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第189回 両国橋駅 [2016/05/18 14:03]
文●ツルシカズヒコ
辻の家を出た野枝は、とりあえず神田区三崎町の玉名館に身を落ちつけた。
玉名館は荒木滋子、郁子姉妹の母が経営する旅館兼下宿屋である。
荒木滋子は七年後、甘粕事件で野枝が虐殺された直後にこう回想している。
いつでしたか、ずつと以前に、私の処へ突然にお出でになつていろ/\T氏との家庭のもた/\をお話しになつたことがありました。
其節O氏とのいきさつもお話し下すつて一旦自分一人国へ戻らうか..
第108回 『婦人解放の悲劇』 [2016/04/22 16:07]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。
……実におはづかしいものだ。
私はあのまゝでは発表したくなかつた。
併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎかけたのだけれどもどうしても気持がはぐれてゐて書けないので、胡麻化してしまつた。
(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_..
第74回 堀切菖蒲園 [2016/04/10 12:35]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月中旬。
野枝がらいてうの書斎を訪れ、奥村の話に一段落ついた後、野枝が堀切菖蒲園の話をらいてうに振った。
そのちょっと前、らいてうが田村俊子と堀切菖蒲園を訪れていたからである。
「この間の堀切行きは面白かつて?」
「えゝ、面白かつたわ。田村さんがすつかり酔つぱらつて大手をひろげて駆け出す恰好つたら……」
平塚さんはさも可笑しさうに一人で笑つた。
「..
第64回 神田の大火 [2016/04/02 12:50]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。
神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続けた。
全焼家屋は二千三百以上、焼失坪数は四万二千坪以上の被害を出した「神田の大火」であった。
このころ、辻潤と野枝は染井の家を出て、芝区芝片門前町の二階家の二階に間借り住まいをして..
第56回 軍神 [2016/03/29 15:40]
文●ツルシカズヒコ
紅吉は頑固に黙ってしまった。
荒木の軽いお調子にもなかなか乗ってはこなかった。
しまいにはぐったりして、野枝の膝を枕にして寝てしまった。
哥津はとうとう帰り支度を始めた。
岩野も先が遠いからと仕度を始めた。
野枝の膝には紅吉がいたので、野枝はらいてうと一緒に帰ることにして、哥津と岩野は先に座を立った。
西村は蒼い顔をいよいよ蒼くして、背を壁にもたして荒木と話をしていた。..
第55回 メイゾン鴻之巣 [2016/03/29 13:54]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十五日、クリスマスのこの日は『青鞜』新年号の校正の最後の日だった。
帰りにどこかで忘年会をしようと、らいてうが言い出した。
文祥堂の校正室にはらいてう、紅吉、哥津、野枝、岩野清子、西村陽吉がいた。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、京橋区新栄町にあった東雲堂が発行する出版物は、築地にある文祥堂で刷っていた。
らいてうの記憶では校正室は二..
第53回 玉名館 [2016/03/28 21:09]
文●ツルシカズヒコ
「失敬失敬、上がりたまえ」
取り次ぎに出た年増の女中の後から、紅吉は指の間に巻煙草をはさんで、セルの袴姿でニコニコしながら出て来て、紅吉一流の弾け出るような声で野枝を引っ張り上げた。
野枝が案内された部屋には綺麗な格好のいい丸髷姿の岩野清子と、この家のあるじの荒木郁子がいた。
野枝はふたりに会うのは初めてだった。
郁子は黒くて多い髪の毛を一束ねにして、無造作にグルグル巻きにしていた。
..
第40回 円窓 [2016/03/22 22:12]
文●ツルシカズヒコ
「雑音」第一回は『青鞜』一九一二年十二月号の編集作業のシーンから始まっている。
野枝が本郷区駒込曙町一三番地のらいてうの自宅を訪れたのは、おそらく十一月も半ばを過ぎたころだろうか。
野枝が三畳ほどの円窓のあるらいてうの書斎に入るのは、そのときが初めてだった。
「いらっしゃい、この間の帰りは遅くなって寒かったでしょう」
らいてうは優しく微笑みかけ、火鉢を野枝の方に押しやった。
この日..
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