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2016年03月02日

第1回 今宿





文●ツルシカズヒコ



 伊藤野枝は一八九五(明治二十八)年一月二十一日、福岡県糸島郡今宿村大字谷一一四七番地で生まれた。

 現住所は福岡市西区今宿一丁目である。

 戸籍名は「ノヱ」。

 野枝が生まれる直前の伊藤家の家族構成はーー。

 祖母(父・亀吉の母)・サト(五十三歳)

 父・亀吉(二十九歳)
 
 母・ムメ(二十八歳)

 長男・吉次郎(五歳)

 次男・由兵衛(三歳)

 五人家族だが、野枝が生まれたこのとき、父・亀吉は不在だった。

 前年八月に始まった日清戦争に軍夫として徴用され朝鮮にいたからである。

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 野枝の四女・王丸留意(ルイズ/離婚後、伊藤ルイに改名)は、祖母・ムメから伝え聞いていた話を、井出文子にこう語っている。


 母が生まれた夜はとても寒い晩でみぞれまじりの雪がふっていました。

 祖父はいなくて産婆さんも呼べなかったので、祖母はひとりで母を産んだそうです。

 そのときの産声があまりに大きかったので、祖母はたぶん男の子だろうと思ってほうっておいたのだそうです。

 男の子はもうふたりもいましたし、暮しもらくでなかったからどうでもいいという気持ちだったのでしょう。

 そのあとで男の子に呼ばれて祖母の姑になる曽祖母がきてくれて、よくみますと赤子は女の子だったので、曽祖母ははじめての女子じゃとよろこび、産湯をつかわしたりして、それで赤子は生命(いのち)をまっとうしたのだそうです。


(井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p12)


 野枝の三女・野澤笑子(えみこ/エマ/一九二一〜二〇一三)はこう記している。


 母、伊藤野枝が生まれたのは明治二十八年一月、当時でも珍しい大雪の未明であった。

 父親は日清戦争に出征中で、びっくりする程大きな産声をあげた。

 上に二人の男子がおり、昔の人は暢気なもので祖母のサトは、

「又、男ぢゃろう、夜が明けてから産婆を呼べばいい」

 と言う。

 それでも母親のムメはそっと蒲団を持上げて見て、女の子であることを告げると素破一大事とばかり、祖母はとび起きて産婆へ走るやら、お湯を沸かすやら大騒ぎを演じたという。


(野澤笑子「子供の頃の母」/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」)


 野枝の遺児たちが母・野枝が生まれたときのことを知っているのは、大杉栄と野枝が虐殺された後、遺児たちが野枝の今宿の実家に引き取られ、そこで育ったからだ。

 野枝が虐殺されたとき、三女・エマは二歳、四女・ルイズは一歳だった。

 母・野枝についての記憶がまるでない孫たちに、ムメは野枝の思い出を繰り返し繰り返し語って聞かせていたのである。

 それは無意識だったとしても、野枝の記憶を風化させたくないという、ムメの願いがあったからなのだろう。





 野枝の父・亀吉と母・ムメの間には野枝の下にも四人の子供が生まれた。

 祖母・サト(一八四二〜一九二二)
 
 父・亀吉(一八六六〜一九三六)
 
 母・ムメ(一八六七〜一九五八)

 長男・吉次郎(一八九〇〜一九〇八)
 
 次男・由兵衛(一八九二〜一九六七)
 
 長女・野枝(一八九五〜一九二三)
 
 次女・ツタ(一八九七〜一九七八年六月)

 三男・信夫(一九〇六/夭折)
 
 四男・清(一九〇八〜一九九一)
 
 五男・良介(一九一六/夭折)

 伊藤家は祖母・サトを入れて総勢十人家族ということになるが、三男・信夫と五男・良介は夭折し、長男・吉次郎も野枝が十三歳のときに満州で病死(十八歳)しているので、野枝が成人した後の伊藤家は七人家族であった。

 祖母・サトは野枝が虐殺される前年、一九二二(大正十一)年に八十歳で死去。

 父・亀吉=七十歳、母・ムメ=九十一歳、次男・由兵衛=七十五歳、次女・ツタ=八十一歳、四男・清=八十三歳。

 伊藤家の人々が永眠した年齢を見ると、多産多死時代の「多死」を逃れた面々は総じて長寿だった。





『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』、井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』、「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば、 伊藤家は海産物問屋・諸国廻槽問屋を営む「萬屋」(よろずや)という屋号の旧家であり、幕末から明治初期にかけての曽祖父・儀八(一八〇六〜)の代に、主要な貢米取扱地だった今宿において家業は最盛を迎えた。

