記事
第338回 Confidence [2016/09/01 12:50]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『改造』四月号に「『或る』妻から良人へーー囚はれた夫婦関係よりの解放」を書いた。
「性の解放・性的道徳の建設」欄の一文で、野枝の他にミス・ブラック、帆足理一郎、江口渙が執筆。
野枝は冒頭で「もう随分ながく、私は自分の友達を持ちません。そして友達を欲しいと思つたこともありません」と書いている。
『青鞜』時代に親しく交わった小林哥津、野上弥生子との友情を、野枝はときどき懐かしく思い出し、..
第155回 婦人の選挙運動 [2016/05/09 15:44]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。
●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。
そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準備が出来てゐませんから来月にしやうと思つてゐます。
●平塚さんは今長篇執筆中です。
いよ/\発表される日のはやく来るのを待ちます。
●かつちやんは寺島村の白(..
第108回 『婦人解放の悲劇』 [2016/04/22 16:07]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。
……実におはづかしいものだ。
私はあのまゝでは発表したくなかつた。
併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎかけたのだけれどもどうしても気持がはぐれてゐて書けないので、胡麻化してしまつた。
(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_..
第102回 出産 [2016/04/19 19:36]
文●ツルシカズヒコ
野枝は辻の力を借りて、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収録されている「婦人解放の悲劇」を『青鞜』九月号に訳載した。
解放は女子をして最も真なる意味に於て人たらしめなければならない、肯定と活動とを切に欲求する女性中のあらゆるものがその完全な発想を得なければならない。
全ての人工的障碍が打破せられなければならない。
偉(おおい)なる自由に向ふ大道に数世紀の間..
第99回 ジプシイの娘 [2016/04/18 15:22]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。
弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。
辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地、妙義神社前の借家に住み始めたのは一九一三(大正二)年五月ごろであるが、そのころから弥生子と野枝の公私にわたる親交が始まった。
『定本 伊藤野枝..
第84回 ドストエフスキイ [2016/04/15 18:57]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十六日、その日の朝、野枝は疲れていたのでかなり遅く目を覚ました。
野枝はこの日もまた校正かと思うとウンザリした。
しかし、今朝は手紙が来ていないのでのびのびとしたような気持ちになり、辻に昨日、岩野清子と築地や銀座を歩いたことなどを話した。
野枝は昨日と一昨日に書いた手紙を入れた封筒を持って出て、それをポストに入れた。
野枝は苦しい手紙を書いたことが遠い遠いことのよ..
第82回 校正 [2016/04/15 11:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。
野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。
荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取..
第80回 高村光太郎 [2016/04/13 12:22]
文●ツルシカズヒコ
野枝は辻との関係を早く話してしまいたいとあせっていたが、なかなかきっかけがつかめないでいた。
そのうちに荘太は『中央新聞』の野枝の記事について話し出した。
「僕にはあなたがひとりの方ではないか(ママ)といふ不安があつたのでした。中央新聞 に出たとかいふ記事の事を聞いてからです。そしてさうだとすれば大変失礼な事をしたと思つたのです。けれども僕が手紙を書いた時には、ちッともさういふ事は知らなかつたの..
第79回 文祥堂 [2016/04/12 16:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(明治三十六)年、六月十八日。
「動揺」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p27)によれば、その日の朝、野枝と辻はいつものように、辻の母・美津や妹・恒(つね)より遅れて起きた。
ふたりともまだ寝衣(ねまき)のままのところに、木村荘太からの第二信と帯封の『フュウザン』六月号が届いた。
野枝は手紙に目を通し、辻に渡した。
辻が野枝より先に『フュウザン』を読みたいと言ったが、野..
第68回 枇杷の實 [2016/04/03 11:08]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年四月初旬、辻潤と野枝は芝区芝片門前町の間借り住まいをやめ、染井の家での生活に戻った(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p190)。
上山草人(かみやま・そうじん)の家を訪れた興奮の夜の後も、野枝は紅吉に三回ばかり会った。
紅吉はあいかわらずらいてうの悪口を言ったが、あの夜ほど興奮してはいなかった。
巽画会展覧会に出す下描きができたなどの話をした。
このころ紅吉は根津神..
第65回 平塚式 [2016/04/02 16:51]
文●ツルシカズヒコ
三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。
「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」
「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」
「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんです。生田先生もたいへん私のために喜んで下さいました」
野枝は『青鞜』に関わるようになってから、なにかすっきりしないままのらいてうと紅吉と西村のことを考えていた。
野..
第64回 神田の大火 [2016/04/02 12:50]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。
神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続けた。
全焼家屋は二千三百以上、焼失坪数は四万二千坪以上の被害を出した「神田の大火」であった。
このころ、辻潤と野枝は染井の家を出て、芝区芝片門前町の二階家の二階に間借り住まいをして..