2016年03月22日
第40回 円窓
文●ツルシカズヒコ
「雑音」第一回は『青鞜』一九一二年十二月号の編集作業のシーンから始まっている。
野枝が本郷区駒込曙町一三番地のらいてうの自宅を訪れたのは、おそらく十一月も半ばを過ぎたころだろうか。
野枝が三畳ほどの円窓のあるらいてうの書斎に入るのは、そのときが初めてだった。
「いらっしゃい、この間の帰りは遅くなって寒かったでしょう」
らいてうは優しく微笑みかけ、火鉢を野枝の方に押しやった。
この日は小林哥津も来ることになっていた。
「哥津ちゃんはまだお見えになりませんか」
そう訊ねた野枝の目が本箱の中の書籍の背文字を追った。
「ええ、まだ。ダンテはわかりますか。この次までにね、林町の物集さんがあの本が不用になっているはずですからね、行って借りていらっしゃい。ところはね、千駄木の大観音をご存知? ええ、あすこの前を行ってねーー」
らいてうは万年筆で地図を書きながら、
「本当に、行ってらっしゃい、本がなくちゃね」
「ええ、ありがとう」
野枝はそれだけ言うのがやっとだった。
「物集さん」は青鞜社の発起人のひとり、物集(もずめ)和子。
当初、青鞜社の事務所は、本郷区駒込千駄木林町(はやしちょう)九番地の物集の自宅にあったのだが、『青鞜』一九一二年四月号(二巻四号)に掲載された荒木郁の小説「手紙」が発禁になり、刑事が物集邸に来て『青鞜』を押収したことなどがあり、同年五月半ばごろ青鞜社は本郷区駒込蓬萊町の万年山(まんねんざん)勝林寺に事務所を移転したのだった。
この寺をらいてうに紹介してくれたのは、らいてうが懇意にしていた浅草区松葉町の臨済宗の禅寺、海禅寺の住職・中原秀岳だった。
このころ、青鞜社では講師を呼んで講義をしてもらう勉強会を再開していた。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p393)によれば、火曜と金曜の週二回、生田長江「モーパッサンの短篇」と阿部次郎「ダンテの神曲」である。
しかし、『白樺』一九一二年十月号に掲載された『青鞜』の広告には、阿部次郎「ダンテの神曲」が水曜日、生田長江「モーパッサン」が金曜日とある。
らいてうは物集が持っているダンテの『神曲』を、借りてきなさいと野枝に言ったのである。
物集は青鞜社から離れたので、『神曲』が不用になっているはずだからだ。
これから歩き出さうとする私を導いてくれるのは明子(はるこ)の手より他にはなかつた。
明子もまた、最近にすべての繫累(けいるい)を捨てゝたゞ自分の道に進んでゆかうとする若い私の為めに最もいゝ道を開いてやらうとする温かい親切な心持を私に投げかけることを忘れなかつた。
私にとつてはこの明子の同情は何よりも力強い喜びであつた。
「私は、この人のこの親切を、この同情を忘れてはならない、この人の為めにはどんな苦しみも辞してはならない。」
私はさうした幼稚な感激で一杯になつた。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年1月3日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p7/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p127)
「今日は紅吉も来るかもしれません。それに晩には西崎さんと小笠原さんがいらっしゃるはずです」
「まあそうですか。ではずいぶん賑やかですね。紅吉さん、私が以前、図書館で見ていたころとはずいぶんお変わりになりましたよ」
野枝は尾竹紅吉のことを上野高女時代から見知っていた。
夏休みの間、毎日のように通った上野の帝国図書館でよく見かけていたのだ。
厖大な体を持った彼女は、本を読まずいつもスケッチブックを広げていた。
ふたりは同じ根岸に住んでいたので、図書館以外でもちょいちょい顔を合わせた。
ふたりは一緒になると無言のまま意地を張って歩きっこをした。
「あの方があらい紫矢絣の単衣に白地の帯を下の方にお太鼓に結んであの大きな体に申し訳のように肩上げを上げていたのを本当に可笑しいと思って見ていました。その格好で道を歩きながら、いつも歌っているから、ずいぶん妙な人だと思いましたわ。あの方の叔父様やお父様が画家として名高い方だということも、そのころからわかっていました。あの方の今のお住居は以前、私の叔父の住居だったこともあるのです」
