2022年06月12日
俳優の錬金術 アカッシック年代記 01
Alchemy of Actor Akashic Chronicles 01
横尾忠則(1936- は云う
アカシックレコードは宇宙の誕生以来の全ての事象、
人間の全想念、全感情が記録されている世界記憶の概念で、宇宙の図書館。
宇宙が誕生して以来のあらゆる存在の情報が記録されている記憶層。
まれにこのアカシックレコードから知恵を得ることはある。
この知恵/知識はそれを得る人の魂に埋め込まれたもので、一般的学識を凌ぐ。
現実生活の中で獲得する知識の比ではない。
確かに直感に似ているかも知れんが、
直感は現世で得た理性/経験から発せられるもので、知識や教養の範疇からあまり出てない。
アカシックレコードは魂の経験と関係があり、
前世でのDNA 体験/経験 からは絶対得ることはできない。
今世の知識や体験をはるかに凌駕した宇宙的な体験。それは輪廻の思想。
一般的に輪廻の思想を活用することはなく、
せいぜい100年たらずの人生の枠から出た世界観からの知恵を得ようとする。
そのアカシックレコードの知恵をどうすれば活用できるのか、
現世体験だけに縛られているわれわれ人間にとって、
例えばエドガー・ケーシーのような人物にならない限り難しい。しかし、
創造の領域ではしばしば、アカシックレコードに無意識でアクセスしている場合があるように思う。
でもただの無意識では駄目で。
なんといっても魂の体験だから、その魂を通してしか輪廻転生の世界とその思想を得ることはできん。
先ず輪廻の思想を理解しないと無理だと思う。
それを芸術的創造時に於いて発揮されるエネルギーと考えてた時
そのためには頭から言葉や観念を放棄して自分を失くして無私の境地になるしかない。
空っぽの状態の時こそアカシックレコードの扉を開くことができる。
芸術家は作品に向かう時、頭は空っぽである。
しかし、コンセプチュアルアート全盛の今日のアーティストは、
頭の中を言葉と観念でギューギュー詰めにしている。
アカシックレコードは空っぽの状態の時にアクセス可能。
ありとあらゆる去来する想念、感情を断ち切って、
真の自由を獲得した場合のみ、魂を通じて、千年の過去と通じる。
過去の歴史を学べと言うが、アカシックレコードは、魂の過去の歴史が対象。
そして初めて、過去の全想念、全感情を輪廻を越えて経験す。
創造行為に於いて自分でありながら自分でない不思議な体験に襲われ、
できた作品に責任が持てない場合がある。
「なんでこんなものが現れたか」という経験。そんな作品には目的も大義名分も無い。
「こんなの出ましたけど」という感覚。2022年6月17日 より
Alice A. Bailey (1880 –1949)
『魂の光──パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』 Light of the Soul on The Yoga Sutras of Patanjali
– Book 3 – Union achieved and its Results (1927): に書いている
アカシック年代記は、巨大なHDのようなもの。
生命が始まって以来 成長とカルマ(業/欲望をベースとした)体験の記録の集合体。
故に年代記には大いなる欺瞞が横たわる。
訓練を積んだ オカルティストのみ
アカッシックレコードにアクセスし得た体験と
空想力と欲望によって現れたアストラル幻視とを区別することができる。
と たのしい演劇の日々
横尾忠則(1936- は云う
アカシックレコードは宇宙の誕生以来の全ての事象、
人間の全想念、全感情が記録されている世界記憶の概念で、宇宙の図書館。
宇宙が誕生して以来のあらゆる存在の情報が記録されている記憶層。
まれにこのアカシックレコードから知恵を得ることはある。
この知恵/知識はそれを得る人の魂に埋め込まれたもので、一般的学識を凌ぐ。
現実生活の中で獲得する知識の比ではない。
確かに直感に似ているかも知れんが、
直感は現世で得た理性/経験から発せられるもので、知識や教養の範疇からあまり出てない。
アカシックレコードは魂の経験と関係があり、
前世でのDNA 体験/経験 からは絶対得ることはできない。
今世の知識や体験をはるかに凌駕した宇宙的な体験。それは輪廻の思想。
一般的に輪廻の思想を活用することはなく、
せいぜい100年たらずの人生の枠から出た世界観からの知恵を得ようとする。
そのアカシックレコードの知恵をどうすれば活用できるのか、
現世体験だけに縛られているわれわれ人間にとって、
例えばエドガー・ケーシーのような人物にならない限り難しい。しかし、
創造の領域ではしばしば、アカシックレコードに無意識でアクセスしている場合があるように思う。
でもただの無意識では駄目で。
なんといっても魂の体験だから、その魂を通してしか輪廻転生の世界とその思想を得ることはできん。
先ず輪廻の思想を理解しないと無理だと思う。
それを芸術的創造時に於いて発揮されるエネルギーと考えてた時
そのためには頭から言葉や観念を放棄して自分を失くして無私の境地になるしかない。
空っぽの状態の時こそアカシックレコードの扉を開くことができる。
芸術家は作品に向かう時、頭は空っぽである。
しかし、コンセプチュアルアート全盛の今日のアーティストは、
頭の中を言葉と観念でギューギュー詰めにしている。
アカシックレコードは空っぽの状態の時にアクセス可能。
ありとあらゆる去来する想念、感情を断ち切って、
真の自由を獲得した場合のみ、魂を通じて、千年の過去と通じる。
過去の歴史を学べと言うが、アカシックレコードは、魂の過去の歴史が対象。
そして初めて、過去の全想念、全感情を輪廻を越えて経験す。
創造行為に於いて自分でありながら自分でない不思議な体験に襲われ、
できた作品に責任が持てない場合がある。
「なんでこんなものが現れたか」という経験。そんな作品には目的も大義名分も無い。
「こんなの出ましたけど」という感覚。2022年6月17日 より
Alice A. Bailey (1880 –1949)
『魂の光──パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』 Light of the Soul on The Yoga Sutras of Patanjali
– Book 3 – Union achieved and its Results (1927): に書いている
アカシック年代記は、巨大なHDのようなもの。
生命が始まって以来 成長とカルマ(業/欲望をベースとした)体験の記録の集合体。
故に年代記には大いなる欺瞞が横たわる。
訓練を積んだ オカルティストのみ
アカッシックレコードにアクセスし得た体験と
空想力と欲望によって現れたアストラル幻視とを区別することができる。
と たのしい演劇の日々
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