2014年09月07日
『UFO少年アブドラジャン』巨大化する農作物の謎
今回はウズベキスタン映画『UFO少年アブドラジャン』の食べ物に関する最後の記事だ。
1回目の投稿はこちら↓
『UFO少年アブドラジャン』の食卓風景
2回目の投稿)はこちら↓
『UFO少年アブドラジャン』に出てくるおいしそうなパン―ノン
今回は宇宙人の少年アブドラジャンが村に来てから、食べ物に起こる不可解な出来事を紹介する。
それは例えば、スイカが巨大化したり、
大きな野菜が実ったり、
鶏が卵を大量に生んだり、
子牛が異常な速さで成牛に成長したり。
そして、こうした食べ物に限らず、電気屋さんのビデオデッキまで大量生産が始まり、1kgあたり3ドルで売られるようになった。まるで、農作物のような売り方だ。
さらには、畑を耕すクワで村人は空を飛べるようになった。
こうした不条理な出来事は何を意味しているのだろう?
私は農作物が巨大化したり、卵が大量に生まれたり、牛の成長が加速したのは、肥大化し、加速する「人間の欲望」と重なって見えた。
というのも、アブドラジャンが特殊能力を使って、食べ物が大量生産されるようになったのは、お金を巨大化させたり、紙幣を増やす超能力でバザルバイが喜んだのがきっかけだった。ここでは人間の金欲が描かれている。
結局、巨大なお金は使えないし、偽造紙幣は処罰されるため、アブドラジャンの働きは無駄に終わってしまうが、その後、農作物が巨大化、畜産効率が急上昇し始めたのだ。村の生産高が飛躍的に向上し、賃金が上昇したのを、コルホーズの議長は自分の手柄にし、富と名声を手に入れたのだが、それでも満足出来ずにいた。なぜならコルホーズの人はみんな空を飛べるのに、自分だけ飛べないからだ。生産を向上させたことで表彰され、名声を得たのにもかかわらず、空を飛びたい、つまりは、止めどなく高い望みを抱いてしまう貪欲な議長は、空を飛ぼうと高台に上り、そこから飛び降りて最後は地に落ちてしまう。
これは、ゴーゴリの「涙を通した笑い」と似ていると思う。それはどういうことかと言うと、空を飛ぼうと奔走する議長に私たちはつい笑ってしまうのだが、その笑いは、「人間の欲」に対する痛烈な批判を含んだ風刺であるということだ。つまり、議長に対して笑いながら、自分たちの欠点である貪欲さに私たちは気付かされるのだ。
空を飛びたいとアブドラジャンに詰め寄る議長
貪欲な議長は、無欲なアブドラジャンとは対照的な存在として描かれている。
この他にも、映画の途中でときどき入るユーモアたっぷりの語りの部分も、ゴーゴリの影響が強く感じられる。
例えば電気屋さんの紹介で「彼は幼い頃ラバから落ちました」と、そんなことどうでもいいというような情報を語ったり(不必要な詳細)、語り手が「そういえば昨日、タルコフスキーの映画を観に行きました」と本筋とは無関係な話を唐突に始めたり(語りの逸脱)、「これはコルホーズの議長。いい人です。」と語っておきながら、蜂を殺す議長を紹介したり(皮肉)。これらはゴーゴリが得意とした語りの手法とそっくりだ。
話がゴーゴリに移りすぎたので、そろそろ食べ物の話題に話を戻して、まとめに入ろう。
☆まとめ☆
3回に渡って、『UFO少年アブドラジャン』に出てくる食べ物について、真面目に書いてきたが、そこで私が一番言いたかったのは、映画に出てくる食べ物は取るに足らない単なる脇役ではなく、その国の食文化を表していたり、主人公の心境を表すものであったり、映画のテーマを実はシンボリックに象徴するものであるということだ。
このような食べ物に対する見方をする上で、参考にしたのは、大学院の頃の指導教官であった沼野先生が書いた『ロシア文学の食卓』という本だ。
(上の画像をクリックするとアマゾンの購入画面が開く)
本書はロシア文学に登場する食べ物を前菜・スープ・メイン・デザート・飲み物という章立てで紹介しており、料理の詳細とそれが登場する文学作品の場面を解説している。料理が文学作品でどのような意味や役割をもっているのか?この料理は何を象徴しているのか?という着眼点はとても斬新で、「言われなければ気づかなかった!」と目からウロコが落ちること間違いなしの本。沼野先生の優れた観察眼には、本当に敬服する。興味のある方はぜひ読んでみて欲しい。
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『UFO少年アブドラジャン』の食卓風景
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『UFO少年アブドラジャン』に出てくるおいしそうなパン―ノン
今回は宇宙人の少年アブドラジャンが村に来てから、食べ物に起こる不可解な出来事を紹介する。
それは例えば、スイカが巨大化したり、
大きな野菜が実ったり、
鶏が卵を大量に生んだり、
子牛が異常な速さで成牛に成長したり。
そして、こうした食べ物に限らず、電気屋さんのビデオデッキまで大量生産が始まり、1kgあたり3ドルで売られるようになった。まるで、農作物のような売り方だ。
さらには、畑を耕すクワで村人は空を飛べるようになった。
こうした不条理な出来事は何を意味しているのだろう?
