記事
第113回 色欲の餓鬼 [2016/04/23 21:00]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表。
東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であり、女子教育において良妻賢母思想を基調とした論陣を長く張った下田次郎を批判した。
『婦人評論』(一九一四年六月一日)に掲載された下田次郎「日本婦人の革新時代」への反論である。
野枝はまず下田が捏造された新聞や雑誌の記事やそれを真..
第111回 染井の森 [2016/04/23 14:01]
文●ツルシカズヒコ
「散歩いたしませんか」
こう言って誘いに来た野枝と連れ立って、野上弥生子が家から近い染井の森へ行ったのは、ある春の日だった。
野枝は一(まこと)をおんぶしていた。
弥生子は下婢の背中に下の子(野上茂吉郎)を預け、そのかわり四つになる小さい兄(野上素一)の手を引いていた。
「なんといういい日でしょうね」
「この四、五日はまた特別ね」
「鶯がよく啼くじゃありませんか」
「こん..
第107回 武者小路実篤 [2016/04/21 21:29]
文●ツルシカズヒコ
一九一四(大正三)年あたりから、『青鞜』には反論や論争スタイルの文章が掲載されるようになった。
各人の勉強の成果が徐々に実り、反論、論駁の論陣を張れるようになったのだ。
その急先鋒が野枝だった。
武者小路実篤が『白樺』誌上で、野枝が『青鞜』に掲載した「動揺」について、こう批判した。
青鞜のN氏は僕の「世間知らず」を軽蔑してゐるそうである。
さうしてその女主人公C子を軽蔑してゐる..
第104回 サアカスティック [2016/04/20 22:14]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年の秋が深まるにつれ、野上弥生子と野枝の親交も深まりを増していった。
野枝はこう記している。
その頃、私と野上彌生子さんは疎(まばら)な生籬(いけがき)を一重隔てた隣合はせに住んでゐた。
彌生子さんはソニヤ、コヴアレフスキイの自伝を訳してゐる最中であつた。
私達二人は彌生子さんの日当りのいゝ書斎で、又は垣根をへだてゝ朝夕の散歩の道でよく種々なことについて話しあつた。
..
第103回 少数と多数 [2016/04/20 12:37]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年、秋。
野上弥生子にとって野枝は最も親しい友達になっていた。
九月初旬、二番目の子供を出産するために駒込の病院に入院した弥生子は、二週間目に新たな小さい男の子を抱いて帰宅し、下婢から裏の家にも出産があったことを知らされた。
弥生子が子供にお湯などを使わせていると、裏の方からも高い威勢のいい泣き声が聞こえた来た。
「赤さんが泣いているわね、やっぱし男の子かしら」
「さあ、..
第100回 アンテウス [2016/04/18 16:36]
文●ツルシカズヒコ
野上夫妻の故郷は大分県臼杵(うすき)だったが、野枝の故郷が大分県の隣県である福岡県だったことは、弥生子と野枝に一層の親しみを抱かせた。
「ぢやあなたは泳げるでせう。」
「えゝ、あなたは?」
「私も、だけど私は泳ぎは極下手の部類ですよ。」
伸子は全く一丁ほど泳げるか泳げないかでありましたが、彼女にはそれは自信がある技らしく見えました。
高い櫓から飛ぶ事も、水に潜る事も男の子に負けずにやつた..
第99回 ジプシイの娘 [2016/04/18 15:22]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。
弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。
辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地、妙義神社前の借家に住み始めたのは一九一三(大正二)年五月ごろであるが、そのころから弥生子と野枝の公私にわたる親交が始まった。
『定本 伊藤野枝..
第84回 ドストエフスキイ [2016/04/15 18:57]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十六日、その日の朝、野枝は疲れていたのでかなり遅く目を覚ました。
野枝はこの日もまた校正かと思うとウンザリした。
しかし、今朝は手紙が来ていないのでのびのびとしたような気持ちになり、辻に昨日、岩野清子と築地や銀座を歩いたことなどを話した。
野枝は昨日と一昨日に書いた手紙を入れた封筒を持って出て、それをポストに入れた。
野枝は苦しい手紙を書いたことが遠い遠いことのよ..