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2013年10月20日

やっぱ次は永住権?

大型台風が数回きてるとのことでちょっとハラハラしているわたしです。お気をつけください。

仕事も決まり、ワークビザへの更新を年明けてしばらくしてするつもりですが狙うは永住権?

学校に入るまではそう難しくなかったけど、学校の勉強も英語だったから大変やった。ちょっとポイントがずれてて書き直しを数回したものとかもあったり、もちろん新しいことも学んだり(マオリのこととかね)するからそれなりに文献読まないと書けないし、またその文献探しもてこずったり。締切もどんどんやってくる。

そんで無事卒業したはいいけど、就職先が見つからない。今は決まったから聞こえはいいけど、見つけるまで精神を保つのは結構大変やった。ブログをずっと読んでくださってる方はご存じ?やと思うけど。一回日本に帰ろ!なんてしちゃったし。

なので、全然ここまでも平たんじゃなかった。生活上の細かいメンドくさいこともいろいろあった。

ここに来て2年経ったよ〜。あー早いね。振り返ってみればね。もう2年か。

次は永住権? 

学校のクラスメートも100%が留学生。みんな移住狙いだ。もちろんその先は永住権も視野に入れてきている。だけど、介護から永住権なんて取れるの?

可能性はあるとしか言えない。

学校紹介のウェブとか見ると『介護系専門学校に通って永住権をねらう』とか書いてあるけど、まあねらえるけど、実際はそんなカンタンちゃうよって言いたい。ウチの学校の卒業生で永住権取った、あるいは申請中って人は何人かいてる。

最終、わたしもそれはねらいたいけどね。そのために来たし。

このブログの読者さんは日本在住の方が6割なので、もしかしたらNZに移住を目指されている方もいらっしゃるというスタンスでも書いています。なので率直に私見で情報として載せますが、移民局HPなどから正確な情報は確認してくださいませ。

数回このブログでも書いてるけど、ジョブタイトルが大切。

いくら就職が決まり、半永久的ポジションに就けてもPR(Permanent Resident;いわゆる永住権)即つながるということは難しい。まずジョブタイトルが大切。

それは今回のわたしのタイトルcare giverではムリ。移民局が出しているskilled employment(以後、SE) に載っているタイトル、そしてその仕事内容が名実ともにきちんとされていないと取得までいきません。じゃ、例の学校卒業して、PRを確実に目指せるジョブタイトルは?  
residential care officer, community workerなど。

移民局もバカじゃないね(エラソーにゆってごめんなさい)。ひとつSEに載っているジョブタイトルが減ってPR目指す道はまた狭くなった。

そのタイトル取るにはどうしたらいい?

勤務先のマネージャーと交渉。ムリって言われたらジョブタイトル取れる職種に転職(これもまた就活があるわけで)。

さっきも書いたけど、うちの学校の学生は大半はPR狙い。1年間に約120人ほどが卒業して現場にでる。少ないジョブタイトル枠を彼らと張り合って取っていかないといけないということ。そんで大半が英語に堪能なフィリピンやフィジーの人たち。当然現場で彼らもそういう交渉はしてるわけで。
ワークビザの更新を数年しているって人が多い。そんでもNZに住めるには変わりないからそれでもいいやって人もいるにはいる。

わたしはもち取得する方向でいきますよーん。そのために来たし。

まあ、ゆっくりいきましょう。ここまで2年かかったし落ち込み。今やったらレベル6以上の学業修了しないとワークパミット(就活用・どこでも働けるビザ)は取得できないので、最短でも1年半以上はうちの学校に通わないといけない。

狭き門ではあるけど、狭き門に入る人は入るので「入る人」になっちゃいましょう。

ではまた!

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2013年08月19日

移住決めていざっていつ行くの?

