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第202回 いやな写真 [2016/05/21 17:10]
文●ツルシカズヒコ
堀切利高編著『野枝さんをさがして』によれば、野枝は五月二十九日(推定)付けの手紙を安成二郎に宛てて書いている。
多恵春光著『新しき婦人の手紙』(日本評論社出版部・一九一九年九月)の第九章「文例 知名婦人の手紙」に「執筆の約束と周旋を頼む」という仮題で収録されているもので、この書簡は『定本 伊藤野枝全集』(全四巻)には収録されていない。
○○(※1)ありがたくたしかに落手いたしました。
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第182回 福岡の女 [2016/05/16 16:33]
文●ツルシカズヒコ
『中央公論』一九一六年三月号(第三十一年三号)に、野枝は「妾の会つた男の人々(野依秀一、中村狐月印象録)」を書いた。
野依は当時「秀一」であり、後に「秀市」と改名した。
野枝の上野女学校時代の恩師、西原和治が創刊した『地上』第一巻第二号(一九一六年三月二十日)に、野枝は「西原先生と私の学校生活」を寄稿したが、野枝がこの原稿を脱稿したのは二月二十三日だった。
フリーラブ問題が起きたころに執筆し..
第158回『エロス+虐殺』 [2016/05/10 15:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝にとってショッキングな事件が起きたのは、一九一五(大正四)年五月ごろだった。
辻はこう書いている。
……僕らの結婚生活ははなはだ弛緩してゐた。
加ふるに僕はわがままで無能でとても一家の主人たるだけの資格のない人間になつてしまつた。
酒の味を次第に覚えた。
野枝さんの従妹に惚れたりした。
従妹は野枝さんが僕に対して冷淡だと云ふ理由から僕に同情して僕の身のまはりの世..
第34回 出奔(六) [2016/03/21 19:12]
文●ツルシカズヒコ
野枝は上野高女のクラス担任だった西原和治が送ってくれた、電報為替で旅費を工面し上京した。
上京したのは「十五日夜」に辻が書いた手紙が福岡についた後であるから、一九一二(明治四十五)年四月二十日ころだろうか。
とにかく、野枝としてはぐずぐずしていると拘束されてしまうので、できるだけ迅速に東京に旅立ちたかっただろう。
上京した野枝は北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地の辻潤宅に入った。
辻はその家で..
第22回 仮祝言 [2016/03/18 20:09]
文●ツルシカズヒコ
西原和治著『新時代の女性』に収録されている「閉ぢたる心」(堀切利高編著『野枝さんをさがして』p62~66)によれば、野枝が煩悶し始めたのは、上野高女五年の一学期の試験が終わり、夏休みも近づいた一九一一(明治四十四)年七月だった。
西原は国語科の担当で野枝が上野高女五年のクラス担任である。
「どうしましょう、先生、夏休みが来ます、帰らなければなりません」
西原にこう切り出した野枝は、両腕を机の..
第21回 縁談 [2016/03/18 16:21]
文●ツルシカズヒコ
級長になり、新聞部の部長を務め、谷先生の自死を知り、新任英語教師の辻の教養に瞠目した野枝の上野高女五年の一学期はあわただしく過ぎていったことだろう。
井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』によれば、野枝と同級の花沢かつゑは、野枝についてこんな回想もしている。
花沢によれば、野枝は「ずいぶん高ビシャな人」だった。
花沢が日番で教員室に日直簿を置きに行ったときだった。
教員室にいた野枝は..
第16回 上野高女 [2016/03/17 14:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝が私立・上野高等女学校に在籍していたのは、一九一〇(明治四十三)年四月から一九一二(明治四十五)年三月である。
当時の上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのだろうか。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。
一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、「温旧会」という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された寄稿を..
第14回 編入試験 [2016/03/15 13:00]
文●ツルシカズヒコ
一九一〇(明治四十三)年一月、前年暮れに上京した野枝の猛勉強が始まった。
代準介は野枝を上野高女の三年に編入させるつもりだったが、野枝は経済的負担をかけたくないことを理由に、飛び級して四年に編入するといってきかなかった。
代家は経済的に逼迫などはなく、どちらかといえば裕福で、そんな気遣いはいらぬ所帯である。
ノエは学資の負担を建前とし、従姉千代子と同じ四年生に拘り、その意思を曲げなかった。..
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