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赤ちゃんも水虫になる? 予防と治療方法は大人と同じ?

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足にかゆみを感じ、よく見てみると水虫だった…という経験は多くのかたにあると思いますが、知らないうちにうつってしまうのが水虫の怖いところ。

水虫というと、大人にできるイメージですが、なんと赤ちゃんでも水虫を発症することがあるのです!今回は赤ちゃんの水虫対策について、医師に詳しい話を聞いてきました。

赤ちゃんにできる水虫って?
水虫は、他者からの感染が原因の多くを占めています。また、赤ちゃんがけがをしないために、風邪を引かないためにと靴下や靴を履かせたものの、それが不潔な環境になれば、水虫を発症させる要因にもなるのです!

さらに、水虫と聞くと足にできるイメージですが、実際は足以外にも感染することがあり、ハイハイで私たち以上に床に触れる機会が多い赤ちゃんは、感染するリスクが高くなってしまうのです。

また赤ちゃんは、症状を訴えることができず、発見したときには悪化している場合もあります。そうならないためには、症状を見極め、早めに周りの大人が気付いてあげることが大切です。

目で見てわかる水虫の症状
水虫には様々な種類があり、種類によって症状は異なります。症状の中には、目で見てわかるものもあります。

1. 爪水虫
爪の色が白や黄色に濁ったり、爪が変形します。

2. 趾間型足白癬(しかんがたあしはくせん)
指の間にできる水虫。痒みを伴い、赤みを帯びてふやけたようになります。また、皮膚の皮が剥けたりします。

3. 小水疱型(しょうすいほうがた)足白癬
水疱が足の裏、側面にできる水虫。悪化すると痒みも出てきます。

4. 角質型増殖型足白癬
足裏全体に発症し、かかとの角質が厚く、硬くなります。

赤ちゃんの水虫、その治療と予防
【治療】
水虫の治療には、軟膏や飲み薬などがあり、ドラッグストアにも売ってます。しかし、赤ちゃんの場合に、まず小児科や皮膚科を受診することをおすすめします。

赤ちゃんには刺激が強くアレルギー反応など、副作用が出てしまう可能性があります。赤ちゃんの肌や体内もまだまだ強くはありませんし、水虫の種類も様々なため、医師による正しい診断と、正しい治療が必要です。

【再発や感染の予防】
家族が水虫がある場合や、赤ちゃんが水虫を再発しないために、対策が必要です!

・家族の水虫をしっかり治療すること
・バスマット、玄関マット、布団、ソファー等、素足が触れる場所は清潔に
・赤ちゃんに長時間靴や靴下を履かせない
・赤ちゃんの足が蒸れてしまった場合は、しっかり拭き、綺麗な靴下に取り替える
・毎日の入浴で、赤ちゃんの足の先まで十分に洗う

もし赤ちゃんの足に水虫が感染しても、24〜48時間以内にしっかり洗い落とせれば、水虫の発症を避けることができます。

発症しやすい水虫でも、十分に対策を行うことで、防ぐことができます。赤ちゃんが、健康に過ごせるためにも日頃から気をつけてあげましょう。






ロシアのクリスマスは1月7日だった?

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12月25日はクリスマス。そんなの常識、と思いきや、ロシア(ロシア正教)ではクリスマスが1月7日に行われるのです!

これは同じ太陽暦でもユリウス暦という暦を用いているからで、その理由はロシア正教を含む東方教会と、ローマ法王庁(グレゴリオ暦派)がかつてケンカしたことにあるようです。

日本では明治5年12月3日に太陰太陽暦(旧暦)からグレゴリオ暦に改暦され、この日が明治6年1月1日になりました。つまり、明治5年の師走はたったの2日しかなかったのです。かなり無茶ぶり感がありますが、何やら各国、暦の歴史には知られざる大人の事情がいろいろとありそうです・・・



●日本のカレンダーは珍しかった!?

今の世界標準暦はグレゴリオ暦(太陽の運行をもとにした暦)で、この暦が通用しない国や地域はほとんどないそうです。ところが、日本のようにグレゴリオ暦の日付しか記載されていないカレンダーが使われているのは世界では珍しいのだとか。

ちなみに、バリ島のカレンダーにはグレゴリオ暦のほか、210日周期のバリ暦や農暦(太陰太陽暦)もついているそうです。旅行に行ったらぜひチェックしてみてください。

●歴史上の日付は国によって違っていた!?

グレゴリオ暦が使用され始めたのは1582年と、さほど歴史は古くありません。それ以前はユリウス暦が1600年間も使われていました。

ユリウス暦も同じ太陽暦ですが、太陽の運行との誤差が積み重なり、16世紀後半になると暦上の春分の日になっても昼夜の長さが等しくないということが誰の目にもあきらかになっていました。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世の命により、1582年10月5日を同年10月15日とする改暦が行なわれたのです。

ただし、キリスト教圏であっても、新教と旧教の対立などから、改暦は一斉スタートしたわけではないようです。イギリスにおいては1752年まで使用されていません。そのため、当時の各国の歴史上の記載はユリウス暦であったりグレゴリオ暦であったりまちまちだったりします。

●歴史上の日付は今の日付と違っていた!?

日本の歴史も同様で、歴史年表の日付は旧暦で記載されています。よく言われるのが年末になると話題にのぼる赤穂浪士の討ち入り日(12月14日)です。これは今のグレゴリオ暦に換算すると1月下旬頃にあたります。雪が降っていたというエピソードも納得ですね。

●日本の改暦は公務員の給与カットが目的だった!?

欧米に追いつけ追い越せとばかりに、明治政府は数々の欧米化を進めていたわけですが、なかでも暦の違いは深刻な問題でした。改暦は必然のことではあったのですが、理由はそればかりではないようです。

財政難にも悩まされていた明治政府は、明治5年(1872年)12月3日を明治6年1月1日と改暦していますが・・・これは、翌年、閏月の関係で給与をひと月分多く支払わなければならなかったことと、明治5年12月分の給与をカットできるという、大隈重信の案によるものであったという逸話が残されています。

めまぐるしい現代ではありますが、たったの2日で師走が終わり新年を迎えた当時の人達はさぞや混乱したことでしょうね。




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