いろんなできごとってタイミングってあると思う。特に結婚とかね。何かが背中を押すときってあるんだと思う。

わたしの場合は、移住っていうか海外に住むことは90年代からずっと考えてた。独身でいてたころから。なので結婚するときもオットーにはその夢をゆってた。いつかは行きたいって。

専門職でキャリア重ねてポイントあげてから来るって決めた。それが、2000年以降の話。前にもふれたけど、この国は日本で仕事をやってた職種が技能者不足リストに入ってるって知ってそこからNZへの渡航の情報を集め始めた。

で、いつ行くことにしたん?やっぱさー、いざって、いざってなるとコワイのよ。現地行ってどうしよーとかいろいろ不安がぐるぐるするわけ。でもそんな気持ちもオットーとの温度差もふるい落とした。あるタイミングで。退職届が受理されて残る家族はオットーと息子だけなので3LDKから2DKのアパートにも引っ越し。それからいよいよって気持ちが高ぶってきてた。後戻りできんわって。

オットーに話を具体的に切り出したのが2010年ごろ。自分の年齢と職場の今後の見通しやそれからもちろん子どもたちの成長のこと。そしてわたしたちを取り巻く親戚のこと。年齢を重ねてからでは遅いように思った。子どもたちの成長の場は日本じゃないほうがいいように思われたし、年いってからじゃ自分たちの健康もどうかわからない。

状況としては、多少国外に住んだ直後混乱したとしても、ちょっとそれは...というほどのものでもないように思われた。

当時同じ職場の部下が一人目を産んで育休明けてもどってきてしばらく。でも当然二人目ってことも流れ上であるだろう。それから家族の親。まだまだ元気。介護のことなんかでてきてたら当然行けない。それから職場の自分の立ち位置。自分の役割が今後どうなっていくのか信頼をおいていた上司とも話し合ったり、職場の将来の組織化なんかも念頭にいれてたら、まだ数年は異動とかは大丈夫。

それと情報を集めている最中にやはりええーっ!!ってなるのが急な移民法の改正。

2011年7月、これまでLevel5で1年行けばワークパミットが取れたのが2年になるという。わたしは2011年中か2012年の早い段階で入学を決めていたから。よくよく聞くと、当時入学を決めていた多くの学生や学校側の反対もあり、すぐの移行でなく2012年4月の入学から対象という経過措置となったのね。

こりゃ、急がないとって思いましたわ。それまでは日本でIELTS上げてとか思ってたけど、入学時期を聞いて逆算して結局その年の10月渡航と決まった。なのでぎりぎり私の場合は2012年の3月入学なので1年の修学ですんだ。だって学費のこと考えたら2年なんていやー。ただでさえ、学校なんて費用は子どもたちに使いたいのにね。これもタイミング。移民法の改正で背中をどーんと押された。今やって。でないとたぶんずるずるしてたかもしれない。

飛び出すのってやっぱ大変よ。いろんなもの置いてかなきゃいけないしね。いずれにしてもケースごとに単純にはいかないと思う。一人ひとりの人生には家族やあるいは職場やいろんな社会が取り巻いているからね。

ずるずるする気持ちに何かがきっかけをくれたんだろうね。今となっては。

NZに来て2か月弱、案の定部下だったコの二人目の懐妊ニュース。

あの時期逃してたら来られんかったって思った。

人生そんなもんね。

皆さんの参考になれば幸いです。これからも何が起こるかわかりません。そんなワクワク感を楽しむのも人生おもしろいなって思って。


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2013年08月09日

揺れ動く気持ち

今日は日本人の人と話をする機会があった。こっちで仕事されてて6〜7年の在住歴の方。

わたしがその方の話を聞いて印象に残ったのが『NZに来て数年は泣いてた。日本で仕事してるのを辞めたのをずっと後悔してた。辞めなきゃよかった』って話されてたこと。

そういうふうに思うことって私だけじゃないんやなあって思って。わたしもときどき後ろを振り返るときがある。「もしあのまま仕事続けてたら」とか「こっちにおってお金ばっかりかかって身になってるんかなあ」とか不安なだけいろいろ思う。そんで、もしNZに居続けることができなくなったら...ってのも考える。

