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第341回 赤瀾会(二) [2016/09/03 14:32]
文●ツルシカズヒコ
『改造』一九二一年六月号に「赤瀾会の真相」が掲載されたが、山川菊栄「社会主義婦人運動と赤瀾会」とともに、野枝も「赤瀾会について」を寄稿している。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『改造』同号には「赤瀾会の人々」という紹介記事も掲載されたが、五月一日のメーデーに初めて婦人団体として参加した赤瀾会が一躍注目を浴びたからである。
三千字ぐらいの原稿のうち、三分の二ぐらいが当局の検閲によって削除され伏せ字にさ..
第315回 幸子 [2016/08/05 12:03]
文●ツルシカズヒコ
さて、大杉は九人兄弟(姉妹)の長男であり、五人の妹と三人の弟がいたが、ここで整理してみたい。
長男・栄(一八八五年生・一九二三年没)
長妹・春(一八八七年生・一九七一年没)/中国・北京在住。三菱商事北京支店長・秋山いく禧・いくぎと結婚。※『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題(書簡・柴田菊宛て・一九二二年十一月二日)
次妹・菊(一八八八年生・一九八一年没)/アメリカ在住。柴田勝造と結婚。
長弟..
第314回 航海記 [2016/08/04 17:54]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年六月十五日に開かれた労働運動同盟会の例会で、岩佐作太郎が尼港事件のパルチザンを話題にした。
大杉はパルチザンについてこう書いている。
パルチザンの首領が何んとか云ふ無清酒主義者で、其の秘書官がやはり何んとか云ふヒステリイ性の食人鬼、女無政府主義者だ、と事ふ(ママ/※「云ふ」であろう)やうな事も、誰も問題にはしなかつた。
厄介な手に負へない奴は、何処ででも皆な無政府主義者にし..
第308回 入獄前のO氏 [2016/07/29 13:32]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年四月三日と四日、牛込区の築土八幡停留所前の骨董店・同好会で、第一回黒燿会展覧会が開催され、大杉は自画像「入獄前のO氏」を出品した(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
「入獄前のO氏」を、望月桂はこう評している。
かつて曙町の家に行つた時、壁にフクロウか狸の面のような、自画像とも思はれるが自らは猫だと云ふものが筆太にぬつたくつてあるのに気づき、大杉は絵も描かせれば描く男だなと思ひ、黒燿会..
第300回 教誨師 [2016/07/21 10:05]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年一月二十二日、前年夏に豊多摩監獄に下獄した吉田一が出獄した。
行く先のない吉田は労働運動社に寄食することになった。
おしゃべりな吉田が獄中で唯一おしゃべりができるのが、教誨師の訪問を受けるときだった。
「だけんど、俺がたったひとつ困ったことがあったんだ」
吉田は博学な教誨師を無学な自分が論破した話を野枝にした。
あるとき教誨師が吉田に言ったという。
..
第265回 大杉栄と代準介 [2016/06/29 16:47]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正八)年六月、野枝は安谷寛一に葉書を書いた。
宛先は「神戸市外東須磨」(推定)。
発信地は「南葛飾郡亀戸町二四〇〇番地」(推定)。
其後いかゞ。
お子達はお丈夫ですか。
私の処の赤ん坊もやう/\のことでなをりました。
手なしでいろんな仕事がちつとも進行しないので、当分の間仕事を持つて九州に行くことにしました。
此の家は今月一杯です。
秀世さん..
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