2016年04月18日
第100回 アンテウス
文●ツルシカズヒコ
野上夫妻の故郷は大分県臼杵(うすき)だったが、野枝の故郷が大分県の隣県である福岡県だったことは、弥生子と野枝に一層の親しみを抱かせた。
「ぢやあなたは泳げるでせう。」
「えゝ、あなたは?」
「私も、だけど私は泳ぎは極下手の部類ですよ。」
伸子は全く一丁ほど泳げるか泳げないかでありましたが、彼女にはそれは自信がある技らしく見えました。
高い櫓から飛ぶ事も、水に潜る事も男の子に負けずにやつたのだと云つて南国の夏の海に特有な開つ放しの自由な楽しみを追想するような熱情を現して話しました。
「お転婆だつたのねぇ。」
二人は声を出して、笑ひ合ひました。
(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p290~291)
「伸子」は弥生子のことである。
ふたりは長い間知り合った友達のように無邪気に話し合ったが、野枝は自分の現在の境遇については、多くを語らなかった。
その長い対座の間、弥生子が知り得たのは野枝が今年十九歳であること、都下の女学校の卒業生であり、今はその先生の家に同居していること、および青鞜社との関係についてであった。
野枝はらいてうの話もよくした。
「あなたはまだ逢ったことはないのですか」
弥生子は前年の秋のある展覧会の会場での、一分以上ではない一瞥の会見を語った。
野枝は逢ってみたらいいだろう、きっといい話し相手になれる人だからと勧めたが、弥生子はまだそんな気にはなれなかった。
弥生子はらいてうの書いたものを通じてその説も理解していたが、らいてうの本質的傾向に関してはかなりの疑問と懼(おそ)れがあった。
弥生子にとってらいてうは一種のスフィンクスであった。
けれど、野枝はらいてうの若い嘆美者であった。
野枝がらいてうを語る言葉には、深い信頼と妹らしい愛慕があった。
弥生子は野枝のことを南国に育った娘特有の多血質であり、強い知識欲を有し、人生に対する態度にも年にしては大胆なところがあると見ていた。
そして、それは野枝の率直な表情や疑念のない快活な話しぶりに調和されて、図々しいような感じになることは決してなかった。
そのうちに、弥生子は野枝の家が野上家と垣根一重の裏であることを知った。
それは一本の古い椎の古木の下に一郭をなしている、三、四軒のちんまりした小家の群れのひとつだった。
オルガンを弾いたり、尺八を吹いたり、歌ったり、男女の賑やかな笑い声がする一家族がそこいらに住んでいること、野枝が若い男とよく連れ立って出て行くことなど、弥生子は女中を通じて知った。
弥生子は野枝が『青鞜』八月号に発表した「動揺」を読み、野枝が辻と同棲するに到った経緯、そして野枝という人間について多くのことを知った。
あの子供のやうな無邪気な頬と目の持主が、こんな複雑な人情の波を潜り抜けて来たのかと思ふと、伸子は不思議な位ゐでありました。
同時にそれ等の出来事に対して、彼女が如何にも正直な徹底した態度を現はしてゐるのが伸子の心をひきつけました。
善い事も、悪い事も、美も醜も一切を偽はりませんでした。
虚飾や胡魔化しに馴れた世間の多くの女達には、想像もされない卒直を以つて自己を解剖台に投げ出す誠実と勇気がありました。
この態度の前には一つの失敗は一つの経験であり、負ける事は更に打ち勝つ事でなければなりません。
土に転ぶ度に新らたな力を握って立ち上るアンテウスの強さが、彼女の強さでありました。
その明るい、開けつ放しな行き方は、重々しく落ちついた、同時に底の測られないやうなA子の性格と鮮やかな対照を作る事となつたのでありました。
且つその一篇は彼女の内的生活の真摯とよき傾向を示す一記録であつた計りでなく、その文学的才能のたしかさを証拠立つるものでありました。
彼女はもう単なる正直そうな、可愛らしい娘だけではありませんでした。
伸子は新たな尊敬を以つて若い隣人を見ました。
而して二人の間によき友情の芽ぐみつゝある事を楽しみの目を以つて見てゐました。
(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p295~296)
「A子」はらいてうのことである。
★『野上彌生子全集 第三巻』(岩波書店・1980年10月6日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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