2018年01月30日
魂より魂に伝う花00 Georgi Dimitrov
写真はWEBより拝借致しました
魂より魂に伝う花00 Georgi Dimitrov
折々に 受け取る故人/時に存命人物 からのメッセージ
その発信者/故人/ の経歴を調べるころから 役作り は始まります
ゲオルギ・ディミトロフ Georgi Dimitrov Mikhaylov (1882 – 1949)
ブルガリアの政治家
1933年 ドイツ国会議事堂放火事件に関与した容疑で逮捕されるが
裁判で検察を理路整然と論破し 無罪釈放 反ナチ 正義の徒 として西欧で称賛を受けた
父母共にブルガリア労働者階級出
母はプロテスタント
植字工の訓練を受け 仕事を得る
1902 ブルガリア労働者社会民主党 入党
1903 Dimitar Blagoev (1856 – 1924 ブルガリア政治リーダー バルカン連邦構想支持者 ) に賛同 後1919ロシア共産党へ吸収される
1904 -1923, 労働組合連合会の書記
1915-1917 ブルガリア国会議員中 政府の戦争WW1支援に反対し投獄
1923 ブルガリアクーデターの指導メンバー 失敗 ユーゴスラビアへ逃亡 欠席裁判で死刑判決
-1929 偽名を名乗りロシア潜伏 ブルガリア共産党の中央委員会国外事務局員
1932 戦争とファシズムに反対する世界委員会の事務局長 ドイツへ
1933 ドイツ国会議事堂放火事件に関与した容疑で逮捕 無罪釈放
ディミトロフは云います
自分の語調が厳しいことは知っています
この過酷な日々が私をそうさせるのです .
私は法廷弁護士でもなけらば 法廷での証言の訓練さえ受けていません
なので私の発言はいたって単純明快です
本日私は 一つの事を証言しなけらばなりません
私は政治の名誉 革命の名誉を弁護します
私は共産党員の容疑者を弁護します .
私は共産主義理念を弁護します
私は我が生涯の意義を弁護します. 故に
この法廷で私が発する一語一句は
国会議事堂放火を共産党弾圧にすり替えた
不当なこの告発 に対する
嫌悪と怒りの表明です
この過酷な日々が私をそうさせるのです .
私は法廷弁護士でもなけらば 法廷での証言の訓練さえ受けていません
なので私の発言はいたって単純明快です
本日私は 一つの事を証言しなけらばなりません
私は政治の名誉 革命の名誉を弁護します
私は共産党員の容疑者を弁護します .
私は共産主義理念を弁護します
私は我が生涯の意義を弁護します. 故に
この法廷で私が発する一語一句は
国会議事堂放火を共産党弾圧にすり替えた
不当なこの告発 に対する
嫌悪と怒りの表明です
1934-43 その偉業に コミンテルン書記長へ 反ファシズム統一戦線提案
1944 逃亡から22年語 母国ブルガリアへ帰国 首相となる
ユーゴスラビア大統領ヨシップ・ブロズ・チトーJosip Broz Tito1892 –1980) と
バルカン連邦構想を薦めるが コミンテルンと見解割れで解散となる
ソ連のスターリンとは よい関係を持ち続けた
1949 療養所で死去 毒殺説もあり
合掌
と たのしい演劇の日々
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image