家族も離れ離れやから今のままでいいわけないしね。オットーやとむお(長男)が応援してくれてるとはいえ、家族がバラバラってのはいいとはいえないわね。

結論からいうと、あんまり考えててもしゃーないじゃんってこと。楽観的にいこうって常に思ってる。何か問題が起こったらそんとき考えりゃーいいわって。さきさき読みすぎて立ち往生してたら前に進めない。

自分が踏み出さないといけないときに肝心なときに後ろ向きの理由をつけて二の足がなかなか踏めない。とても自分は怖がりなんだとこの年になって気づいた。NZにまで来てね。

さっきの方の話もそうだけど、自分だけじゃないなあって思ったら安心して少し気持ちが上向いた。今できること、しなきゃいけないことに集中しよ。結果はあとからついてくる。 

いやね、やっぱしね、ビザの心配しなきゃいけなかったり子どもたちのことを考えたり、永住権も何もない根なし草のような状態のわが家族を思たらいろいろ不安材料って抱えこんじゃうんですよ。泣きそーなことも。

弱音はけないし...。

ときどきそんなふうにはーあって溜息つくんですわ、わたし。たくましくありません。

明日はこっちのソーシャルワーカーさんとお話できるのでそれはそれで楽しみですが。

ではみなさまよい週末を。Have a nice weekend, everyone.

See you then.


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2013年04月06日

ニュージーランドと私(ワタクシ)6

3回目の渡航は2010年末から2011年のお正月にかけてだった。だんなは「NZっていったって、俺は行ってへんからな怒り」とコドモのようなすね方をしてたから、ほんじゃ行こーよ、みんなでって。

初めて家族5人での海外旅行。あっちは夏やし太陽〜って、なんかキャピキャピしてたわたしやった。このとき双子はまだ2歳前。もちろんオムツもしてたし、手荷物は彼女らのものでいっぱい。ほんでキャセイで行ったから香港経由で

大変といえば大変やったけど、息子がよく妹みてくれてて。

出発の関空で、さああと少しで搭乗やってときに長女がうんちしてることがわかって、トイレ行ったらかなり量が多くて、えええっー、ここでそれは勘弁してや汗って状態でございました。着替えしたり、汚れた服洗ったりで搭乗前にバタついたんやけど、その服も香港に着くころには乾いてた(苦笑)。

このとき、2011年の夏くらいには行こうって思ってたから目的は移住下見。すでに永住をしておられて、わたしみたいなブログを開いてはった方とコンタクトを取って、その方から別の日本人の移住者を紹介してもらって現地で会うことになっていた。他は...小学校なんかも見に行ったりしてた。スクールホリデー中やったから外からだけやったけどね。初めて渡航した際、クライストチャーチでも小学校の見学はしてたんですよね。飛び込みで「できますか?」って聞きに行って息子と見せてもらったんですけどもね。

職場でいっしょやったコが退職してNZにワーホリで2010年の10月に行ってたからそのコが泊まってたアコモに来てくれてごはんいっしょに食べたりしてん。毎日楽しいって話してた。その彼女と入れ違いにわたしはNZに渡ったってことになるねんけどね。

ほんで別の日は、紹介いただいた永住された方のおうちに行ってお話し聞かせてもらってね。その間に「おおみそかのパーティー乾杯するからどう?」って連絡が他から入って飛び入りで参加させていただいた。そちらのお宅のお庭でBBQ(バーベキュー)いただいて、ちょろっと行っただけやったのにその日だけでたくさんの日本の方と知り合いになれてうれしかったわー。