 しかし、祖父・與平(一八三五〜一八八四)の頃から没落し始め、父・亀吉の代になってからいよいよ家業は思わしくなくなっていた。

 長女に「ノヱ」と命名したのは、伊藤家の家業全盛時に生きた野枝の曽祖母・ノヱにあやかり、家業再興の願いがこめられていたからである。

 野枝の曽祖父・儀八は、九州男児の度胸一本で荒海に乗り出し財を成した。


 松原に茶室を設けたり、他に土地や船なども持っていた……。

 しかし、政治、社会の変革はこの商家の繁栄を奪い、儀八の死後与平が相続し、またその六年後一八九一(明治二十四)年に家督を野枝の父亀吉が継いだときには決定的に家は没落した。

 戸籍をみると亀吉の相続と前後して、亀吉の妹マツ、モト、キチの二十歳をかしらにした三姉妹は、熊本、三池などに分家または養女として離籍されている。

 これは彼女たちが結婚してのことではなく、おそらく一家の窮乏を救うためのものらしい。


(井出文子『自由 それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p14)





 亀吉は家督を継ぐとともに、今宿村の農民・若狭伊平(伊六ともある)の次女・ムメと結婚した。

 今宿村について、野枝はこう記している。


 私の生まれた村は、福岡市から西に三里、昔、福岡と唐津の城下とをつないだ街道に沿ふた村で、父の家のある字(あざ)は、昔陸路の交通の不便な時代には、一つの港だつた。

 今はもう昔の繁栄のあとなど何処にもない一廃村で、住民も半商半農の貧乏な人間ばかりで、死んだやうな村だ。

 此の字は、俗に『松原』と呼ばれてゐて戸数はざつと六七十位。

 大体街道に沿ふて並んでゐる。


(「無政府の事実」/『労働運動』1921年12月26日・3次1号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p654/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p310)


「無政府の事実」冒頭のこの文章の初出は、一九二一(大正十)年発行の『労働運動』なので、野枝が二十六歳のころの今宿である。

 街道とは唐津街道のことだ。

 野枝は明治維新から半世紀余を経た大正末期に、昔、つまり江戸時代の繁栄のあとなどどこにもない一廃村で死んだよう村だと今宿のことを書いているのである。

 ウィキペディア[今宿村(福岡県)]によれば、今宿村が発足したのは一八八九(明治二十二)年四月、今宿村が近隣と合併して糸島郡に編入されたのが一八九六(明治二十九)年四月。

 福岡市へ編入されたのは一九四一(昭和十六)年十月である。

 野枝の出生地は「糸島郡今宿村」とされているが、彼女の出生時には今宿村はまだ糸島郡に編入されていない。





 今宿の没落については井出文子の説明がわかりやすい。


 徳川幕藩体制のもとでは、この村は藩内交通の結節点として港を持ち、また唐津、長崎へむかう街道の宿場としても繁盛していたのである(糸島郡教育会編『糸島郡史』)。

 だが廃藩置県、経済流通経路の変化、鉄道の開通はこの村の繁盛をおき去りにした。

 明治中期にはいり北九州一帯の石炭産業の興隆をそばにみながら、この村はいわば陥没地帯として、今宿瓦などのささやかな産業をのぞいてはなにもない一寒村となっていった。


(井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』_p12)


 岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』によれば、福岡県糸島郡教育会編『糸島郡誌』は一九二七(昭和二)年に発行されているが、今宿村についてはこう記されている。


 今宿村は……現在戸数五〇〇、現在人口二、九四五なり。……明治四十三年北筑軌道敷設せられ、また大正十四年四月十五日北九州鉄道開通し交通大いに便なるに至れり。

(岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』_p54)


 野枝の生家と育った家の現況(二〇一五年現在)については、田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』(p114~)に詳しい。

 同書によれば、野枝の生家は現在「唐津街道……に面した住宅で、そこには製畳店の看板がかかっている。……生家の道路を挟んだ向かい側に役場」があるという。

 一九八五年ごろまで、野枝の育った家の木戸近くに「伊藤野枝生誕の地」という標柱があったが、郷土史家・大内士郎の調査により、それは野枝の生家ではなく育った家であることが判明した。

 野枝の育った家には現在、伊藤義行(野枝の甥/父は野枝の次兄・由兵衛?)が暮らしているという。



★井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』(筑摩書房・1979年10月30日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「月報1」(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(七曜社・1963年1月5日)

★田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』(岩波書店・2016年10月21日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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