今回は、過去記事「強制とは何か、
さらに深堀り」の続編です。
日本における強制の在り方について
さらに追及し、対抗策を探ります。
最初に、日本社会では責任を取るのは
極端に言えば死を意味します。まさに
ハラキリですね。
それ故、役人言葉に象徴されるように
言質(げんち)を取られないよう言葉
を練っていく。
強制について、日本では軍隊のような
強制ではなく、穏便に、巧妙にやらされる
システムである。
武村健一さんは著書で語っていました。
やらされるシステムの根底にあるのは
同調圧力です。
例えば、制度として有給休暇があっても
職場では誰も取らないので、言い出せない。
または、有給を取る社員は出世できないと
いう不文律がある。
もっと大きく言えば、一旦社会からドロップ
アウトした人間は、社会は冷たいもの。
社会復帰のハードルが高くなります。
短期離職を繰り返したり、長期間就職でき
なかったりすればそうなります。事情如何を
問わず。
明文化されたルールがなくても、不文律で
排除するぞという圧力で強制する日本社会
の闇ですね。
これは、体制側は強制による責任を回避
しようするのです。
その象徴たる文言が「お願い」または
「協力をお願いします」
これ、お願いに従わなかったら罰が
あるの?と突っ込みたくなる。事実上
業務命令であったりします。
最初に勤めた東京の会社で、社員寮の
引っ越しの関係だったか、かなり理不尽な
要求を社員に求めました。
会社側は「協力お願いします」の一点張り。
雇っているのだから、いう事を聞けと
言わんばかり。
対象であった若手社員は渋々従いましたが、
ほどなくして退職していきました。都の職員
に合格したそうです。
このように、バックにある力をちらつかせ
お願いするのは、強制に等しい。
お願いや協力に従わなければ、罰は無いに
せよ不利な扱いを受ける。
お願いや協力が強制でないのは、お互い
対等な立場であるのが前提です。
そもそも、上から目線でお願いとか
協力してとか言われても、もやもや
しますね。
お願いは元来、相手の善意に訴える
もの。それが悪用されているような
ケースが増えている。
一方警備でも同様な手法で、強制が
行われています。
警備でいやらしいのは、貧困が背景に
あること。
例えば、24時間拘束の当務明けで
別現場の応援をお願いするケースがあり。
もっと過酷なケースもあるでしょう。
応援に行かないと干される、または今いる
施設を外されるといった、不文律で実質
強制するのです。
干されたり、施設を外されれば死活問題に
なる隊員も少なくありません。
交通誘導警備でも、繁忙期に昼から連続して
夜勤を行う連勤を断ったら、干されるかも
しれない。
使う側は「人がいないので協力してくれ」
というスタンスでしょう。命令すれば後で
労基案件になる恐れが。
それ故、従わざるを得なくなる。
もっとひどくなると、自分から応援に
行かせてくださいと隊員から志願する
ケースもあります。
これは給料が安すぎて、無理してでも
別現場の応援に行かないと暮らして
いけない。
これを「強制された自発性」と言います。
神風特攻隊の志願に近いものでしょう。
せざるを得ないように追い込んでいく、
手法の込んだことか。
では、こんなディストピア社会で我々は
どう生きたらいいのでしょうか。
お願いや協力の要請については、前に書いた
ように、対等の立場であるかどうか。
そうでないなら、契約という面でどうなのか。
お願いを受け入れるメリットは?
受け入れないデメリットは?
お願いであっても、労働契約書に明記して
いなかったり、法に触れていれば従う必要
はありません。
ただそれを個人で主張するのは、ハードル
が高い。
そこでユニオンなり、労働組合なり組織の
力を借りる必要があります。
理不尽なお願いには、個人vs組織ではなく
組織vs組織で渡り合う。
使う側も、相手が個人だからこれくらいは
いいだろうといった、思惑がある。
この力の差が、理不尽なお願いがまかり通る
背景なのです。
結論として、命令に等しいお願いに抗うには
団結し、組織で対応すること。
そこまでいかなくても、変だと思ったら専門家
に相談できる環境にいることが大事です。
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