のB社時代の話です。
外資系保険会社ビルの警備をするB社は、
全国規模の大企業。
待遇も地元では破格のものでしたが、
リーマンショックでボロボロに。
突然2人クビになり、緊縮体制へ。
現場隊員の心も荒む。
そんな折、B社が嫌になった僕は転職を
考えていました。
辞めたい辞めたい・・・毎日思いばかり
募ります。
行く行くは警備業界を脱出したいけど、
まずはB社を脱出しなければ。
しかし、現実は厳しいものでした。
藁をもつかむ想いで応募したC社も
ブラック。
結局三か月あまりで退職し、無職に
なってしまいました。
再就職しようにも、リーマンショック
後の不景気です。警備業界脱出どころの
話ではありませんでした。
一敗地に塗れた僕は、次カテゴリ
「暗中模索編」で奮闘します。
職業訓練を志したのですが、不景気では
職業訓練校に入るのも過当競争を
勝たなければなりません。
運良く僕は、希望する科の訓練に合格
できましたが、薄氷を踏む想いでした。
幸いにして訓練校に行く事で流れが変わり、
負のスパイラルからは逃れられました。
このように、不景気だと割合簡単に
可能だった事でも、ハードルが上がって
しまうのです。
ここで耐え忍ぶことが大事だと学びました。
どんなにあがいても、個人の努力では
どうにもならない壁がある。
この壁の高さは、景気によって上下します。
壁が低くなるまで待つのも、戦略の一つ。
もちろん周到に準備をする事が肝要です。
職業訓練後、一旦警備業界に戻った僕は
カテゴリ「エピローグ〜さらば警備業界編」
で勝負をかけます。
機は熟したのか、辞表を出した直後に、
見つけた児童福祉施設の臨時職員募集で
、警備業界脱出の足掛かりを得ました。
それが今につながった訳なのですが、
警備業界からの脱出という目標にすぐ
到達できたわけではありません。
紆余曲折を経て約8年もかかりました。
これは僕の要領が悪かったからです。
警備経験を積んだ時点で、一敗地に塗れ
打ちひしがれた状態で、職業訓練へ。
警備業界からの脱出願望はMAXになり
ましたが、現実は厳しいものでした。
当時の僕はため息ばかりついていた
記憶があります。
警備の仕事をやるだけやって、限界を
感じた。もうこの業界にはいられない。
だが今は壁が高く、動くべきではない。
実力を練って待とう。職業訓練に行った
のがこのタイミングでした。
何かを勉強して取得しよう、といった
意志があり実行する人が、いつまでも
同じレベルの環境にいるはずがありません。
僕が職業訓練を勧めるのは、上記の背景
もあるのです。
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