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2021年06月09日

疎遠

「丹澤先生は、高校の担任とか、高校生の授業担当とか、やらないんですか?」
中3の授業中、ある生徒にそんな風に尋ねられた。

私が、「高校になると、だんだん疎遠になってしまうんだよ…」、と言ったことに対しての反応である。

私はそうした声に、
「高校の担任や授業を持つと、卒業するとき淋しくて淋しくて、耐えられなくなるんだ…。だから、やらないんだよ。」
と、こたえる。

もちろん、どの学年を担当するかは、自分の希望というより、校長が決めることなのだろうが、このことは私の本心でもある。

「私が一番耐えることが苦しいのが、『愛別離苦』なんだ。君たちは、『五蘊盛苦』だろうけど…。」

中3の数学の授業とは思えないほど、高度な仏教用語が飛び交う。

「丹澤先生、僕たちと別れるの悲しいですか?」
「そりゃ、悲しいよ。淋しいよ。泣いちゃうよ…。だから、卒業したら、少しずつ関係が薄くなって、高校卒業するときには、ものすごく細くなって、消えるように高校を卒業してくれたら嬉しい。私も、そうやって消えるから…。」

中学卒業後、自然に疎遠になることもあるが、急激に関係が薄れることもある。
彼等からすると、「俺ら、もう高校生だから…」、という自負のようなものがあるのだろう。「中学の時のように、丹澤先生とは関わらないぞ…」、という意図も見え隠れする。

たいていの場合、急激に私と疎遠になるのは、何か合った場合である。
私に顔向けできない何か、今は、先生と話をしたくないという思い…。
そんな気持ちが交錯して、私には近寄らなくなる。

本当は助けて欲しいはずなのだろうが、こちらから干渉すると、逃げてしまうから、私は、少し落ちた彼等の幸福を祈るばかりである。

自ら成長しようとしている彼等を、遠くから見守ることも、一つの愛の形なのだろう。

「淋しくなるね…。」
「まだ中学卒業まで、しばらくありますよ。先生、そんなに寂しがらないでください。」

また一つ、生徒の愛を感じた…。




2021年06月08日

入試問題

中間試験が終わって最初の教科会は、来春行われる中学および高校の入試問題案の提出日だった。

数学科の先生たちで分担して、それを検討、調整して教科としての案を出す。
その第一歩というところだろう。

私自身も、中学入試、高校入試とも分担された問題があって、このところ温めていたものを、提出した。

まだ本格的な検討には入っていないが、この先修正を加え、入試問題になるのだろう

問題作成は、机に向かってうんうん…言っている中に出てくるものでもない。
「こんな問題どうだろう…」、と思って、しばらくの期間、折に触れて考えていると、何とか形になっていく。

レベルの設定も必要だが、何と言っても、私は「面白さ」が大切だと思うし、いつか、問題が転載されたとき、学校としての看板として恥ずかしくない問題であることも必要だろう。

