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このブログではイラスト・デザインの仕事をしているタケマツのサイトSituation designのお知らせやサイトの更新情報を掲載しています。
現在このブログは雑記などの記事を移動中です。諸事情ありまして作業が大変遅れております。。。


『ダ・ヴィンチ・コード』

ダン・ブラウン著 / 越前敏弥 訳
『ダ・ヴィンチ・コード』(上)(中)(下) 角川文庫 2006年3月10日初版

父が、文庫版になったので『ダ・ヴィンチ・コード』を遂に読むことにしたらしい。で、それならば、わざわざ買う必要もなくなったので、読み終えたら私にもまわして欲しいと頼んでおいた。
父はサクサクと読み終わったらしく、私に上・中・下の文庫版『ダ・ヴィンチ・コード』を渡してくれた。
しかしながら父の感想は「面白くない」という事だった。何故か、と言えば、これがミステリ小説であったからに他ならない。ミステリ小説が駄目、と言うわけでもなく、父自身も嫌いな訳ではない。これは単に、父の勘違いから生まれた“面白くなさ”だったのだ。
どうやら、この小説を通してレオナルド・ダ・ヴィンチの絵それ自体に隠された謎が解き明かされると思っていたらしい。しかし蓋をあけてみれば、絵の謎解きではなかったので、がっかりさせられてしまったそうだ。絵に関しての言及も物語のキーワードの一部でしかないのだから、がっかりするのも分からなくはない。「写真をもっと載せておけ」という父の言葉に頷けなくもない…。
まあ、そんなこんなで渡されてからだいぶ経って読んだ私ですが、ミステリ小説として読み、十二分に堪能した次第です。推理しながら、ラングドンたちより先に謎を解いてやろうと目をギラギラさせながら読んだせいか、上・中・下巻あっという間に読んでしまいました。
舞台も壮大、ストーリーも壮大で、何だかとにかく大きさを感じさせられる小説。細々と基本的な事を逐一説明してくれるので、難しい知識を持ち合わせずとも楽しめる、と思いました。
最終的に答えが出たのか出ないのかが分からないのが残念ですが、秘密は明かされずに秘め事のままのが良いんでしょうかね・・・?? シラスに心の底から同情を寄せてしまうワタクシでありました。

ダ・ヴィンチ・コード(上)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫
ダ・ヴィンチ・コード(中)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫
ダ・ヴィンチ・コード(下)』 ダン・ブラウン著、越前敏弥訳 角川文庫

春探し!

2006/04/17 Mon - 2006/04/19 Wed

「春探し!」と称して春の野花を探しにお出掛け。
合計で3日間、良い天候に恵まれた中、さまざまな草花を写真に収めることが出来ました!
一般には雑草と呼ばれている草花を中心に、たまに園芸種もおりまぜて、たくさんの写真を撮りました。
場所は私が住んでいる付近(世田谷)ばかりです。それでもかなりの草花に巡り合うことが可能でした。
春の草花は一日ごとに成長が見えるのでビシバシと息吹が感じられます。素晴らしい気候に若葉や新芽、花と交わると心の底から気分が良くなるものですね。楽しい3日間でした。

【4月17日】











【4月18日】









【4月19日】




撮影:タケマツ / 撮影日:2006年4月17日〜19日 / コンパクトデジタルカメラ使用

身延山

総本山への道程身延山には日蓮宗総本山がある。ご先祖さんが眠っているお寺が日蓮宗なので、我が家は一応日蓮宗になるらしい…(死んだ時には)。今回、身延山まで行かねばならなくなったのは、御札のせいだ。
私の家はイイカゲンなのでお墓参りにしかいかないけれど、親戚の伯父さんたちは毎年身延山まで行くらしい。そして御札を買ってくる。そこまでは良いのだが、なんと我が家の分まで買ってくる。昔は行くというときに前年度の御札を渡して納めてもらっていたのだが、いつの頃からか行く頃合いが分からなくなってしまった。不精者の親父殿は行く日を訊く事もせず、御札をそのままにしておいたお蔭で、いつの間にか我が家には納めていない御札が大量に…。さすがに“もう御札はいりません”と言ったようで、それ以上、御札が増えることはなくなったのだが、問題はたまっている御札だ。
母は「そこいら辺のお寺か神社に納めてしまえば良いんじゃないの?」と言っていたのだが、親父殿は「それはダメだ!」とイイカゲンなくせに変なこだわり(?)をみせ、「身延山に納めに行こう!!」と提案。『そりゃ勝手に言ってくるがよろし、』と思っていたら、何と!母と私の分の座席も予約してきたので、身延山へ一緒に御札を納めに行かなければならなくなった…。

