2017年06月30日
観劇 ブレヒト/Bertolt Brecht「ガリレオの生涯Life of Galileo」Young Vic 02
ブレヒト 写真はWEBより拝借
観劇 ブレヒト/Bertolt Brecht「Life of Galileo」 Young Vic 02
パンフレットに紹介されたブレヒトBertolt Brecht の略歴を3回に分け観てゆきます
1898年
ドイツ アウクスブルク
父親はカトリック 母はプロテスタント 中産階級の家庭に生まれる
母より聖書を学ぶ
1914年 ブレヒト16歳
第一次世界大戦勃発
最初の詩を文化誌に掲載
学友Caspar Neher (1897 – 1962) は後ブレヒトの舞台美術を担当する
1915年
学校誌に
ホラティウス Horace(BC65-8イタリア詩人)の
"Dulce et decorum est pro patria mori祖国の為に死ぬことは素晴らしい" に対し
“脳無しが軍にたぶらかされる”
祖国の為に生きることのすばらしさを詠いあげたエッセイを投稿
退学処分になりかけるも宗教学教師の調停により無きを得る
1917年
父親の勧めもあり ミュンヘン大学医学部入学
演劇史教授Arthur Kutscher(1878 -1960 ドイツ文学史家ミュンヘン大教授演劇史
友人のFrank Wedekind 1864 – 1918 ドイツ表現主義 不条理演劇の先駆け
ブレヒト叙事演劇に影響を与える) に演劇を学ぶ
1918
軍医として従軍 最初の戯曲「バールBaal」執筆
1919
ドイツ独立社会民主党に入党
党機関紙Der Volkswille ("民の意志The People's Will" 1920ドイツ共産党へ) 劇評担当
1923
「都会のジャングルJungle of Cities」ミュンヘンにて初演
ナチズム信奉者による上演妨害
「Baal」ライプニッツにて初演
1924
マックス.レインハルトMax Reinhardt
(1873 – 1943 1920年代演劇の皇帝と呼ばれ ザルツブルク音楽祭を確立する)
のドイツ座Deutches Theatre文芸部員就任 ベルリンへ
次回へと続きます
と たのしい演劇の日々
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