2016年05月21日
第202回 いやな写真
文●ツルシカズヒコ
堀切利高編著『野枝さんをさがして』によれば、野枝は五月二十九日(推定)付けの手紙を安成二郎に宛てて書いている。
多恵春光著『新しき婦人の手紙』(日本評論社出版部・一九一九年九月)の第九章「文例 知名婦人の手紙」に「執筆の約束と周旋を頼む」という仮題で収録されているもので、この書簡は『定本 伊藤野枝全集』(全四巻)には収録されていない。
○○(※1)ありがたくたしかに落手いたしました。
雑誌(※2)も昨日頂きました。
大分頁をとりましたやうで御座いますね。
禁止になりさうで御座いますかしら、どうかそのやうなことのないやうにしたいもので御座いますね、それから、原稿(※3)はもう大抵腹案が出来て居ります。
昨日○○(野依※4)氏の拝見してゐる内に。
題丈け申あげて置きます。
「果して人類の不幸か」と云ふつもりです。
大方の非難が私が子供(※5)を捨てたと云ふことにあるらしいので少しそれについて書いて見やうと思つて居ります。
もう一週間したら此処を引き上げて九州(※6)の方へ行かうかと思つて居ります。
それから子供(※7)の世話を頼むやうな処に伝手をお持ちになるやうな話を○○(大杉※8)さんから聞きましたがもし心当たりが御座いますなら聞いて頂けますまいか、こちらでもなかなか一寸ありませんので弱つて居ります。
○○(大杉※9)さんが来てゐた間なまけましたので二十日迄の約束の大阪(※10)の方がまだ出来ないでゐます。
今一生懸命になつてゐる処です、もう二三日のうちにお仕舞にしたいと思つてゐます。
それが片附きしだいに直ぐにあたなの方の原稿にかゝります。
○○(野依※11)氏はもうおはいりになりましたか、少々長いやうですから随分お辛いでせう○○(社長)がお留守になつてあなたの方もお骨ですね、こちらは毎日曇つたいやなお天気です、この頃はどうかすると東京の郊外が恋しくなります。
海にはもう倦き/\して仕舞ひました。
○○(雑誌)をもう一部頂けませんでせうか、実は送つてやりたい処がありますのでもし頂ければ、きれいな方を送りたいと思ひまして。
私のいやな写真(※12)が出ましたね、あの顔にはほんとうに恐れ入ります。
今度東京に出ましたらせいぜい綺麗な顔に写してお送りいたしませうか、あの顔はもうとりけしにしたいものです。
(堀切利高編著『野枝さんをさがして』_p52~53)
○○は『新しき婦人の手紙』掲載の原文のままだが、『野枝さんをさがして』の注解を参考に、以下補足。
※1
○○は不明だが送金か為替か稿料。
※2
『女の世界』一九一六年六月号(第二巻第七号)。
※3
原稿とは『女の世界』六月号に「次号巻頭論文 伊藤野枝」の予告がある同誌七月号の原稿。
※4
○○氏を野依としたのは、野依が『女の世界』六月号に書いた「野枝サンと大杉君との事件」の文中に「野枝と人類の不幸」という章題があり、「いたいけな四歳の子を棄てたのは人類の利益幸福と衝突する」と非難しているので、「果して人類の不幸か」という野枝の題もそこから来ている。
※5
子供は辻との間に生まれた長男・一(まこと)のこと。
※6
野枝の故郷、福岡県糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)。
※7
辻との間に生まれた次男・流二のこと。
※8 ※9
当然、大杉。
※10
野枝が今回の大杉との恋愛について書き進めている『大阪毎日新聞』に掲載予定の原稿。
同紙には『近代思想』に寄稿していた和気(わけ)律次郎がいたので、和気の線からの売り込みと推測できる。
※11
野依としたのは、野依秀一が愛国生命攻撃事件で懲役四年の判決を受け、五月二十六日に豊多摩監獄に入獄したから。
野依は東京電燈会社事件に次ぐ二度目の入獄だった。
※12
安成二郎「大杉君の恋愛事件」の最初のページに載っている野枝の写真のことで、堀切利高によれば『定本 伊藤野枝全集 第二巻』の口絵写真(『新潮』一九一五年七月号より転載)と少し似ているという。
★堀切利高編著『野枝さんをさがして 定本 伊藤野枝全集 補遺・資料・解説』(學藝書林・2013年5月29日)
★多恵春光著『新しき婦人の手紙』(日本評論社出版部・1919年9月)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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