「そうですか、でも紅吉がお太鼓になんか帯を締めていたことがあるのですかね」
らいてうが可笑しそうに笑った。
「じゃそろそろ仕事を始めましょうね。原稿はたいていそろっていますから、頁数を決めましょう。この社の原稿紙三枚で一頁になるのですから、そのつもりで数えて下さいね」
教えられたとおりに、野枝は一枚一枚数えていった。
広い邸内はひっそりしていて、縁側に置いた籠の中の小さな白鳩が喉を鳴らす音が柔らかにあたりに散る。
後ろの部屋のオランダ時計がカチカチ時を刻む。
静かだ。
本当に静かだ。
らいてうはうつむいて原稿紙にペンを走らせている。
小刻みな下駄の音が門の前で止まったと思うと間もなく、くぐり戸が開いて、けたたましいベルの音がして、内玄関で案内を乞う声がした。
「哥津ちゃんですよ」
らいてうがペンを置いて、そこの敷布団を直した。
「ごめんください、こんにちは」
哥津はスラリと長い体をしなやかに折って座りながら、格好のいい銀杏返しに結った頭をかしげて、らいてうと野枝に挨拶をした。
「他にまわるところがあったものですから、つい遅くなりましたの。もうお始めになってるの。目次やなんかお書きになって? そう、じゃ私が書くわ」
明るい調子で話す哥津が来てから、急に場は賑やかに伸びやかになった。
「野枝さんて、もっと若い人かと思った。二十二、三には見えるわ。着物の地味なせいかもしれないけど」
「哥津ちゃん、今度は何か書けて?」
「ええ、だけどずいぶんつまらないものよ。私小説は初めてですもの、なんだか駄目よ」
「でも、まあ見せてごらんなさいよ」
哥津は派手な模様のついたメリンスの風呂敷の中から原稿を出して、らいてうの前に置いた。
野枝は哥津とらいてうの隔てのない会話を聞きながら、その前に哥津が『青鞜』に書いた「お夏のなげき」という戯曲のひとくさりを思い浮かべていた。
ちなみに一幕ものの戯曲「お夏のなげき」のラストは、こうである。
子供の声ーー清十郎殺すなら……お夏も殺せ……。
お夏の声ーー向こう通るは清十郎ぢやないか、笠がよくにたすげの笠……
(小林哥津「お夏のなげき」/『青鞜』1912年10月号・第2巻第10号_p)
静かな通りに突然、ソプラノで歌う声がした。
「あ、紅吉が来たわ」
哥津は一番に耳をそばだてた。
らいてうが静かに微笑んだ。
紅吉が三人の笑顔に迎えられて入ってきた。
「編集ですか、手伝いましょうか。だけど私はもう社員じゃないからいけないんですね」
座るとすぐ、紅吉は原稿紙とペンを持ちながら、あわててそれを下に置いて三人の顔を見まわした。
「あのね、今月号の批評読みましたか。カットが誉めてありました、プリミティブだって。あなたの詩に使ったカットね、野枝さん、あれはね、特別にあなたのあの詩のために私が描いたんですよ。南国情緒が出ているでしょう。ねえ、哥津ちゃん、本当にあの詩のために描いたんですね」
「ありがとう、あんなつまらない詩のために、すみません。平塚さんからもうかがいましたの。私の詩にはすぎるくらいです、本当に」
「哥津ちゃんはどう思います」
「いやな紅吉、私あのときちゃんと誉めてあげといたじゃないの」
「そうそう、すいません」
可愛らしく頭を下げる紅吉の大きな体を見ながら、哥津と野枝は心からおかしがった。
紅吉は『青鞜』十月号に掲載された野枝の詩「東の渚」のカットを描いたのだが、「東の渚」は見開き始まりの三頁で、各頁の上に横長の地紋のようなカットがあり(一点描いたものを流用)、絵柄は花壇に咲いているアールヌーボ風のチューリップである。
らいてうは若い三人の対話から離れて、哥津の原稿を読んでいた。
鋭い紅吉はらいてうが熱心に原稿に目を通しているのを見ると、すぐ立ち上がりかけた。
「今日は邪魔になりますからもう帰ります。野枝さん、今度、私の家に遊びにいらっしゃい」
原稿に目を通しているらいてうが、顔を上げて穏やかに言った。
「今来たばかりのくせに、なんだってもう帰るの」
「だって編集の邪魔になるじゃありませんか。それに私はもう退社したのに、ここにいると誤解されるから」
真顔に答える紅吉の顔を、野枝はあきれて眺めた。
※尾竹紅吉2 ※尾竹紅吉3
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image