記事
第182回 福岡の女 [2016/05/16 16:33]
文●ツルシカズヒコ
『中央公論』一九一六年三月号(第三十一年三号)に、野枝は「妾の会つた男の人々(野依秀一、中村狐月印象録)」を書いた。
野依は当時「秀一」であり、後に「秀市」と改名した。
野枝の上野女学校時代の恩師、西原和治が創刊した『地上』第一巻第二号(一九一六年三月二十日)に、野枝は「西原先生と私の学校生活」を寄稿したが、野枝がこの原稿を脱稿したのは二月二十三日だった。
フリーラブ問題が起きたころに執筆し..
第156回 同窓会 [2016/05/09 20:30]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年四月ごろ、野枝は上野高女の同総会に出席した。
上野高女は校舎移転改築のため銀行から資金を借り、校舎の外観が整い入学者が増えるにつれて、資本主の干渉が始まった。
その対立の末「創立十周年の記念日を期し」て多くの教職員とともに佐藤政次郎(まさじろう)教頭と野枝のクラス担任だった西原和治も上野高女を辞職した。
同窓会も母校と絶縁し、佐藤を中心とする温旧会を結成した。
..
第119回 自己嫌悪 [2016/04/25 18:16]
文●ツルシカズヒコ
「ああ、またどうしても行かなければならないのか……」
上野高女五年時のクラス担任だった西原和治の家を訪れると、いつも西原は野枝が黙っていても察して金を出してくれるが、そういう用事で西原に会わなければならないことが、野枝はたまらなく苦痛だった。
辻は口もきかずにブラリと家から出て行った。
その後姿を見送りながら、野枝はまた西原のところへ行こうか行くまいかと迷っていた。
美津がどうしても都合して..
第118回 義母 [2016/04/25 14:17]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『新日本』一九一八(大正七)年十月号に「惑い」を寄稿している。
創作のスタイルで書いているので仮名を使用しているが、「谷」は辻、「逸子」は野枝、「母親」は辻美津(ミツ)、乳飲み子である「子供」は一(まこと)である。
「谷が失職してからもう二年になる」とあるので、時の設定は一九一四(大正三)年である。
辻一家はこの年(一九一四年)の夏に北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地から小石川区竹早町八二番地..
第34回 出奔(六) [2016/03/21 19:12]
文●ツルシカズヒコ
野枝は上野高女のクラス担任だった西原和治が送ってくれた、電報為替で旅費を工面し上京した。
上京したのは「十五日夜」に辻が書いた手紙が福岡についた後であるから、一九一二(明治四十五)年四月二十日ころだろうか。
とにかく、野枝としてはぐずぐずしていると拘束されてしまうので、できるだけ迅速に東京に旅立ちたかっただろう。
上京した野枝は北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地の辻潤宅に入った。
辻はその家で..
第31回 出奔(三) [2016/03/20 22:51]
文●ツルシカズヒコ
金の問題もあった。
着替えも持たず、お金も用意する暇もなく、不用意にフラフラと家を出てしまったのだ。
三池の叔母の家で金を算段するつもりだったが、ついに言い出せなかった。
そして、家出したことが知れそうになって、思案のあまり志保子の家に来たのだ。
手紙を出して頼んだら、お金の算段に応じてくれそうな二、三人のあてはあった。
その手紙の返事を待つ間に連れ返されそうなところは嫌だったので..
第22回 仮祝言 [2016/03/18 20:09]
文●ツルシカズヒコ
西原和治著『新時代の女性』に収録されている「閉ぢたる心」(堀切利高編著『野枝さんをさがして』p62~66)によれば、野枝が煩悶し始めたのは、上野高女五年の一学期の試験が終わり、夏休みも近づいた一九一一(明治四十四)年七月だった。
西原は国語科の担当で野枝が上野高女五年のクラス担任である。
「どうしましょう、先生、夏休みが来ます、帰らなければなりません」
西原にこう切り出した野枝は、両腕を机の..
第21回 縁談 [2016/03/18 16:21]
文●ツルシカズヒコ
級長になり、新聞部の部長を務め、谷先生の自死を知り、新任英語教師の辻の教養に瞠目した野枝の上野高女五年の一学期はあわただしく過ぎていったことだろう。
井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』によれば、野枝と同級の花沢かつゑは、野枝についてこんな回想もしている。
花沢によれば、野枝は「ずいぶん高ビシャな人」だった。
花沢が日番で教員室に日直簿を置きに行ったときだった。
教員室にいた野枝は..
第16回 上野高女 [2016/03/17 14:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝が私立・上野高等女学校に在籍していたのは、一九一〇(明治四十三)年四月から一九一二(明治四十五)年三月である。
当時の上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのだろうか。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。
一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、「温旧会」という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された寄稿を..
≪前へ 次へ≫