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第354回 暁民共産党事件 [2016/09/18 23:28]
文●ツルシカズヒコ
暁民共産党事件が起きていた、一九二一(大正十)年十一月十二日、大杉は朝早く大森の山川の家を訪ねた。
「やあ、どうだい」
「うん、相変わらずだ」
ふたりは、十幾年かの間、繰り返してきたこのお定まりの挨拶を交わした。
ベルトのついた茶色の外套を着た大杉は、バスケットを提げ、珍しく魔子を連れていなかった。
「ひとりなのかい?」
「なに、今日は奥山さんにお詣りだ」
「菊栄君にはず..
第320回 コミンテルン(三) [2016/08/10 23:05]
文●ツルシカズヒコ
大杉が上海に着いたのは一九二〇(大正九)年十月二十五日ごろだったが、その翌日、ヴォイチンスキー(ロシア共産党の極東責任者)、陳独秀(中国共産党初代総書記)、呂運亨(大韓民国臨時政府外交次長)ら六、七人が一品香旅館にやって来た。
それから二、三日おきに陳独秀の家で会議を開いた。
支那の同志も朝鮮の同志もヴォイチンスキーの意向にほぼ賛成しているようだったが、大杉はそういうわけにもいかず、会議はいつも大杉と..
第316回 コミンテルン(一) [2016/08/07 16:00]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇年八月十七日、「社会改造運動の闘将養成」を目的にした、山崎今朝弥主催の平民大学夏期講習会が大杉宅で開催され、受講生二十人ばかりがやって来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
開始してすぐに解散を命じられたので、鎌倉署の署長に向かって大杉が馬鹿だの野郎だのと抗議、鎌倉中の評判になり、家主からの立ち退き話にまでなった(「鎌倉の若衆」/『労働運動』一九二一年二月一日・二次二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四..
第311回 堺利彦論 [2016/07/31 10:12]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」を書いている。
『労働運動』第一次第四号に掲載した「堺利彦論(一〜四)」(「堺利彦論」/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』)の続編である。
「労働運動理論家」という人物評論欄に掲載されたものだが、大杉の「加賀豊彦論」(第一次第一号)、「鈴木文治論」(第一次第二号)、「加賀豊彦論(続)」(第一次第三号)に続く人..
第274回 スペイン風邪 [2016/07/04 10:45]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一九(大正八)年一月二十六日、大杉は売文社で群馬県からこの日上京した蟻川直枝と会い、気が合ったふたりは浅草十二階下にある黒瀬春吉の店「グリル茶目」で食事をした。
このときの話を、安成二郎が大杉からおもしろおかしく語って聞かされた。
大杉と蟻川は「グリル茶目」での食事を終えると、吉原に行くことにした。
売文社に行くとき、大杉は尾行をまいていたので、黒瀬の尾行..
第272回 山羊乳 [2016/07/03 12:38]
文●ツルシカズヒコ
大杉の末妹、橘あやめは一九〇〇(明治三十三)年生まれである。
「あやめ」という命名は、六月二十五日生まれだからであろう。
大杉は十五も歳下のあやめを可愛がっていた。
『日録・大杉栄伝』によれば、あやめは一九一六年にアメリカのポートランドのレストラン料理人・橘惣三郎と結婚して渡米した。
一九一八年十二月、病を得て帰国したあやめは、北豊島郡滝野川町大字田端二三七番地の兄・栄の家で養生することになっ..
第253回 日本堤 [2016/06/19 12:07]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月一日、下谷区上野桜木町の 有吉三吉宅で開かれた労働運動研究会例会に参加した、大杉、和田、久板、大須賀健治の四人は、池之端のレストランで食事をしながら直接行動と政治運動との是非を議論した。
大須賀は山川均の死別した妻、大須賀里子の甥である(『橋浦時雄日記 第一巻』)。
山川を頼ってこの年の一月に愛知県から上京し、二月に堺利彦が経営する売文社に受付係として入社したばかりだった(堀切..
第242回 夫婦喧嘩 [2016/06/07 11:37]
文●ツルシカズヒコ
『女の世界』一九一七年七月号のアンケートに、大杉と野枝は回答を寄せている。
『女の世界』同号は「男女闘争号」と銘打ち、目次に「夫婦喧嘩の功過と責任の所在 名流六十家」とある。
質問一は「夫婦喧嘩の功過」、質問二は「夫婦喧嘩は良人の責か妻の責か」である。
「社会主義者」という肩書きの大杉は、こう回答している。
一、
亭主は女房に出来るだけ甘くして置いて大がいの我儘はうん/\聴..
第227回 宮嶋資夫の憤激 [2016/05/30 17:03]
文●ツルシカズヒコ
十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。
見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。
内田魯庵は、こうコメントしている。
……近代の西洋にはかう云ふ思想とか云ふ恋愛の経験を持つてゐる人がいくらもある……彼が此恋愛事件に就いて或る雑誌に其所信を披瀝したのを見ると、フイ..
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