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第209回 霊南坂 [2016/05/23 14:05]
文●ツルシカズヒコ
一九一六年七月十九日午後の列車で大阪から帰京した野枝は、七月二十五日に大杉と一緒に横浜に行き、大杉の同志である中村勇次郎、伊藤公敬、吉田万太郎、小池潔、磯部雅美らと会った(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
野枝と別れた辻は一時、下谷(したや)区の寺に寄寓していた。
野枝が第一福四万館で大杉と同棲していたころである。
ある日、野枝が寺を訪れ辻に面会したときのことを、宮嶋資夫は書き記している。
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第19回 西洋乞食 [2016/03/17 23:04]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年四月、新任の英語教師として上野高女に赴任した辻は、さっそく女生徒たちから「西洋乞食」というあだ名をつけられた。
辻がふちがヒラヒラしたくたびれた中折帽子をかぶり、黒木綿繻子(くろもめんしゅす)の奇妙なガウンを来て学校に来たからである。
辻は貧相な風貌だったが、授業では絶大な信用を博した。
「アルトで歌うようにその口からすべり出す外国語」。
しかも、話題は教科書の枠..
第12回 東の渚 [2016/03/14 14:24]
文●ツルシカズヒコ
矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、一九〇八(明治四十一)年暮れに代準介が一家を連れて上京したのは、セルロイド加工の会社を興すためだった。
長崎の代商店の経営は支配人に任せての上京である。
この分野では日本でも相当に早い起業であり、頭山満の右腕であり玄洋社の金庫番、杉山茂丸あたりのアドバイスがあったらしい。
代準介は杉山とも昵懇だった。
代キチは「とにかく頭山先生と玄洋社の加勢をしたかっ..
第6回 代準介 [2016/03/09 22:30]
文●ツルシカズヒコ
「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p506)によれば、一九〇八(明治四十一)年三月、周船寺高等小学校三年修了後、野枝は長崎に住む(長崎市大村町二十一番地)叔母・代キチのもとへ行き、四月、西山女児高等小学校四年に転入学した。
野枝、十三歳の春である。
代キチは野枝の父・亀吉の三人の妹の末妹だが、妹の中で一番のしっかり者だった。
キチの夫・代準介(一八六八〜一九四六)は実業家として財..
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