 [2016/08/04 17:54]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年六月十五日に開かれた労働運動同盟会の例会で、岩佐作太郎が尼港事件のパルチザンを話題にした。
大杉はパルチザンについてこう書いている。
パルチザンの首領が何んとか云ふ無清酒主義者で、其の秘書官がやはり何んとか云ふヒステリイ性の食人鬼、女無政府主義者だ、と事ふ(ママ/※「云ふ」であろう)やうな事も、誰も問題にはしなかつた。
厄介な手に負へない奴は、何処ででも皆な無政府主義者にし..
第313回 クロポトキンの経済学 [2016/08/02 18:04]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正9)年六月一日、『労働運動』第一次第六号が発刊された。
大杉は「社会的理想論」「新秩序の創造」「組合運動と革命運動」(いずれも大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第6巻』)などの論文を書いている。
……人生とは何んぞやと云ふ事は、嘗つて哲学史上の主題であつた。
しかし、人生は決して、予め定められた、即ちちやんと出来あがつた一冊の本ではない。
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