甲府行の電車はグリーン車がない。狭い…けど気を取り直して乗っていたら、高尾山を過ぎた辺りから急に電車酔いし始めてしまった。酔い止めを飲み忘れたのだ。
電車酔いが始まると非常〜に性質が悪い。単調に動きが続くので、一種の拷問だ。気持ち悪いけれど何とか保てるだろう姿勢からピクリとも動くことができないまま、ひたすら乗り続ける。
途中、半死状態でトイレに行ったが、あまりの揺れにトイレの壁に激突。平衡感覚がめちゃくちゃになっているので、なかなかトイレから席まで戻れずに、気持ち悪さが悪化。普通なら嘔吐するのだろうが、私は嘔吐できない体質(?)なので苦しみがつのるばかり。。。
甲府に着くと、単線に乗り換え。もう足元がふらふらで甲府駅から動きたくないくらい。だが、乗らねばならぬ!と気合で乗り換えするが、単線なので揺れがさらに酷く、もう一思いに殺してくれ!といわんばかりの状態に。どれくらい乗っていたのか分からないし、永遠に着かないんじゃあないかと思うほどに長いながい道のりだった。

目的の駅に到着し、駅構内から出た途端に三半規管が完全にいかれてしまったらしく、階段にしゃがみ込んだまま動けなくなった。半死半生でそこに丸まっていると、いつの間にやら父と母の姿もなく……、すぐ横にある花壇に咲く花に止まっているテントウ虫を見て心を慰め…ていたらこのテントウ虫もいつの間にか消えていた。何だか知らないが見知らぬ土地で独りぼっちになっちまった、と思っていたら、その頃母と父は薬局探しに走っていたらしい。駅前には土産物屋と何でもありの食事処、宿しかなく、彼らはけっこう遠くの薬局まで行って薬を買って来たのだそうだ。「コンビニがない…!」と還暦過ぎの親父が言うのも何だか笑えるけれど、本当に駅前に何もない。
買ってきてくれた液状の酔い止め薬は、酔った後でも効くというものなのだそう。薬局にもそれしかなかったとかなんとか言っていた気がする。とにかくそれを飲んで、その場に20〜30分いた。効き目が出るまで動けそうにないので、ただただ時間が経つのを待ち…。親父殿はあまりじっとしていたくないタイプの人間なので、その間、駅の周りをぐるぐる歩き回ったらしく、「本当に何にもないんだヨ。」と最終的に私の周りをうろちょろしながらボヤいていた。

母は薬局行脚で疲れたらしく、何でもありの食事処で休みたいと、次はそちらに移動。
憔悴しきった私の横で母はきつねそばを食べ始めた。親父殿はビールを飲(みやがった)んだ。
「俺は電車酔いしてないから関係ねェ〜」といったところらしいヽ(`ω´;)ノ=3

無事…ではないけれど、タクシー(!)で身延山へ。車で山登りは酔いが益す!『やめてくれぇ〜』と思いながらも、タクシーは進み、ようやっと真の目的地 “身延山久遠寺” に!
根性でデジカメを構えてちょこちょこ撮っていると、御札を納め終えた父がこちらにやって来た。このほんの一瞬の出来事のために、こんなにすごい乗り物酔いになるなんて、これも一種修行だな、なんて思ったり…。

下りは徒歩で、写真の階段を下りていくという暴挙に出た。現場での下りはもう恐ろしいことこの上なく、よく転がり落ちなかったと思うほど。さすがに途中のところで男坂に非難した。
下り終えたところにはちゃんと土産物屋が並び、ちょっとした観光スポットのようになっている。
数珠が売っているのはやはりお寺が上にあるからか、年輩の女性はけっこう熱心に数珠を見ていた。特に熱心な信者にも見えないので通夜・葬式用の数珠選びなのだろう、土産物だもの。
この通りでは電線にツバメを見かけた。この時季にいるなんて…越冬したのかな。

