2016年10月02日
観劇 Blarus Free Theatre「Burning Doors」01
写真はプログラムより
観劇 Blarus Free Theatre「Burning Doors」01 SOHO theatre
「Burning Doors」プログラムよりPeter Pavlensky の論説意訳を試みます
Peter Pavlensky(1984-)は 2012年の Pussy Riot のパフォーマンスを
自身も自身の口を赤糸で縫い付け会場である教会へ出向き サポートしたことで知られます
また 2015年ロシア連邦保安庁のドアに着火/Lubydnka's Burning Door パフォーマンスは
youtubeで世界発信されました
この劇作品のタイトル「Burning Doors」は彼のこの芸術表現によります
英雄指向/HEROISM
政治目的のための芸術表現は 私はキリストだ 神の声を聴いた と突然な自己声明する
或いは物静かに英雄役を受け入れる彼らを 虚飾なエゴイズムだとは言えるだろうか
それは 注意深く見てゆく必要がある
名詞 英雄は 色々な意味で使われる
まず 一般には 軍事活動に関連付けられ用いられる
この世は戦争動機の宝庫であり 特権と地位 金がうねり 腫瘍の様にはびこり
しかし決して巣窟を離れはしない そして今 軍隊は大方の国に常備されている
また同様のひな形と褒美により もっと日常的 英雄的行為にも云う
英雄は 国家による統制とはその為の演出として古くから知られている
古代ギリシャに英雄を観る
神ではないが 神の力の宿る特別な人間たち 神と人間の血の流れる子たち 雑種 私生児である
不確かさと全能力への渇望は神々を侵害し ギリシャ悲劇は英雄を描いた フロイトは云う
悲劇の英雄は苦難と共に在る! それは英雄を英雄たらしめる 神々への背反に負うから
コーラスは 共感 抑制 警告 受難を嘆く
ここで明らかなのは 当局への反逆に対し等化の罰を受けるということ
英雄の悲劇は それこそ役割なのだ
彼はいつも 引き裂かれ あることを主張する人になることはない
英雄に複数の意味を観る
奉仕 召使 犠牲 被害者 罪悪感 苦悩 復讐 義務 役割と場
歴史的に これらの言葉は専門職の活動 兵士 俳優 生贄の羊と関連があった
いや 兵士 俳優 羊 キリスト ヘラクレス ニーチェの超人 は芸術家ではない
芸術家は 英雄にはなれない なぜなら 英雄は 飽くことを知らない当局へ投げだされる犠牲者だ
私の仕事は政治的芸術の形とその表現限界を認める過程の中にある
政治的芸術にとって 芸術は楽器ではない
政治的統制を超え 監督し 芸術を成就することを探る
生活を文章表現することは 芸術唯一の目的とも云える
芸術は意味と共にあり それらの意味を形にする
それらには 英雄も犠牲者も存在しない
私は自身を犠牲にしたことは無いし 何も犠牲にはしない
日常生活に捕えられているという意識と 当局の監視下にあるという事実とは
二つの不自由の間に それを隔て区別しまた融合する意識は
私が志向する芸術の意味にとても近い
英雄の方向性は 深い淵にはまり 政治的芸術より乖離する
と 楽しい演劇の日々
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image