息子は息子でそこのお宅で集まってたほかの子どもたちとハリーポッター見てた。(英語でございます。)なんじゃかんじゃ言ってもすぐになじんでた彼。

「いつごろこちらに来られる予定ですか?」ってだんなが質問されて「えっ、ボクは...あの...嫁さんがすごく希望してて」としどろもどろに答えてたけど、たくさんの日本人がNZに来られてるっていう現状なんかも知れて満足してたみたい。なんかあれば聞くことができる環境ではあるっていうことなんかね。重要やもんね。

5日間くらいでオークランドだけの滞在でしたが満足して帰路についたのでした。

ほんならこの渡航、またオマケがついてて関空に着いたらわたしのスーツケースだけでてこない。待てどくらせど。

結果、まだオークランドにあるというではないか。

取りに行ってきま〜す。っていうくらい戻りたかったわ。


ひとまず、前編はここで終了です。


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2013年04月04日

ニュージーランドと私(ワタクシ)5

NZに行ってみよって思ったのは、日本のあのうだるような暑さから逃れるのもひとつの理由だったのと、季節が逆で暑さの反面スキーができる国があることを息子に知ってもらいたかったから。地球っておもしろいよねって。

移住前の下見ってんじゃなくてね。どんな国なんやろーって。遊ぶことしか考えてなかった。当初。
そんで夏休みを利用してでかけたわん。職場の女の子(看護師さん)と息子と私の3人で。このときね、お腹に例の双子の懐妊が判明してしばらくで妊娠2ヶ月やったかな。夫はぶったまげてたけど、もう止めたってムダってわかってはったのか何も言わんかった。だから初NZは夫以外は全員行ってた(爆笑)。

ちなみに息子がお腹にいた妊娠5ヶ月でわたしはバリ島にも行ってましたけどねバニー

だからといって無茶してたわけちゃいます。スキーは息子とその女の子ですべっててわたしは荷物番。スキー場まで行ってて何やってんだか。バリ島では友人はラフティングとかしてたけど、わたしはウブドゥの原生林でくつろいでた。

NZについてほとんど知らず、ただウェリントンが首都ってことだけで、NZってやっぱクライストチャーチでしょ、っていうよくわからない固定観念があってそこに行ったよ。そう、地震が起きる3年前ね。

着いたら、「なんにもなーい」(失礼ながら)って思った。そんでもなんにもなかったけどおもしろかったわ。ほんでまた行きたくなって。

でもオージーほどkiwiってフレンドリーじゃないのねっていうのがわたしの印象。なんかベタじゃないっていうか、オージーが大阪人とすればkiwiは名古屋? 京都? みたいな感じ。わかります?

まァ人によって印象はさまざまやろうけどねー。

ほんで、翌年。2009年8月。この年に生まれた双子たち。育児休暇を取ってたから今度は長ーい旅に出るぞって思ってまた息子連れてやってきた。当時の乳児赤ちゃんたちは? ちりじりばらばらで双方の親に預けてた(そこまでして行ったんかーい怒。しいましぇん)。

じじばばは何にも言わなかったの?  「はい汗」 またかーっみたいな反応で..。
なんで夫といっしょじゃないの?  「彼はお盆しか休み取れないからそれにあわすのがイヤなんです。その期間どこも混んでて高いから」

ずっとそんな感じなので、職場内でわたしはしょっちゅう夫、子どもをほったらかしてる悪い妻イメージがついてまわっていたけど、そんなこと全然気にしてませんけどね、まったく。

こんときはね、北島をまわろうって思って予定立ててぐるぐるしたよ。温泉も入ったし、こんときもスキーしに行って。NZ版富士山みてカンドーして。

いい国だな〜って思いました。

息子、旅の最初「つまら〜ん怒り」ってぶすってしてたけど、最終版になったら「結構おもろいな〜」って調子のいいことゆってた。
泊まってたユースで一人旅してた女の子(薬剤師さん、なぜか医療機関の人と知り合うことが多いねん)と友達になって息子とも遊んでくれた。その彼女、帰国してから大阪に遊びに来たとき家にも寄ってくれてねー。楽しかったなー。

ほんで、次回いよいよ移住下見の3回目の渡航となるわけです。こんときは夫も行ったよ。

では次回をお楽しみに!