帰りは帰りで恐怖の単線が待っており、新宿に着くまではひたすら我慢でぐったり。
朝ごはん以来何も食べていないので、新宿のデパ地下で海鮮丼弁当を買って帰宅。
父と母は甲府の駅ビルで弁当を購入し、電車で食べていた。むう。
蟹と海胆とイクラがたくさんのった海鮮丼。酢飯が多すぎて残してしまった、、、σ(´Å`;)

時代が変わったせいか、お寺にもオフィシャルサイトがあるんですね。。。

伊豆・下田旅行 vol.3 下田開国博物館

【3月19日】
水族館を出てすぐの景色。吊橋を渡った先から見えるのがここ!辿り着くのには少々根性がいる。枯れ蔦と実
「告 この海岸で漁業権種目のイセエビ及びアワビ・トコブシ シッタカ等の貝類を採取すると法律により罰せられます 絶対に取らないで下さい! 静岡県 下田海上保安部 下田市漁業協同組合」の木看板鳥。果敢に海を眺めているよう。
港区防災倉庫外灯ペリーです。「ペリー艦隊上陸記念碑」
下田街並み下田街並み
下田街並み
了仙寺了仙寺了仙寺
了仙寺の石版マンホール!
下田開国博物館下田開国博物館入り口付近

撮影:タケマツ / 撮影日:2006年3月19日 / コンパクトデジタルカメラ使用




伊豆・下田旅行 vol.1 下田の街並み
伊豆・下田旅行 vol.2 下田海中水族館

伊豆・下田旅行 vol.2 下田海中水族館

【3月19日】
募金箱下田海中水族館
入り口にいる募金箱。
(社)日本動物園水族館協会のもの。
「希少動物の保存・自然保護に役立てている」とのことなので100円を募金…。
コウテイペンギン親子の姿が愛らしい。
ウミガメ

キングペンギン&フンボルトペンギン
キングペンギン。アクリル板越しなので映りが悪い…。キングペンギンのヒナが羽ばたいているところ。やっと外に出てきたキングペンギンたち。
アクリル板越しにこちらを見つめるフンボルトペンギン。物思いに耽っているように見える。「餌をくれー。」
「餌もっとくれよ〜」わさわさわさ。奥のペンギンがチラッとカメラ目線なのだ。縮小されて見えないけれど。楽して食べます。私も楽して食べよう。。。「いやあ〜食べましたね。」「ですねぇ。」「ですね。」満腹になったんで、羽繕いをば、、、

ゴマフアザラシ
ゴマフアザラシの看板水面に顔を出してみるゴマフアザラシ。潜水中のゴマフアザラシ。
狭いところに入り込もうとしているゴマフアザラシ。

ラッコ
動きが激しくてなかなか撮らせてくれないラッコが、急に遠くのほうで顔を出したその瞬間。2匹でじゃれあっているのか?

海の生物館シーパレス




クマノミクマノミ
ミズクラゲこれもクラゲ

アクアドームペリー号
エイサメが猛スピードで泳ぐ。ぺッタリ。
シュモクザメかな。アクアドームを見上げて。
撮影:タケマツ / 撮影日:2006年3月19日 / コンパクトデジタルカメラ使用


伊豆・下田旅行 vol.1 下田の街並み
伊豆・下田旅行 vol.3 下田開国博物館

伊豆・下田旅行 vol.1 下田の街並み

【3月18日】
下田温泉観光案内図伊豆・下田の温泉へ1泊2日の旅をしてきました。天候は悪くなったり良くなったり。。。
のんびりといろいろ回りましたので、その写真の一部を掲載したいと思います。
【3月18日】
下田駅よりぶらぶらと歩き出でて、マイマイ通り方面へ。通り沿いでいくつかお寺を覗く。
宝福寺の「唐人お吉記念館」に立ち寄ったが写真はなし。
最初に立ち寄ったお寺は桜が綺麗に咲いていた。しかし曇り空のため写真は映えない…。

