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第326回 駿台倶楽部 [2016/08/18 11:49]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月中旬ころ、有楽町の労働運動社の仮事務所に、林倭衛と広津和郎が突然、訪ねて来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
ふたりはその日の夜、雨が降る中、銀座を散歩していたが突然、義太夫を聞きたくなった。
食わず嫌いだった林に、義太夫の魅力を伝授したのは広津だった。
林は西洋音楽に対してかなりの熱情をもっていた。
そんなに豊であるはずがない西洋画家生活の間に、ビクタア..
第290回 出獄の日のO氏(二) [2016/07/11 22:51]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年、第六回二科展は上野公園の竹の台陳列館(現在の上野公園噴水付近)で開催された。九月二日から一般公開だったが、林倭衛が出品した「出獄の日のO氏」が問題となった。
八月三十日に警視庁の事前検閲があり、検事告訴され保釈中の刑事被告人の肖像が公衆の前に展示されるのを不快に感じた警視庁が、撤回命令を出した。
二科会が抗議すると、八月三十一日、岡警視総監が来場し、撤回は命令ではないとしたが、二科会幹部..
第289回 出獄の日のO氏(一) [2016/07/11 22:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年八月八日、大杉は東京監獄から野枝に第二信を書いた。
シイツがはいつてから何にもかもよくなつた。
あれを広くひろげて寝てゐると、今まで姿の見えなかつた敵が、残らず皆んな眼にはいる。
大きなのそ/\匐つてゐる奴は訳もなくつかまる。
小さなぴよん/\跳ねてゐる奴も、獲物で腹をふくらして大きくなつてゐるやうなのは、直ぐにつかまる。
斯んな風で毎晩々々幾つぴち/\とやつつける..
第265回 大杉栄と代準介 [2016/06/29 16:47]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正八)年六月、野枝は安谷寛一に葉書を書いた。
宛先は「神戸市外東須磨」(推定)。
発信地は「南葛飾郡亀戸町二四〇〇番地」(推定)。
其後いかゞ。
お子達はお丈夫ですか。
私の処の赤ん坊もやう/\のことでなをりました。
手なしでいろんな仕事がちつとも進行しないので、当分の間仕事を持つて九州に行くことにしました。
此の家は今月一杯です。
秀世さん..
第246回 第二革命 [2016/06/09 16:27]
文●ツルシカズヒコ
一九一七(大正六)年十月三日、保釈中だった神近は東京監獄八王子分監に下獄した。
二畳ほどの独房に入れられた神近は、午前八時から午後五時まで、屑糸をつなぐ作業に従事させられた。
昼食後の三十分の休憩、夕食後から夜八時の就寝までは仕事がないので、本を読むことができた。
神近が保釈後に執筆を開始した『引かれものの唄』の原稿は、下獄間近に仕上がり、十月三十日に法木書店から出版された。
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