皆さん、あけましておめでとうございます。
本年も、当ブログをよろしくお願いします。
皆さんにとってさらなる価値のある発信を
目指し、UPする所存です。
さて、今年初めの記事ですが
昨年からコーチングや指導に関する
記事が増えてきました。
どちらかと言えば、現場のリーダー
向けのように思えますが
ここに来ている皆さんは、その素質が
あるものと信じます。そこで今回は
ものの伝え方についてがテーマです。
ある人のつぶやきで、「厳しいことを
言うのもやさしさ」なんてよく聞くけど
それを盾に言いたい放題はNGである。
大事なことはたとえ厳しいことや正論
でも、”どう伝えるか”によって相手への
響きが全く違う。
会話はどこまで行っても自分がどう思うか
より、相手がどう受け止めるか。
といったものでした。
パワハラで糾弾された上司の言い訳で
「冗談のつもりだった」という定番?
があります。
自分は冗談のつもりで言っても、相手は
冗談と受け取っていなかった。だから
ハラスメント行為として問題になった。
このような昭和時代の旧態依然とした
コミュニケーションでは、指導が立ち
いかなくなる。
このような指導上の問題については
過去記事「負の指導力」も参考に
なります。
冒頭に厳しいことをいうのもやさしさ
に類するものとして、愛の鞭という
文言もあります。
果たして、本当の愛の鞭なのか?
吟味が必要です。
というのは、愛の鞭を装ったパワハラ
も存在し、いやパワハラの隠れ蓑と
して、愛の鞭を装っている。
過去記事「恐怖型マネジメント(前編)」
で、パワハラ上司の行為を愛の鞭と思い
込んでいた人を紹介しました。
最初に働いた職場なら無理もありません。
社会人経験がないのですから。
恐怖を持って支配するのは、パワハラ
上司のお家芸なのです。
パワハラ上司とまではいかなくても、
この人ウザいなと思われた日には、
指導が頭に入ってこなくなる。
正論だから何を言ってもいい。
どんな言い方をしてもいい。
気持ちの溝は深まるばかり。
それでいて、部下が育たないと嘆く。
アンタの伝え方に問題があるのでは?
相手の為を思って厳しく言っていると
いうけれど、その実は自己満足だったり
お為ごかしの説教かもしれません。
その辺のエゴがなく、純度の高い愛
(宗教的ですが)も持って言う時に
愛の鞭と言うのでは?
人情の機微に精通した、人格者が行って
こそ、愛の鞭かも知れません。
そこまで行かない凡人の我々は、伝え方
を研究するしかありません。
ちょっと話はそれますが、後輩や部下が
使えないといった嘆きを聞いたりします。
実はこれ、部下や後輩の力を発揮させ
られない自分に問題があったりすること
だったりします。
そんな時は、如何に相手のベスト
パフォーマンス引き出すか、に留意する。
いけないのは、こいつは使えないといった
先入観を持って接してしまうこと。
もちろん煮ても焼いても食えない部下が
いるのは認めます。僕も警備時代経験
しました。2:6:2の法則ですね。
伝え方に留意し、相手の気持ちを考えた
コミュニケーションを取る。
これができる人は、これからリーダーと
して、活躍できる素質があります。
逆に、自分の持論のみが正しいと
押し付けてくるコミュニケーションしか
出来ない人は、指導力に問題あり。
相手がどう受け止めるのか、言葉にする
前に、ちょっと考えてみる。
この習慣をつければ、コミュニケーション
の質が上がるはずです。
基本は、相手を最初から否定しない。
やっている事を認めた上で、改善点を
指摘する。
こんな事をしてちゃダメじゃないか、を
こうすればもっと良くなる、という風に
変換して行く。
対人関係の摩擦や軋轢が少ないほど、
指導は身に入りやすい。
さらに言えば、愛の鞭よろしく厳しい
指導が有効なのは、それ相応の信頼関係
がベースにあってこそなのです。
しじみエキスWのオルニチン
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