私立学校では、独自に問題を作るので、皆で分担することが多いのだ。
私も、これまでたくさんの問題を作ってきた。

もうすでに忘れてしまったが、作問中は、何となく楽しかったことだけは覚えている。

「丹澤先生の問題、いつも難しくて、なかなか受験生が解いてくれないんだよね…。」

しばしばそういう声も聞くが、「もっと易しい問題しろ!」という意思表示ではないようなので、この先も、面白い問題作りをしていきたいと思う。

難関中学の入試問題は、大学入試問題の焼き直しである場合も多いのだが、私はあまりそういう手は使わない。

作問には出題者の意図がある。
それは、数学の先生たちの意図でもあり、学校としての意図でもある。

以前、ほとんど私一人で入試問題を作ったことがある。
その時には、入試前後で、私は体調を崩した。

受験生たちの思いが、私に一点に集中して、念波が私を襲ったのだ。

以来、そういうことはないが、作問には念力も必要のようだ。

多くの作問をしている先生方も、同じような思いをしているのだろう…。





2021年06月07日

自分のために生きること

「ずいぶん遅いじゃないか…。体調が悪いなら、見学してていいぞ。」

土日に練習に参加しなかったMに走ってグランドまで行かせた。
グランドまでは5q。
一生懸命走れば20分以内には着く。
だが、Mはいつまで経っても到着しなかった。

「何だが、この学校にいる意味が分からなくなってしまいました。だから、走ったり歩いたりして考えていたんです。」

「練習するときは集中した方がいいな…。」

たいてい悩み多き時は、自分のことしか考えられなくなる。
当然、練習にも身が入らなくなる。

この時期、誰にもであることなのだが、まさかこの時期に来るとは思わなかった。

「人のため生きることは大事だと思うんですけど、自分のために生きることは間違いですか?」

自分のために生きることが、他の人の人生をも狂わしてしまうのであれば、その方向が街が井なのかも知れない。だが、利自即利他という言葉の通り、自分が伸びていく中で、それが他の人をも活かしてゆくスタイルがいいのだろう。

「M、どうしたの?」
先輩の3年生が声を掛ける。

Mの表情が少し変わった…。

彼等はこんな一言でも、エネルギーをもらうのだ。

集団の力、チームの力が、悩める少年を救うことも多い。

逆に、一人が、チームのモチベーションを下げ、チーム力を引き落とすことだってある。

練習後、Mは少し元気になったように見えた。

このところの生徒指導が、かなりこたえたのだろう。

やるべきことを必死でやっていると、その時は悩みも忘れる…。
常に心を揺らしていると、すべてが中途半端になるものだ。

こうして悩みながら成長していくのだろう…。




2021年06月06日

日曜日の過ごし方

行事の都合で、日曜日の部活動を午後からにした。
何年かぶりの午後からの部活。
午後からでは、「何となくゆっくりできないな…」、と今まで避けてきたのだが、今回やってみたが、そんなに不都合はなかった。

土曜日は10日ぶりくらいに隠れ家に泊まった。
朝の4時を過ぎると、玄関に入れておいた愛犬が、「おしっこ、したい…」と騒ぎ出す。
「日曜日くらい、少し遅めの散歩にいかせろよ」、と思いつつも、犬を外につなぎ、少し時間をおいてから散歩に行く。

5時過ぎには散歩も終わるので、そのあとは、ミツバチの巣箱の世話をした。
どのくらい巣が作られているのかを調べ、巣内を掃除する。

ミツバチの世話が終わると、家庭菜園の手入れ。
今年は珍しく、菜園中に野菜が植えられている。
昨日仕入れた、苗を植えたり、育ち具合をチェックしたりする。

ひと仕事を終え、汗を流してから、朝食。
動いたあとは、パンよりご飯の方がいい。

簡単なおかずを作り、朝食。

朝食後は、メルカリの出品。
このところ急激に売り上げが下がっているのは、出品作業を怠っているからだ。
メルカリは、毎日出品したり、メンテナンスをしないと定常的に売れなくなる。

そんな折、ふと身体がだるくなった。

「少し休むかな…。」

自宅に戻り、横になる。
部活開始の午後まではまだ時間がある。

時計を見ると午前9時前…。

日曜日の朝、いろいろなことをしたが、ようやく皆が起きだし、活動する時間か。

こんな日曜日の生活も、なかなかいい…。




2021年06月05日

県大会

県大会の審判に行った。
中学野球では、監督は自動的に審判登録され、大会時の審判にあたる。
地区大会はもちろん、年に数回、県大会にも派遣される。

本来昨日だったのだが、雨のために一日順延になったので、授業の手当をしての出張になった。

昨今、ピッチャーの投球制限が加わった。
一日100球、大会全体で350球。
たいていの場合、大会は三日間続き、その間、最低4試合は行う。

そうなると人数およびピッチャー要員が少ないチームは俄然不利になる。
合わせて、エース級のピッチャーに、球数を増やそうという、嫌らしい作戦も現れる。

投球数は、控え審判が数え、70球を超えたとき、イニングの間に監督に通告される。
100球を超えても、現在の打者には投げられるが、それ以降は、自動的にピッチャー交代になる。

