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第335回 聖路加病院(五) [2016/08/27 13:35]
文●ツルシカズヒコ
『東京日日新聞』社会部記者の宮崎光男は、日蔭茶屋事件の際にも逗子の千葉病院に駆けつけたが、このときにも病床の大杉に面会に来た。
宮崎はまあ大丈夫だろうと思い、見舞いにも行かないでいた。
ところが、社の早出し版(東京市外版)を見ると、大杉はもはや死人扱いで、堺利彦や堀保子のおくやみ話まで載っていた。
あわてて車で聖路加病院に駆けつけた宮崎は、大杉を病気で死なせるのは惜しいと思い、できるなら早出..
第4回 ノンちゃん [2016/03/08 16:04]
文●ツルシカズヒコ
「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p505)によれば、一九〇一(明治三十四)年四月、野枝は今宿尋常小学校に入学した。
岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(p62)と井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』(p62)は、野枝の今宿尋常小学校入学を一九〇三(明治三十六)年としているが、「伊藤野枝年譜」を信頼したい。
今宿尋常小学校に入学した四月、野枝は満六歳だが、早生まれなので問題はないだろう。
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第3回 万屋がお [2016/03/07 17:57]
文●ツルシカズヒコ
野枝の風貌や資質は祖母・サト(父・亀吉の母)、父・亀吉の血を受け継いでいた。
野枝さんのお父さんは……漁、挿花、料理、人形造り、音曲、舞踏等、何れも素人離れがしてゐる程の趣味に富んだ人である。
就中、音曲に秀で、土地でのお師匠さん格である。
野枝さんの祖母は、幼少から文学を好み、学制設定前に、夜、付近の子女を集めて、女大学または手習ひを教へてゐたほどであつたから、その薫陶も尠なくなかつたであら..
第2回 日清戦争 [2016/03/05 17:07]
文●ツルシカズヒコ
野枝が生まれた一八九五(明治二十八)年、辻潤は十一歳である。
ネットサイト「辻潤のひびき」の「辻潤年譜」と『辻潤全集 別巻』(五月書房)の「辻潤年譜」によれば、辻は一八八四(明治十七)年十月四日、東京市浅草区向柳原町で生まれた。
父・六次郎(〜一九一〇)と母・美津の第一子、長男である。
辻は浅草区猿尾町の育英小学校尋常科に入学したが、十一歳のころは三重県津市にいた。
野枝が生まれた一八..
第1回 今宿 [2016/03/02 21:33]
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝は一八九五(明治二十八)年一月二十一日、福岡県糸島郡今宿村大字谷一一四七番地で生まれた。
現住所は福岡市西区今宿一丁目である。
戸籍名は「ノヱ」。
野枝が生まれる直前の伊藤家の家族構成はーー。
祖母(父・亀吉の母)・サト(五十三歳)
父・亀吉(二十九歳)
母・ムメ(二十八歳)
長男・吉次郎(五歳)
次男・由兵衛(三歳)
五人家族だが、野枝が生ま..
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