また見てね! 
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2013年04月03日

ニュージーランドと私(ワタクシ)4

2000年以降、結婚、出産、仕事、資格と突き進んできて、そんでもいつかは海外移住したいなってその夢を見続けてた。

2005年か6年だったと思う。大阪のキタでとある移住に関するサポートしている会社の「永住セミナー」が催されることを知って出かけていった。

カナダ、AUS,NZ、そして少しアメリカのことを話してたかな。

わたしにとってはその前回自己申請してご破産になったAUSへの永住について煮詰めて聞きたかったから他の国はオマケでしかなかった。

アメリカの永住権、グリーンカードが抽選って枠があるのは笑えるよね。くじで決めていいんかーいって。

ほんでも最後まで聞かないと質問できないし、ということで最後まで聞いてた。カナダ、NZなんてやっぱし興味ないねんなあ(ただの食わずぎらい)、とかそれまで思ってた。そんでもそのときにNZが必要としている職種にSWがあることを知ったワケ。

へえー、そんな国があるのか。ここで一気にAUSからNZに興味関心が移る。

AUSってNZの隣やし、すぐに行きたきゃ日本より近い、なんてね。

そんで今度はNZについて情報を集めることになったのよーん。

ほんでも本格的な渡航は2011年やからそれから5年経ってやっと動き出したんやから、遅いといえば遅かったんかもわからんね。ほんで2009年にはまた出産したからね。ほんでまた育児休暇取ってたし、もどったらまた仕事しないとあかんかったしね。もどってきて「辞めます」ではねえ。

結婚みたいに、そのときどきのタイミングってあるよなってつくづく思う。親が...仕事が...子どもが...っていろんな要素、みんな抱えてるやん?
こっちにいてはる人ら、いろんなものある程度ふっきって来られてるんではないかって思う。

2011年に初めてNZに来たの? 

これもちゃいますねん。前も少し書いたっけ。お初NZは2008年8月。

旅行ではるばるやってきたよ。ついこないだみたいな感覚ですけどね。


では続きはまた今度。
このシリーズおもしろいですか?

続けていいのかしらんとか思いながらまた続くのであった。


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2013年04月01日

ニュージーランドと私(ワタクシ)3

日本では新年度の始まりですね。それも月曜日、新鮮ですね。


さて、前回の「NZとワタクシ」で出産をNZですることをあきらめたってとこまでお話ししました。それからまたNZという国を考えるまでまたそれから何年か過ぎるのでありました。

その前に、息子が生まれる前後にもどって。

臨月のとき国家試験も受けに行って、その後約3週間で息子はこの世に誕生してきてくれた。

1年取れる育児休暇を7ヶ月にして職場復帰。復帰と同時にSWになった。
そんで育児休暇中にまた別の国家試験を受けるために受験資格が必要で、通信系の専門学校に入りスクーリングなんぞに行ってたわたしでありました。

名実ともにその職をめざすなら資格がないと示しようもないって考えてたから。それは以前のブログにも書いたけど。

それから息子の育児と仕事と、息子が2歳のときにまた別の国家試験を受験。仕事も楽しい反面、しんどいことも多々あって、それでもやっぱり仕事好きやなあって思う。

SWの仕事って人の話を聞いて、その人が困ってることを整理したりすることから始まるのだけど、人への理解っていうのは数字にあらわされるものじゃないから、評価が難しいところがこの仕事への無理解につながっているともいえるのかな。だから少しずつ理解してもらえるようなくふうだったり、自分たちが日ごろどんな仕事をしているのかって職場内でわかってもらえるようなこともやったり、悩みながらもずっと仕事を続けてきた。

