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第58回 夏子 [2016/03/30 13:50]
文●ツルシカズヒコ
このときの野枝の印象を、神近は4年後にこう書いている。
……学校の休暇(やすみ)の時、根岸のKのところで逢つたのは正月であつた。
女中のやうな至つて質素な着付けが、お体裁屋の、中流の東京の家庭の人々とばかり接触してゐて、その嗜好と幾分の感情さへも分ち始めてゐた私には、その人までも何んとなく親しみ難(にく)いものに思はせた。
その上に、髪を振り下げにして素通しの眼鏡をかけて居(を)られたことが、..
第57回 東洋のロダン [2016/03/29 20:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十七日、忘年会の翌々日、らいてうから野枝に葉書が届いた。
昨夜はあんなに遅く一人で帰すのを大変可愛想に思ひました。
別に風もひかずに無事にお宅につきましたか。
お宅の方には幾らでも、何だつたら、責任をもつてお詫びしますよ、昨夜は全く酔つちやつたんです。
岩野さんの帰るのも勝ちやんのかへるのも知らないのですからね、併し今日は其反動で極めて沈んで居ります。
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第51回 伊香保 [2016/03/28 15:43]
文●ツルシカズヒコ
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p397)によれば、一九一二(大正元)年十月十七日、『青鞜』一周年記念会が鴬谷の「伊香保」で開かれた。
「伊香保」は当時、文人墨客がよく利用する会席料理屋として知られ、常連だった尾竹竹坡の紹介で会場が「伊香保」に決まった。
らいてう、瀬沼夏葉、生田花世、紅吉、神近市子などが出席した。
らいてうはこの席で女子英学塾三年に在学中の神近市子と初めて会っ..
第14回 編入試験 [2016/03/15 13:00]
文●ツルシカズヒコ
一九一〇(明治四十三)年一月、前年暮れに上京した野枝の猛勉強が始まった。
代準介は野枝を上野高女の三年に編入させるつもりだったが、野枝は経済的負担をかけたくないことを理由に、飛び級して四年に編入するといってきかなかった。
代家は経済的に逼迫などはなく、どちらかといえば裕福で、そんな気遣いはいらぬ所帯である。
ノエは学資の負担を建前とし、従姉千代子と同じ四年生に拘り、その意思を曲げなかった。..
第7回 長崎(一) [2016/03/10 20:52]
文●ツルシカズヒコ
「国勢調査以前の日本の人口統計」によれば、一九〇八(明治四十一)年末の日本の都市人口の上位五都市は以下である。
●東京市 1,488,245人
●大阪市 1,226,647人
●京都市 442,462人
●横浜市 394,303人
●神戸市 378,197人
九州の上位五都市は以下である。
●長崎市 176,480人
●佐..