2018年01月27日
黄金の夜明け団と演劇34-00
写真はWEBより拝借致しました
黄金の夜明け団と演劇34-00
Chapter4-2-20
アサー.エドワード.ウェイトArthur Edward Waite (1857 – 1942)
米出生 英作詞家 キリスト教神秘主義研究者
父 米商船の艦長 ロンドンへの航行中死亡 ウェイト僅か1歳 母は妹を妊娠中
母 英西インド仲買の豪商の娘
未亡人となった母は実家を頼り ロンドン帰郷 しかし
ウェイトも妹も 私生児であったため 実家は受け入れず
母子3人ロンドンの外れで慎ましく暮らす とは云え 艦長の妻/豪商の娘
子供を私学で教育するだけの財は有す
階級社会英国に在って 子供を私学に通わせりることが出来るのは資産家 しかし
実家からの拒絶は 未亡人をローマカトリックへ改宗させ
ウェイト兄妹も英国国教会とは無縁で育つ
私生児のウェイトは 恐らく故に 彼は人一倍努力したのではないか
英上流社会/英国教会白人貴族とその子弟 との差別を生き抜く為であろう
学業修了後 秘書をしながら 文筆に励み 出版関係者とも交流を持つ
1847 妹を幼くして失い オカルトへ誘う 現象の物理的理解研究へ
神智学協会ロンドンロッジ入会を試みるが
ブラバツキー婦人はキリスト教一筋のウェイトの入団拒否
大英博物館図書館でキリスト教神秘主義関係の書物を読み漁る
1881 エリファス.レビÉliphas Lévi Zahed (1810 –1875)
仏 現代西欧魔術復興の父 の出版物に出会い 彼は自身の生きる道を見出す
大英博物館図書館では
S.L.M.マザースSamuel Liddell MacGregor Mathers (1854 – 1918) とも出会う
1883 最初の結婚 一人娘を儲ける
1891-93 エドモンド.ウィリアム.ブリッジEdmund William Berridge (1843 – 1923)
英医師 米ホメオパシー医学者 オカルティスト
の紹介あり 妻と共にGD入団 しかし
ウェイトのキリスト教神秘への興味を満たせず 退団
1896 再入団
1899 内陣入り
1901 フリーメイソンリー入団 キリスト教神秘主義ベースのメイソンリーと通じ合い
1902 上級位階の 英薔薇十字会へ 研究を重ね次々と昇進を果たす
積極的にメンバー活動 評論 講演 み身を投じる
フリーメーソンリー団員になったことで 英上流社会財政法曹界の要人と近づきになる
1903 GD瓦解により Independent and Rectified Order R. R. et A. C 組織し
多くのGDメンバーはウェイトに添った
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
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