私は農作物が巨大化したり、卵が大量に生まれたり、牛の成長が加速したのは、肥大化し、加速する「人間の欲望」と重なって見えた。
というのも、アブドラジャンが特殊能力を使って、食べ物が大量生産されるようになったのは、お金を巨大化させたり、紙幣を増やす超能力でバザルバイが喜んだのがきっかけだった。ここでは人間の金欲が描かれている。
結局、巨大なお金は使えないし、偽造紙幣は処罰されるため、アブドラジャンの働きは無駄に終わってしまうが、その後、農作物が巨大化、畜産効率が急上昇し始めたのだ。村の生産高が飛躍的に向上し、賃金が上昇したのを、コルホーズの議長は自分の手柄にし、富と名声を手に入れたのだが、それでも満足出来ずにいた。なぜならコルホーズの人はみんな空を飛べるのに、自分だけ飛べないからだ。生産を向上させたことで表彰され、名声を得たのにもかかわらず、空を飛びたい、つまりは、止めどなく高い望みを抱いてしまう貪欲な議長は、空を飛ぼうと高台に上り、そこから飛び降りて最後は地に落ちてしまう。
これは、ゴーゴリの「涙を通した笑い」と似ていると思う。それはどういうことかと言うと、空を飛ぼうと奔走する議長に私たちはつい笑ってしまうのだが、その笑いは、「人間の欲」に対する痛烈な批判を含んだ風刺であるということだ。つまり、議長に対して笑いながら、自分たちの欠点である貪欲さに私たちは気付かされるのだ。
空を飛びたいとアブドラジャンに詰め寄る議長
貪欲な議長は、無欲なアブドラジャンとは対照的な存在として描かれている。
この他にも、映画の途中でときどき入るユーモアたっぷりの語りの部分も、ゴーゴリの影響が強く感じられる。
例えば電気屋さんの紹介で「彼は幼い頃ラバから落ちました」と、そんなことどうでもいいというような情報を語ったり(不必要な詳細)、語り手が「そういえば昨日、タルコフスキーの映画を観に行きました」と本筋とは無関係な話を唐突に始めたり(語りの逸脱)、「これはコルホーズの議長。いい人です。」と語っておきながら、蜂を殺す議長を紹介したり(皮肉)。これらはゴーゴリが得意とした語りの手法とそっくりだ。
話がゴーゴリに移りすぎたので、そろそろ食べ物の話題に話を戻して、まとめに入ろう。
☆まとめ☆
3回に渡って、『UFO少年アブドラジャン』に出てくる食べ物について、真面目に書いてきたが、そこで私が一番言いたかったのは、映画に出てくる食べ物は取るに足らない単なる脇役ではなく、その国の食文化を表していたり、主人公の心境を表すものであったり、映画のテーマを実はシンボリックに象徴するものであるということだ。
このような食べ物に対する見方をする上で、参考にしたのは、大学院の頃の指導教官であった沼野先生が書いた『ロシア文学の食卓』という本だ。
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本書はロシア文学に登場する食べ物を前菜・スープ・メイン・デザート・飲み物という章立てで紹介しており、料理の詳細とそれが登場する文学作品の場面を解説している。料理が文学作品でどのような意味や役割をもっているのか?この料理は何を象徴しているのか?という着眼点はとても斬新で、「言われなければ気づかなかった!」と目からウロコが落ちること間違いなしの本。沼野先生の優れた観察眼には、本当に敬服する。興味のある方はぜひ読んでみて欲しい。
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