石版は稲田寺のもの。「稲田寺を出る日本全権一行」。
下田の街並み
今年(2005年)は日露修好150周年記念だそうだ。写真は、1837年製カノン砲で、錨は「第50回黒船祭を記念して、スティーブン・H・ハウエル大佐より下田市へ寄贈」されたもの。
そして下田の街並みと見かけた雑種犬。カメラに気が付いて一応ポーズをとってくれたらしい…?下田の街並み
歩いていたら見かけた「高橋鳥肉店」。鶏肉でなく鳥肉なところが珍しい。鳥の肉ならば何でも扱っているのかなと。雨が降り出した頃に外に出ようとしている大型犬を発見。どこかのお店の犬らしい。
了仙寺の名物は「ジャンボレモン」だそう。たしかに大きい。手書きのカードがなんともいえず(^ω^)
アップルパイあまりの雨の酷さに喫茶店へ避難。
昔ながらの喫茶店といった感じで、しばらくお茶をしながらの雨宿り。
小腹もすいたので、おやつにアップルパイを食べました。
皮がぱりぱりしていて香ばしいアップルパイでした。
撮影:タケマツ / 撮影日:2006年3月18日 / コンパクトデジタルカメラ使用


翌日に続く…
伊豆・下田旅行 vol.2 下田海中水族館
伊豆・下田旅行 vol.3 下田開国博物館

文の京写真展

文京ふるさと歴史館閉館時間を確かめずにのんびりと出掛けてしまったため、着いた頃には閉館30分前。
閉館は17時。なので16時30分頃に到着したというわけだ。通常なら入れてもらえそうにないのに、入れてもらえた。ラッキー(?)。
常設展もご覧になれますという説明を軽くしてくれたけれど、30分しか時間がないのでそそくさと通り抜けてしまった。係りの方ごめんなさい。
とにかく大急ぎに急いで、流れるように見たので、じっくり観るなどということは出来なかった。写真は“懐かしの昭和”。確かに懐かしさが漂っているのだが、昭和52年頃までなので私が生まれる前の写真ばかりだ。でも何故か懐かしみを覚えてしまうのだ、どうしてだろう?
昭和52年当時と現在の比較写真もあった。定点観測を昭和52年から行っていて、これは来年で30年を迎えるのだそうだ。懐かしい写真ばかり観ていたので、ここはちゃんと観なかった…。道と信号(の位置)が変わらなくても、建物が変わり、随分と町並みが変わっていることは確か。
昭和30〜40年代の写真は昨年観た写真展(ウナセラ・ディ・トーキョー ―残像の東京物語)を思い出すような…少し趣が違う感じもあるのだけれど。
給食風景がいかにも昭和の子供らしさをかもし出していて、一昔前が漂っている。祭などのイベントものも昭和と平成では大分違うようだ。
展示室には昔の玩具が置いてあり、そこで初老(?)の紳士淑女が懐かしみを持って、それらで遊んでいた。ケンダマで遊ぶ姿がまぶしい。なかなか玉に入らないが、しばらく眺めていたらスポっとはまった。子供時代に相当やったんだろうなあ。やはり年輩の方の観覧が多い。
1983年(昭和58年)だったか84年だったかは忘れたけれど、ボリショイサーカスのチケットも並べられていた。私が子供の頃に行ったボリショイサーカスがこの頃だ!…と思っていたら、私が行ったのは88年のだったと母が帰宅後に教えてくれた。
30分はあっという間に過ぎ、年輩の方々と一緒になって(どうしてもネ)ぞろぞろと文京ふるさと歴史館を後にした。上の写真に写っている人たちが楽しそうにしていた団体さん。
出てきた途端に一人のおじさんは「ビール飲みてぇなあ〜」と言っていた…。
〒113-0033 東京都文京区本郷4-9-29