そんな中でも海外移住への希望はずっと絶やさず持ち続けてたんよね。いつかはって。

2番目の国家試験のあと、そっから時間のあるときにAUSへの永住権について再度調べなおすことをちょこちょこやってた。

それが2004〜6年くらいのことかなあ。

SWっていう専門職での永住権をめざすっていうことを念頭に、AUSのSW機関に連絡を取って、自分のキャリアの証明をもらってとある州にネットで永住権申請したりしたんだけど、IELTS(簡単にいうと、英語の能力試験イギリス版)の結果をつけてなかったので却下。かなり点数高かったんですけどね、こんとき。若かったし(笑)。

いちおー、適当に夫にはそれとなくこんなんやってるで、とか言いながらね。ほんでも実現なんてせーへんやろーで流されてたんやろーねー。

ところが転機が訪れたわけです...。


これっていつまで続くん? (夫)

知らん。だからブログ始めてん。


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2013年03月31日

ニュージーランドと私(ワタクシ)2

オーストラリア、シドニーに住んでたころ、ここにずっと住み続けたいと思っていた。古いけど、当時はSYDNEY 2000ってオリンピックをこの場で見るねん!って思ってた。それでもその気持ち以上に住んでること自体がしんどくなって一度帰国した。それでもやっぱり海外に住む希望をずっと持ち続けてた。

どうしたら永住権ってのが手に入るのかそればっかり考えててね。専門職でのキャリアを持つことと英語力。単純やけどそれが一番かなとか思ってて。

大学に入りなおしてそれからSWになるため医療機関に就職して、ひょんと結婚することになってね。

ほんでね、その後子どもが授かったの(例の長男、息子です)。やっぱり子ども欲しかったからうれしくてね。そんときもフツウに産んで育ててって思うのだけどね。

ここでひらめいたわけ。

もしかしてこのコ、海外で産んだら国籍が取れるのじゃないかって。

永住権とかじゃなく国籍。これは大きいよ。

自分が移住することはともかく子どもが将来留学したいって言うたら国籍持ってたらその国の人同然の扱いになるんやもん。それは学費なんかもね。留学生ちゃうんやもん。いくら日本で育ってったっていったって。

ほんでも、フルタイムで妊婦でも容赦なく働かされてたその職場で家に帰ってそんな資料を集めてる暇がなくって、結局産休に近くなってから動き始めてね。

2001年当時、すでにオーストラリアでは「血統主義」(親の血統をそのまま受け継ぐからAUSで生まれたとしても、その親の国籍を受け継ぐっていう意味)を取ってたので無理。どこがいいのかなあ、それでも夫はそんなこと許すのかなあなんて思っててね。

情報、集めました。その国で産んでも国籍ついてくるところ。NZ(当時ね。今は血統主義取ってるので無理よ)とあと他数カ国。

で、結果的にNZはあきらめました。コンタクト取れる人がいなかったこと、それからいくらくらいかかるかわからなかったことなどなど。

そのときに、資料を読んでたら子どもにもやさしくいい国なんだって、お母さんにとっても子育てのしやすい国って評価を耳にした。知らんかったわ。

北欧なみの福祉国家ってことも。福祉勉強してたのに、なあにやってんだか。

そんでまたNZは先に延ばされるのでありましたー。


続きはまた次回。


あーまだ明日休みだよー。もういらない。
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2013年03月30日

ニュージーランドと私(ワタクシ)1

イースターホリデーの真っ最中ってことで、長い休みをもてあましてる我が家族。ってか、今日何する〜状態。
イースターって何するの結局?? 卵探すの? よくわかってないわたし。

もとい。

原点にもどろうと、題して「ニュージーランドと私」

ニュージーランドって国を知ったのは大学受験だった。受けた大学の小論文の試験にオールブラックスについてのことが載ってて、それについての意見を述べたことだったかな。

そんなすごいチームがあるの? NZっていうよりラグビーの哲学というかなんかそんな内容だったと思う。もう20年も前の話だから細かいことは覚えてない。でもそれ以来わたしにとってのNZを考えるのはそれからずいぶん後のことになる。

