2016年01月11日
末期の肺がんの怖さを目の当たりにしました
母が闘った12か月は、ある意味でとても充実していた。
がんと共に頑張った12か月間を母は立派に生き抜いた。
入院当初すでに肺がんステージ4でしたが
肺がんの自覚症状はありませんでした。
痛みも咳も無い、見た目は健康そうな母でした。
しかし、退院するまでの3か月間で
ゆっくりと、着々と癌は進行していた。
なんとなくで出始めた咳・・・
なんとなくで、回数も増え続けた。
抗がん剤治療を受けている間も咳は出ていたが、
回数は日によって波があった。
本格的に咳の症状に変化が現れ始めたのは
抗がん剤治療を停止した後でした。
タイミングの問題なのか、抗がん剤治療を
停止したからなのかは、今となってはわかりません。
徐々に増え続ける咳は、やがて薬を飲まなければ
いられない状況へと追いやられました。
胸の痛みを緩和させる薬と、咳を抑えるための薬。
処方量を増やしつつ、薬の強さを変えつつ、
徐々に進行するがんの症状に合わせた形で
処方する緩和ケア用の薬も変えていく日々。
ある時を境に、息苦しさという症状がでると、
途端に痛みも激しく訴え始めた母。
やがて眠れない日と、ぐっすり眠れる日が
交代制でやってくると、合わせて体力も急激に
衰え始めた。
仕事に行けなくなり、散歩にも行けなくなり、
筋力も衰え始めた母は、車の乗り降りも
一苦労するようになっていた。
咳をすれば痛みが走り、そして息苦しい、
身体にむくみも出始めた母は怖かっただろう。
やせ細った身体を危惧していた母は、太れて良かったと
笑い混じりに話していたが、そのむくみが
自宅療養生活の足を引っ張る要因となってしまった。
自宅内でも動けなくなるほどにむくみが進行し、
体力を奪われ、少しでも動けば息苦しい。
着替えも満足にできず、トイレも難しい、
お風呂は入れず、オムツの着用を余儀なくされた。
酸素吸入装置の吸入量最大5.0リットルでは間に合わない。
苦しくてベッドで眠れない為に、椅子で眠る母。
椅子で眠るというよりは、もう。意識が飛んでいる。
目覚めても時間の間隔も無い。
痛み止めの薬を飲むためだけに細い食事を摂る。
薬を飲む度に苦しそう・・・
水を飲むと溺れそうになると言っていた母を
今でも思い出します・・・。
最期は、病院のベッドの上で・・・。
息苦しさを訴えながら、叫ぶ母を目の前に
何もできず、無力な自分は、母を早く逝かせてあげる
ことさえも出来ずに、涙を流し、母を抑えた・・・。
今でも良かったのか悪かったのかわからない。
母に逢いたい・・・あの夜のことを謝りたい、
どう思っているのかを聞き出したい・・・。
叶いそうで、叶わぬ願い・・・
どれだけ怖かったことか・・・
どれだけ苦しめられたことか・・・
計り知れない。
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がんと共に頑張った12か月間を母は立派に生き抜いた。
入院当初すでに肺がんステージ4でしたが
肺がんの自覚症状はありませんでした。
痛みも咳も無い、見た目は健康そうな母でした。
しかし、退院するまでの3か月間で
ゆっくりと、着々と癌は進行していた。
なんとなくで出始めた咳・・・
なんとなくで、回数も増え続けた。
抗がん剤治療を受けている間も咳は出ていたが、
回数は日によって波があった。
本格的に咳の症状に変化が現れ始めたのは
抗がん剤治療を停止した後でした。
タイミングの問題なのか、抗がん剤治療を
停止したからなのかは、今となってはわかりません。
徐々に増え続ける咳は、やがて薬を飲まなければ
いられない状況へと追いやられました。
胸の痛みを緩和させる薬と、咳を抑えるための薬。
処方量を増やしつつ、薬の強さを変えつつ、
徐々に進行するがんの症状に合わせた形で
処方する緩和ケア用の薬も変えていく日々。
ある時を境に、息苦しさという症状がでると、
途端に痛みも激しく訴え始めた母。
やがて眠れない日と、ぐっすり眠れる日が
交代制でやってくると、合わせて体力も急激に
衰え始めた。
仕事に行けなくなり、散歩にも行けなくなり、
筋力も衰え始めた母は、車の乗り降りも
一苦労するようになっていた。
咳をすれば痛みが走り、そして息苦しい、
身体にむくみも出始めた母は怖かっただろう。
やせ細った身体を危惧していた母は、太れて良かったと
笑い混じりに話していたが、そのむくみが
自宅療養生活の足を引っ張る要因となってしまった。
自宅内でも動けなくなるほどにむくみが進行し、
体力を奪われ、少しでも動けば息苦しい。
着替えも満足にできず、トイレも難しい、
お風呂は入れず、オムツの着用を余儀なくされた。
酸素吸入装置の吸入量最大5.0リットルでは間に合わない。
苦しくてベッドで眠れない為に、椅子で眠る母。
椅子で眠るというよりは、もう。意識が飛んでいる。
目覚めても時間の間隔も無い。
痛み止めの薬を飲むためだけに細い食事を摂る。
薬を飲む度に苦しそう・・・
水を飲むと溺れそうになると言っていた母を
今でも思い出します・・・。
最期は、病院のベッドの上で・・・。
息苦しさを訴えながら、叫ぶ母を目の前に
何もできず、無力な自分は、母を早く逝かせてあげる
ことさえも出来ずに、涙を流し、母を抑えた・・・。
今でも良かったのか悪かったのかわからない。
母に逢いたい・・・あの夜のことを謝りたい、
どう思っているのかを聞き出したい・・・。
叶いそうで、叶わぬ願い・・・
どれだけ怖かったことか・・・
どれだけ苦しめられたことか・・・
計り知れない。
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友達と食事をすることが楽しみだった母。転院となれば、寝たきりの方が多く、ますます孤独感が深くなると思っていますが、転院するしか方法はないのかな・・・
とっても参考になりました。