本郷三丁目



撮影:タケマツ / 撮影日:2006年3月11日 / コンパクトデジタルカメラ使用

猫よ…

またも猫が烏カラスに襲われていた…。
烏というヤツはどうも節操がないようだ。(→Rabe !!!!参照)。
歯医者の予約へ向かう中、天気も良好で気分良く歩いていた。その10メートルくらい前を猫がポテポテとこちらも気持ち良さそうに歩いている。とても長閑な感じ。世田谷緑地地区として畑になっている所の生垣の隙間におしりをふりふり猫が入っていった。まるで宮崎駿アニメに出てきそうな場面だ。
この地区は約5分の2が畑になっていて季節ごとの作物が植わっていろ。残りの約5分の3は梅の木なぞがあり、ネギがちょこっと植えてあったり、ビニールハウス、ドラム缶があったりと、何かしらちょこちょことあるので猫が集まりやすい空間が出来上がっている。
猫が入っていた畑の付近に辿り着き、ふと畑の中を覗くと、頭上で烏が「カアー」と鳴いた。
烏は一声鳴いた後に電線からバサバサと5分の3部分に降り立った。
もちろんそこには先ほどの猫がいる。
のんびりしようとやって来たはずのに、烏の静かな襲撃に驚いて、猫はその場に固まってしまった。
前回の猫は腰が抜けてヒコヒコしていたが、今度の猫は硬直状態で動けない。
烏はチョン、チョンと一歩一歩猫の周りを跳びはね、近づこうとしている。
私はとっさに「ガア゛ー」と言って烏に脅しをかけた。烏が一瞬怯んだので、すかさず猫に小声で「逃げろ、早く逃げろっ!!」と言うが、猫は目を真ん丸くして、こちらを見てはいるのだが、硬直したまま動かない。
また烏が猫に近づこうとするもんだから「ガア゛ーガア゛ー」鳴いて(?)烏を威嚇する。猫には小声で「さあ、早く今のうちに逃げろったら!!」と促す。その繰り返しだ。

歯医者の予約の時間もあるのだが、猫の行く末も心配で、烏の餌食になるのを黙って放っておくわけにも行かず…。烏と猫を相手に一人芝居を繰り返しているようにも思えた頃、もう一匹、猫がのんびりやって来た。この戦場にわざわざ足を運ぶとは、敢えて餌食になるつもりか!と思いきや、小さなビニールハウスを隔ててこちらとは反対側の位置に腰を落ち着けた。梅の木もあるので烏からはこの猫が見えない。
方や硬直状態にあり、方や顔を舐めなめおめかし中。私はと言えば生垣を挟んで何だか「ガア゛ガア゛」言っている。烏はチョンチョン跳ねている。
収拾の付かない状況下でいち早く戦線を離脱したのは、この戦線を仕掛けた張本人の烏だ。
何だか知らないが諦めたらしい。そんなに遠くないところへ飛び去っていった。
硬直した猫はまだ固まったまま動けないでいた。後から来た猫は何も知らないまま大欠伸をしていた。私はといえば、「オマエさんたち、烏には重々気を付けるんだぞ!」と(やはり小声で)念を押してその場を去った。

誰かが見ていたら途轍もなく頭のおかしな人になってしまうが、烏には烏語を、そして烏に感ずかれないように猫には小声で…という法則が私の頭の中では出来上がっていたらしい。
(猫語で「逃げろ」が分からないので人間語で言ったのだけれど、それでは通じなかったのかな。猫からしたら烏も、ガアーガアー言っている人間も、さほど違いはなかったのかもしれない^^;)。
誰も通りかからなくて良かったなあと今になって思う。

暮らしの手帖展

「とにかく 人のやらないことをやれ。」
花森安治氏の身に滲みるお言葉。カツンッ!と脳の皺に響いてくる。
一人で『暮らしの手帖』を作ってしまったところがすごい。文章も書けば、挿絵も描く、記事のさまざまなアイデアも出す、で編集もする。広告収入なしに雑誌を出版していくところが何よりもすごい。
雑誌=広告が当たり前で、現在でもその法則が成り立っているというのに、昭和の時代から広告なしの雑誌を出し、今でもこの『暮らしの手帖』が出版されているわけだから、花森安治氏の信条が生き続けているということだ。
それでもこのタイプの雑誌が新たに刊行されることはないらしい。
母は20代の頃から『暮らしの手帖』を購入し、かなり重宝したそうだ。商品テストも参考にしたし、家庭内でのちょっとしたアイデアも役に立ったのだとか。主婦のバイブルとも言えそうだ。
花森氏のイラストは独特で、手描きの文字も味があって温かい。お孫さんへの手紙も絵(文字)手紙で、こういう手紙を子供の頃に貰ったら、心踊ってしまうだろうもの!(今貰っても嬉しい…^^..)
機知に富んでいらっしゃるところにも心惹かれる。
〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10
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