2013年12月31日
除日
『枕草子』には「すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月」と書かれており、『源氏物語』朝顔の巻では「花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも、残らぬ折りなれ。すさまじきためしに言ひ置きけむ人の、心浅さよ」と紫式部が清少納言をたしなめている話は有名ですが、私にはどちらのも言い分はあるような気がします。確かにあまりに輝く月は、年増の女性のおしろいのように恥ずかしいものですが、だからと言って月の光は、月下にある暗く侘しく寒い年の瀬を支えるように照らしてくれるもので、まさに「色なきもののみにしみて、この世のほかのことまで思い流され」救いにもなるものです。清少納言だって「夏は夜。 月の頃はさらなり。」と月を嫌っているわけではないのです。したがってこの勝負は引き分けとし、皆さまには中をとって、三日月をご紹介しましょう。電線が邪魔ですが、「ひんがしの、野にかげろひの立つ見えて」(人麻呂)ますよね。人麻呂のこの歌が詠まれた西暦692年12月31日の午前5時50分頃のようにはいきませんが、古の、「みたまのふゆ」(天皇霊の授受を行う大嘗会(daijyoueを真似た分霊)の儀式に思いを馳せましょう。
大化の改新で蘇我氏を倒し、後に王位に就いた中大兄皇子(天智天皇)の娘持統天皇は、夫天武亡きあと皇位につき、最大の都藤原京に遷都するも息子草壁の皇子が早死にし、孫の軽皇子(かるのみこ)に皇位を継がせたかった。この儀式もその為のものだったようです。つまり人麻呂の「ひんがしの野に炎(かげろひ)のたつみえてかえりみすれば月傾きぬ」は、この儀式を詠んだものだと。
安騎野(akino)で行われたと想像されている軽皇子(karunomiko)の「みたまのふゆ」は、いわば「冬至」の頃に行われる復活祭の様な王権受霊の儀式で、「朔日(1日の朝)」と「冬至(この日から日が長くなる復活の日)」とが重なるまれな年だったようで、その確率は19年7ケ月に1度くらいだったようです。天皇を神と位置付けようとしたのは持統天皇のころからで、一体である「式年遷宮」の20年毎もここからきていると言われます。
すみません。これは11月の季節が不安定で冬や秋が交互に入れ替わっていたころの寒い朝に、今はもう文化財になっている古民家です。特に講釈はありませんが、茅葺があたたかかったものですから・・・。
そうこうしているうちに、今年も残り僅かになってきました。
歳時記で知ったのですが、一年の最後の日を「除日」(jyojitsu)、その夜は「除夜」と言うそうです。
「旧年をとり除く日」という意味のようです。そういえばお正月は、その年の年神さまをお迎えする儀式であり、(たいていの行事の仕方は江戸時代に確立されたとも聞きましたが)年が改まるとすべて世界がやり直しなんですね。日本人の知恵でしょうか。だから借金も大みそかにつかまらずに逃げ果せれば、チャラになる。すごい社会福祉ですね。「時効」(権利の上に眠るものは、何もせずほおっておいて、一定期間を経過するとその権利は奪われてしまうという考え)の考え方があったんですね。それで借金取りは大みそかは戦争だったわけだ。その為食事なんかゆっくりとっている暇はない、よって「そば」のような速く食べられるファーストフードが食されたと。(=年越し蕎麦)どこまでが本当でしょうか。でもホント、究極のエコ社会江戸らしいですね。
無駄話をしました、そろそろ年もくれます。皆さま新たな出発によい発見を!
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