ピッチャー以外の守備につくことはできる。

私自身、久しぶりの県大会の審判だったが、なかなかよそのチームを審判として見るのはおもしろい。

選手たちの声かけも、すぐ目の前で行われるし、ベンチの指示や攻撃もよく分かる。

コロナ禍で圧倒的に強いチームは少なくなった。
あまり練習できていないのだろうし、そもそも部員時代も減っている。

選手の負担減のため、7回終了するとすぐにタイブレークに入るようになった。
そんなときに、エース交代というのも困るので、試合展開にもよるが、監督の采配はますます難しくなった。

私が審判をした試合は、タイブレークに持ち込まれ、それでも試合時間が2時間を超えた。

ほっと一息つく間もなく、次の試合は控え審判。
電光掲示板の操作になった。

なかなか気が抜けない一日だった。

たまたま2試合で終わったので、その後急いで帰校し部活を行う。

気がつけば、朝も昼も食べていないことに気がついた。
一体何をやっているのだろう…。

2021年06月04日

正負の数の計算 続報

今年の中1では、例年とは違った方法で正負の数の計算を教えたという話をした。(正負の数の計算2021/04/17)

中間考査が終わり、彼等の答案を見たので、その総括をしてみたい。

結論から言うと、例年よりは計算の出来は良かった。
年は10名以上こぼれている人がでていたのだが、今年はほんの数名。
彼等も今後のフォローで引き上げることが出来るだろう。

