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第135回 ジャステイス [2016/05/03 13:19]
文●ツルシカズヒコ
しかし、野枝だけは青鞜社の仲間の中でも違った境遇にいた。
一旦は自分から進んで因習的な束縛を破って出たけれど、いつか再び自ら他人の家庭に入って因習の中に生活しなければならぬようになっていた。
野枝は最初の束縛から逃がれたときの苦痛を思い出し、その苦痛を忍んでもまだ自分の生活の隅々までも自分のものにすることのできないのが情けなかった。
野枝はそれを自身の中に深く潜んでいる同じ伝習の力のせいだと思って..
第133回 タイプライター [2016/05/03 12:26]
文●ツルシカズヒコ
野枝が『青鞜』の同人のひとりである山田わかを訪ねたとき、山田嘉吉がわか夫人のために、社会学の書物を読む計画があるから勉強する気ならと誘われ、野枝は毎週二回くらいずつ通うことにした。
ウォードの書物を入手するのは困難なので、嘉吉は毎週読む予定の分のページをわざわざタイプライターで打たせて送ってくれた。
野枝はその親切を本当に心から感謝しながら、少しでもそうした勉強の機会を外ずさないように心がけていた。
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第132回 砲兵工廠 [2016/05/02 20:44]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年一月の末のある日の深夜、山田嘉吉、わか夫妻の家から帰宅の途についた野枝は、水道橋で乗り継ぎ電車を待っていた。
漸くに待つてゐた電車が来た。
ふりしきる雪の中を、傘を畳んで悄々(しほしほ)と足駄の雪をおとして電車の中にはいつた。
涙ぐんだ面(かお)をふせて、はいつて来た唯だ一人の、子を背負つたとし子の姿に皆の眼が一時にそゝがれた。
けれど座席は半ば以上すいてゐて、矢張..
第131回 四ツ谷見附 [2016/05/02 12:20]
文●ツルシカズヒコ
女性解放問題にも深い関心を持っていた山田嘉吉が、アメリカの著名な社会学者、レスター・フランク・ウォード(Lester Frank Ward)の講義をすることになり、その勉強会に山田わか、らいてう、野枝などが参加していた。
その夜のテキストはウォードの『Pure sociology』だった。
予定のレツスンに入つてからも、Y氏の読みにつれて、眼は行を遂(お)ふては行くけれど、頭の中の黒い影が、行と行の間..
第130回 山田わか [2016/05/01 21:47]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 一九一四(大正三)年十二月に発行され発禁になった『平民新聞』三号を、野枝が隠匿してくれたことを大杉が聞き知ったのは、そのひと月後くらいだった。
一九一五(大正四)年一月二十日ごろ、大杉は『平民新聞』三号が入り用になり、お礼かたがたクロポトキンの『パンの略取』を土産に野枝を訪ねた。
大杉はこう書いている。
『ええ、うちぢや少し危いと思ったものですか..
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