どちらかといえばオーストラリア(以後AUS)びいきだった。ワインも(笑い)。初めて行って楽しくてそれから翌年も行って、それから住みたくなって渡航した。でも海外の生活って甘くなかった。楽しい反面しんどいことも多々あった。みかけによらず繊細なんざんす。

そんでAUSから帰国してすぐに勤めた会社に、NZでワーホリしてたって人がいてて「AUSのほうが楽しいっすよ」なんてゆうーてたけどね。何でオーストラリア行かへんの? 国はでっかいし、おもしろい動物いっぱいおるし、自然もいっぱいやねんで〜なんて思ってましたけど。

なんでNZなんやろ?

もうちっと考えてみよ。

続きはあした。

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2013年01月15日

移住しようと思った理由

やり直しの課題をあくせくやってたら、電話が...。

「おかあ〜、あんなあ〜、あのなあ〜、“せっかち”ってどういう意味ぃ?」と息子から国際電話。

ときどき、意図がよくわからない電話があるがうれしい。こっちと日本とでは現在4時間の時差があるのでこっちはたまに寝てたりする。

そんで、

「あ、おかあ〜、あのなあ、今なあ、耳くそ取れた。大きいのんバニー」とか、彼の今のことをゆってくれるので寝ぼけているときは「...? へっ?」と思う。そんでもかわいい息子。いつまでこのボーイソプラノでしゃべってくれるのだろう。

“せっかち”の意味を知った彼は「ほんじゃーねえ〜」とそそくさと電話を切りよった。せっかちってそーゆーことやんかっ怒

えーっと、やっと今年が動き出したNZではいろいろ書きたいこともあるんやけど、こっちに来ても日本を出るときも聞かれたことに少し触れたいなと思う。

移住そのものを本格的に考え出したのは、たぶん95年から2年と少し住んだオーストラリアに行ってからだと思う。でもずっとそれ以前に「外国」への憧れはあった。

いとこの兄が(兄といっても一回りくらい違うし、今はもうお腹の出たおっちゃんである)、イギリスに留学をしてておばちゃん(いとこ兄の母)がエアメールをうれしそうに見せてくれて、同封されてたホームステイ家族の金髪の子どもの写真が印象に残ってた。

80年代の始めころなのでハイカラなことやったんちゃうかなあ。今からしてみれば。わたしはまだ小学生で「外国か〜どんなとこやろ〜」って好奇心が湧いた。卒業文集の夢のところに「イギリスに行きたい。自分の英語が通じるか試したい」って書いた記憶がある笑い

の...割にはあんまし今でも英語は大したことないんやけど。なので、日本がイヤとかじゃなくって、憧れと違うことばでわかり合うのっておもしろいなーっていう気持ちが根底にあったんやろうなあって思う。それは今もそうだ。

そんでもユニオンジャックにこだわってたわけじゃないんやけどねウインク。大学んとき旅行で行ったオーストラリアがいたく気に入って、就職して2年ほどで辞めてそんでオーストラリアに行った。

まあオーストラリアでもいろいろあったけど、永住するなら専門職についてキャリア積んでからやって思って一旦帰国した。そんときのことはまたにしよ...。そう回顧してたら、いつの間にか年月過ぎたって感じ。自分は永遠に年とらへん感覚でいてたりして汗。コワイー。

ちなみにそのいとこ兄がどんくらいしゃべれるんかは謎。いっかい、「しゃべってえーや」と言うたことがあったけど、うまくかわされた。いとこ兄のコたち、連れてきてあげたいけどねー。きっかけを作ってくれたのは間違いなくいとこ兄やから感謝せなあかんね。



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posted by tomtom at 23:28| Comment(0) | 移住
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アラフォーもどきわたくし。 NZに移って3年目。なんとかフルタイムの仕事をゲットして毎日過ごしています。
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