入学時のレベルは例年並みかそれより少し低いので、まずまずの成果だったと思う。

基本的な正負の数の計算は、ほぼ出来るようになっていると思われる。

一方で課題もある。

「答案の途中式の書き方」、「複雑な四則演算の計算」である。

前者は、これまで詳しく説明出来なかったので、この先の習熟度別授業でフォローしてもらおうと思う。

答えだけを出そうとするあまり、途中式の変形が書けていない生徒が多いのだ。
これは例年の課題でもある。

また、複雑な式の方は、授業中あまり触れずにいた部分。
途中式を書かなければ、ほぼ正解にたどり着くことができないものだ。

一方で、難しい式を見た途端に、諦めてしまう生徒もいる。
これは中学校以前からの癖かも知れない。

とになく力をつけ、計算が出来るよう導き、論理的な思考を磨くというのが数学の目的でもある。

今回、久しぶりに中1全員の計算部分を担当し、少しだけ手応えを感じた。

学力が低めの生徒は集中力が続かない。
根気も続かないし、いやいや計算している傾向がある。

それを払拭し、「できる」ようにするのが私たち教師の務めだ。

もう少し体系化し、いろいろな先生たちにも紹介したいと思う。





2021年06月03日

教師の話術

大会や行事に行くと、近隣の学校の先生たちが生徒に指示を出したり、指導している場面を見ることがある。

そんなとき、私はたいてい、「きちんと指導ができていて、さすがなぁ…」、と感心する。

誰もがなれるわけではない教員の世界。
最近こそは、採用倍率が低くなったようだが、そもそも、子どもが嫌い、学校が嫌い、というような人は教員にはならない。

やってみて、思っていた世界と違って、失望して辞めていく若者もいるようだが、教育に関わる仕事は、そんなに簡単なものではない。

私は、授業時の話術を『落語』や『テレビショッピング』から学んでいる。

落語は言うに及ばないが、テレビショッピングのMCの語りや間の取り方は、授業時の話術に大いに参考になるのだ。  

頭のいい人が、教え方が上手であるとも限らない。
個人には教えることが得意だが、全体指導では苦手だ、という人もいる。

巧みな話術と大きなゼスチャーに、生徒たちとの言葉のキャッチボールを通して、授業というものは作られていくのだ。

私自身、授業は楽しい。
授業で、生徒と関わることに喜びを感じている。

生徒たちがどう考えているかは、分からないが、それほど評判が悪いわけではないので、そこそこの授業をしているのだろう。

だが、私は授業時にしかこの話術を使わない…。

普段の生活で、こんなふうに巧みな話術を使って、人間関係を構築できれば、もっと人脈も広がりそうなものだが、残念ながら授業時だけである。

ある意味、授業のときだけ、私は変身しているのだ。

全部演技とは言わないが、役に徹していると言う面が大いにある。

人間つき合いが苦手な理由は、この辺りにあるのかも知れないな…。

2021年06月02日

生き筋を見つける

年に二回、目標設定シートのようなものがあり、その中に、希望する職種というものがある。

数年前までの私は、その欄に、「一生子どもたちと関わり合いたい」と記した。
つまり、「ずっと担任をやり続けたい」という意思表示をしたのだ。
教頭や校長との面談でも、そのように言った覚えがある。

だが、今は違う。
今の私には、担任や学年主任をやるような、気力も体力もない。
いつからこんな自堕落になったのだろうか。

人は、ひとたび落ちてしまうと、なかなか元のようはできないものだ、とつくづく感じる。

一方で、以前の私は無理をしすぎていたのかも知れない。
確かに、他の人を見て、「もっと出来るのに…」などと思っていた私自身がいた。

今は、逆に私がそのように思われているのだろうと思う。

新入社員が一流企業のトップないし、役員を目指してがむしゃらに働いていたが、結局出世コースから脱落して、目標を失う。ただただ定年まで大人しく務めればいいと思うようになる。こんな風に、人は挫折すると、なかなか元には戻れないものだ。

その代わり、別の目標を見つけ、その道を歩むようにもなる場合もあり、一概に善し悪しは決められない。

生徒も、希望溢れて入学してきたが、様々な面で、挫折し、別の生き筋を見つけることになる人もいるのだ。

きっと人生というものはそういうものなのだろう。

SNSに、「もう限界です。休職することにしました」という投稿があった
多分、卒業生だと思われる。

少し休み、頭を整理し、将来のことを考えたらいい…。

人には必ずどこかに生きるべき道がある。

それを発見していくのが、人生の歩み…。




2021年06月01日

中間考査

中1にとっての最初の定期考査。
教室では緊張感が張り詰める。

そんなときこそ、教師は穏やかに語る方がいい。
その一見静かと思えるような声は、実は教室に響き渡る。
何か普段と違うものを、生徒たちは感じるのだ。

そんな試験も何度も経験すると慣れてくるのだが、とにかく最初の試験はドキドキだ。

今日の中1での試験監督では、トイレに行きたいという生徒は出なかった。
こんなときも、「試験中でもトイレに行けるんだよ」、などと甘やかすと、そうした生徒が多発するが、「トイレに行くときは、職員室に電話して、別の先生に来てもらうんだよ。誰がトイレに行きたいのかも、バレバレになるよ」、などと少しプレッシャーをかけると、きちんと休み時間にトイレに行くようになる。もちろん、腹痛は別だ。

机に上には筆箱から必要な筆記用具を出して、それだけを置くことになっているが、そのために、中学低学年では、試験中に文房具をよく落とす。

鉛筆やシャーペンなら、音で気づくが、消しゴムは落ちても音がしないので、困ったときには生徒は挙手をする。

ただ、私は、「消しゴム一個だけじゃだめだよ。何個か用意しておくんだよ」、とあらかじめ指示しているの、彼等もそれほど困らない。

そんな感じで、最初の時間の試験監督では、十数回、文房具を拾った。
中には、答案そのものを飛ばしてしまう生徒もいた。

例年よりは少なめだろうか…。

さすがに答案回収には手間取っていたが、三日間の試験で慣れるだろう。

試験の答案を見ても、勉強した形跡があり、「やるじゃないか…」とも思ったものだ。

次の数学の答案を採点して、「むむっ」、と思うことはあったが、それは私の指導力不足。

彼等にとっては定期テストも一つの試練。

きっと乗り越え、自分の学習スタイルを確立してくのだろう。





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